生徒からの人気を取り合ってるつもりなのにカプ扱いされている

ショートメイ

第1話 いつもこんな感じで授業してます

 東京二十三区外にある一般的な都立高等学校。古い校舎や制服が学生受けしなくなり年々生徒数は減少傾向にある。理事長は自分の代で廃れさせまいと、創立七十周年記念に大幅な学校改革を行い始めた。汚れた外壁やトイレの改修工事を行い制服のデザインも一新した。そして、教育方針も時代に沿ったものにしようとALT(Assistant Language Teacher)を雇用することに決まった。

 ALTとは外国語指導助手のことであり、日本の学生たちに本場の英語を伝えるため派遣される。主にJETプログラムや自治体からの雇用が多い。特別な資格などは必要なく、日本で働きたい海外の人を受け入れることを大切にしている。しかし、ALTはまだ公立高校に浸透しておらず、全国でも三千人に満たない。そこに理事長は目を付けたのだ。


 校舎内はすでに学生で賑わっており、一限前とは感じさせない活気があった。外の日差しも強く、まだ夏休みを終わらせてはならないと警告しているようだ。その日差しをものともしない大きなサングラスをかけたブロンドヘアの女性が校門を抜ける。彼女はすらりと背が高く、日本人女性の平均身長からすれば十分に長い髪も肘の上あたりで揺れている。少しくせ毛なこともあり、髪の中間から毛先にかけては小さく波打っていた。膝丈の白いワンピース、そしてヒールを履いているとわかる大きな靴音、その姿や奏でる音はどこか南国の国へ旅行に行くかのようだ。しかし、彼女はそんな気など全くなくこれが普段通りの出勤スタイルである。校舎の窓からは何人かの生徒が顔を出し、その優雅な出勤に見とれていた。



 始業ベルが鳴り生徒は皆自席へと着く中、背中に大きな誰かを背負いながら丸眼鏡をかけた教師が教室に入ってきた。その教師は艶やかな黒髪をきっちりとお団子ヘアにまとめ、丸眼鏡の下にあるつぶらな瞳はなくなりそうなほど横長に潰れている。眉間にしわが寄り口元はへの字になっていた。

「橘先生~、まだチャイム鳴ってます!」

 橘と呼ばれた教師は耳元で大きな声を出されて思わず振り向き言い返す。

「鳴り終わってからでは遅いんですよ」

 そして言い終わる前に人差し指の腹で肩の上にある頭を後ろへ押し出す。額を押されて不服そうな顔をしていると生徒たちがエラ先生かわいそうとぼやきだす。その声を聞きエラはにんまりとしながら橘を横目で見た。橘は視線に気付かぬフリをし号令をかける。

 そうして始まったコミュニケーション英語の授業。出席確認を終えた後は生徒同士で二人一組を組み、英語のみで挨拶をする。教室が少し騒がしくなり始めた頃、エラは橘に話しかけた。

「橘先生、おはようございます。お元気ですか?」

 橘はそれを聞き、やれやれと言いたげな表情になる。

「日本語は禁止です。それに生徒たちがきちんと話せているか確認しないと」

「私は日本語を勉強中だからこれで大丈夫です!」

 そう言いながら橘の右手を強引に自分の胸元へ引き寄せ、両手でしっかりと握りしめる。その握る強さを強めたり弱めたりしながら感触を確かめ、満足げに微笑む。

「それは握手のつもりですか。私の知っている握手とはかなり違うんですけど、作法は世界共通でしたよね?」

 橘に指摘されエラは少し驚いたような顔をした。しかし、すぐに先程の微笑みに戻りぱっと両手を広げた。

「そうでしたね! こちらが正しいです!」

 両腕を広げたまま橘へ前進し、ぶつかった身体を抱きしめた。そして、きっちりとまとめられた髪をぐしゃぐしゃにするように頬を擦り付けた。橘は突然のことで少し声を上げ、離れようと体を仰け反らせた。しかし、エラの腕は解けずさらに抱きしめる強さを増す。決して細いとは言えないが、筋肉の隆起があるわけでもない腕にこのような強さがあるとは誰も思わなかっただろう。橘は自力で抜け出すことが不可能だと気付き、大人しく体を密着させ耳元で囁いた。

「今日は皆に見られたいの?」

 エラは顔を赤らめ目を潤ませた。その隙に橘はパッと屈み自由の身になった。そして何事もなかったかのように授業を進めていく。

「皆さん終わりましたか? それでは席に着いて先週出した宿題を提出してください」

 生徒たちはファイルや机の中からプリントを出し、後ろから集め始めた。そうしている間もエラは頬に手を当て目を瞑り、先程の言葉に浸っていた。しかし、プリントの重なる音を聞き我に返る。周りを見ると宿題が次々と一列目の生徒の手に渡っていた。慌ててプリントを受け取るが、手から滑り落ちて床へばらまいてしまった。その姿を見て橘は少しため息をつきつつ拾い始める。エラもその横に座り集めようとすると、そっと指を撫でられた。思わず身体が少し跳ねる。しかし、指は離れることなくそのまま手のひら全体で包み込まれた。自身の手の体温が相手に搾り取られていくように感じる。

「落ち着いて、そそっかしいあなたも好きだけれど」

「はい⁉」

 本日二度目の囁きに大きな声で返事することしかできなかった。プリントは全て橘の手元に集まり、素早くめくられていく。その様子をじっと見つめ、あの手に触れられたんだという余韻に浸った。そこからは酒に酔ったような、ぼんやりとした意識で時間が過ぎていくのを待った。教室の端は意外と落ち着く場所で、もっと気を緩めたいときはカーテンの向こう側へ逃げている。正直に言うとエラにとって日本の授業はつまらなかった。ひたすら座学ばかりで実際に英語を使う気があるのか分からないし、生徒たちも休み時間と正反対の表情をしていてかわいそうだと思った。初めて授業を見てからすぐ指摘したが、橘はあまり改善する気がないようだった。その態度を変えさせるべくエラはギリギリまで教室に入ることを拒否したり、授業内でさり気なく邪魔をしている。こうして反抗し続けていればいつか自分の意見も取り入れてくれるのではないかと考えているが、あまり上手くいっていない。最初こそ橘は戸惑い思い通りの反応をしてくれていたが、最近は扱いに慣れてしまったのかやり返されるようになった。今日も自分ばかり恥ずかしい思いをしていて悔しいがもっと欲しい。なんてことを考えていたらよだれが口の端からこぼれ、反射的にずるっと音を立てて吸ってしまった。これは垂れてないからセーフと自分自身に言い聞かせて少し早くなった鼓動を落ち着ける。さすがに集中しようと決めたエラは橘を目で捉えた。真剣な表情は素敵だけど顔がしわしわになりそうとか、やっぱりつまらない授業だと考えていた。完全に傍観者でいたら、橘と目が合った。しかし、何事もなかったかのように視線を逸らし講義を続けている。その態度はあまり面白くないと感じ、自然と唇を尖らせた。そのまま唇を上下に動かし遊んでいると自分の出番が回ってきた。エラは橘の授業の際、お手本として教科書を読んでいる。教室の端から橘の隣へ踵を鳴らしながら歩いていく。ゆったりと歩いていたため睨まれたが、その視線で少し口角が上がってしまい隠すように俯いた。その鋭い眼光素敵だわ脳内フォルダーに保存しないと、などと考えていた。しかし、生徒たちからはおしとやかに微笑みつつレッドカーペットを歩いているように見えていた。エラの美貌は常に都合のいい方へ解釈されている。黒板の前に着き、慣れた言語で話していく。お手本を見せた後は後から付いてくるよう促す。この時普段の半分以下のスピードで話しているが、生徒たちの声はそれよりも遅い。こんな授業を受けているからちゃんと話せないんだと思った。しかし、自分にできることはここでラジカセの代わりになることだけだ。エラはつい言葉を途切れさせてしまった。

「エラ先生どうされましたか?」

 橘に尋ねられてまた考え事に夢中になってしまっていたことに気付く。

「皆亀の速さだったから、お昼寝してただけです」

 そう答えると生徒たちが笑いつつ言葉の意味を確認する。

「それって私たちがうさぎとかめの亀ってことですか!」

「でもそうなるといつか先生のこと追い越せるってことですよね?」

 生徒たちの声が教室に広がりエラは目を輝かせた。

「そうですよ! 私が皆を一番乗りできる亀に育てますからね!」

 そう宣言すると感嘆の声が上がる。しかし、それを横で見ていた橘は「私が担当教諭なんですけどね」と小声で呟いていた。そうして盛り上がっていたらチャイムが鳴った。エラは満足げな顔で教室を出ていく。絶対に私が変えてみせるぞと言い、拳を突き上げながら走り出していた。小さくなっていく背中を教室から見つめていた彼女も拳を握り締めていた。

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