第2話 昼食

 昼休憩の時間は生徒も教師も食堂に行くことが多い。食堂の隣には購買部もあるため麺類や定食だけでなく、デザートになる菓子パンや飲み物も購入できる。そして、授業の間に買いに来る生徒も多いから、常に人で賑わっていた。三百席程あってもチャイムが鳴った直後はかなり混雑し、席が空くまで待つこともある。待ってでも食べたいと思わせる学食の看板メニューが「全部盛り定食」だ。様々な定食のおかずが全て乗せられていて、とてもボリュームがある。その全部盛り定食を自ら作る教師がいた。

「エラ先生にから揚げあげますよ!」

「わお! いいんですか!」

「先生! 私のトンカツも一切れ食べてください!」

「えーじゃあ食べます!」

 生徒たちからおかずを分けてもらい、元々普通の定食だったものが「実質全部盛り定食」になった。皿に置かれたおかずはこぼれそうな程山盛りになっている。どれも湯気が立ち、出来立てであることを証明していた。エラがフォークを掴み食べ始めようとすると、隣に座っていた女子生徒が声を掛けてきた。

「エラ先生、私のハンバーグ一口どうぞ」

 女子生徒は箸で大きく切り分けられたハンバーグをエラの口元に寄せ、支えるようにもう片方の手を添えていた。エラは目の前に出されたものを反射的に食べてしまうため、すぐ口に入れた。

「美味しい?」

 そう聞きながら見上げるように見つめて首を傾げている。

「美味しいですよ巻さん!」

 エラは左手の親指を立てて見せた。その様子を見て巻は控えめに微笑む。微笑むと頬にえくぼができ親しみやすい印象を与えるが、厚く真っすぐに切りそろえられた前髪が暗い印象に塗り替えてしまう。そして白い肌と吸い込まれそうになる黒目がその印象に拍車をかける。しかし、巻の周りには人が集まり常に輪の中心にいた。この時エラと六人掛けテーブルに着いている女子生徒たちも全員巻のクラスメイトであった。その中の一人がエラに話しかけた。

「そういえば今日橘先生に抱きついてましたよね? また何か良いセリフ聞けました?」

 やはり見られていたのかとエラは額に手を当て仰け反った。

「皆さんに言えないことだけど言われましたよ」

 と濁しながら答えると、女子生徒たちは不満げな顔をしつつそれぞれ予想し始めた。その予想が盛り上がっている中で、一人の生徒がエラに聞こえないほどの声で「尊い」と呟くと、巻がテーブルに人差し指を数回当て音が鳴った。そのタイミングで会話が止まり、すかさず巻が質問をする。

「どうせまた意地悪なこと言われたんでしょ? で、エラ先生はマゾだからドキドキしちゃったんだ? でもそれなら橘先生じゃなくてもいいよね?」

 エラは突然多くのことを聞かれて理解できなかったが、咄嗟に答えてしまった。

「そうですね?」

 その言葉を聞いて巻は俯きながら微笑んだ。そして、胸下まである髪を肩の後ろに払い

「勘違いしちゃだめだよ?」

 とエラを見つめた。その瞳を見てエラは目の奥に自分がいると感じた。そのままじっと観察していると、自分がはっきり見えるようになってきた。すると周りからひゅーと場を盛り上げる歓声が起こる。その声に気付いた時には、コンタクトの透明なフチが見える程近くにいた。

「私の瞳が気になる? 先生の色とは違うもんね」

 エラはすぐに顎を引き、後頭部を引っ張られたように後ろへ下がる。そして、夢中になる癖を直さないといけないと自分に注意し、目の前のおかずに集中した。女子生徒から二人も結構絵になっていいという声がしていたがエラには聞こえなかった。



 橘は食堂の一番端の席で食事を取っていた。その席は丸いテーブルで椅子が二つしか用意されていない。教師と一対一で食事しようとする生徒もいないから、自然と一人で座っていた。橘はこの仕方なく一人になってしまう席がお気に入りだった。普段はおひとりさまが好きで一人焼き肉や一人カラオケも行くのだが、噂が好きな年頃の子どもたちがいるとなると話が変わってくる。「橘先生は人気がない」とか「先生の中で浮いてる」と言われたらかなり気にしてしまう。橘は現在の高校に配属されてから一年ほどしか経っていない。あと数年は絶対働き続けるのだから、なるべく居心地の良い環境にしておきたいと思っている。そう思うわりに生徒と打ち解けるまで時間がかかるタイプだった。授業内容以外のことをどのタイミングで話せばいいかわからないし、堅苦しそうな見た目のせいで雑談を振ってくれるような生徒も現れない。だから態度で示していく必要があると考え、二人席は一人になりがちだよねという顔をしている。話しかけないでというオーラが出ているとは思っていない。外では一期一会だからどのように見られても気にしないけど、と考えながら一人で黙々と食べていると周りの音が気になってきた。そして食器が擦れる音や、生徒の笑い声などをぼんやりと聞いていた。しかし、引き寄せられる単語が耳に入る。

「どうせまた意地悪なこと言われたんでしょ? で、エラ先生はマゾだからドキドキしちゃったんだ? でもそれなら橘先生じゃなくてもいいよね?」

 何と答えるのかとても興味があった。しかし、あのスピードでは一度で全ての言葉を理解できないだろうとも思った。どうかもう一度聞き返してと箸を止めて念を送る。

「そうですね?」

 橘はテーブルに掌外沿を打ち付け、どうして聞き直さないんだそれともそうなんですかと頭の中で問い詰めてしまう。先程の振動で箸が落ち足元に転がった。それを拾いながらエラはわからないけどとりあえず返事した、と自身に言い聞かせた。そしてあの生徒は何を考えているのかと怖くなった。精神衛生上ここにいるのは良くないと判断し、橘は箸を置く。



 エラたちは食事を終えると、席の間を縫い返却口に向かった。箸やスプーンなどを専用のカゴに分け、流れ続けるレーンにトレイを置いた。そして、それぞれ「ごちそうさまでした!」と声を出し教室に戻ろうとする。その後ろ姿に向かってエラは声を掛けた。

「待ってください! 一緒にプリン食べましょう! 私の奢りです!」

「まじ? やった!」

 女子生徒たちはその場で一度ジャンプするとその勢いで購買に向かって駆けていく。腕を組みながら走ったりスカートを揺らしたりしている姿を見て、この瞬間がどれだけ貴重なものなのか教えたいと思った。しかし、エラはそれを説明できるほど日本語が得意ではなかった。一見何も不自由がないように見えるレベルではあるが、細かいニュアンスを伝えることはまだ難しい。元々エラは日本のアニメが好きでそれを教材にしていた。そのため、日常会話や独特な言い回しは知っているが、知識に偏りがある。また、アニメなどは何度も見返すことができるため、一度のリスニングで全て理解しようとする習慣がなかった。しかし、後で見返そうとしてそのまま忘れてしまうことが多く、聞き直すという習慣も身に付いていない。そして、大雑把な性格が良くも悪くも周りに影響を与えている。日本語のイントネーションに違和感がなく、質問にも即座に答えられるから結構買い被られていた。本人にその自覚はなく誤解を解く存在もいない。橘は気付いていたが、わざわざ教える必要はないと思っていた。そのため、外国人と気軽に話せるという新鮮さが生徒からの人気を集めている。特に女子生徒から話しかけられることが多く、毎日昼食は生徒と一緒に取っていた。そして、おかずを分けてもらった日はこうしてデザートを全員分買いお返しをしていた。

「エラ先生プリン売り切れそうですー!」

 と遠くから呼ばれ急いで向かおうとすると、巻がワンピースの背中を掴んだ。エラは目を見開き背中に視線を向ける。見下ろしているせいで巻の前髪が表情を隠す。

「私たちにそんな気使わなくていいのに。エラ先生が好きだから何でもあげたいって思うだけだよ」

 それを聞いてエラは巻の肩に手を置いた。

「私も好きです!」

 そう言い残して走り出す。巻はその背中を見つめながら自身の肩に手を当てた。じわりと感じた手のひらの熱を逃さないように。

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