殺し屋殺され屋

shomin shinkai

殺し屋殺され屋

 地球。東京。

 高さ三十メートルの木が密集して森を形成しており、都市の中央を流れる川は驚くほど透き通っていた。時々その川で魚とも蛇ともとれる獣が自由気ままに飛び跳ね、その様子を川べりに咲く色鮮やかで気持ちの悪い花々が可愛らしくおどろおどろしい笑い声を上げていた。

 岡根は音もたてずに花を踏みつけ、川を歩き、木々の合間を飛び跳ねて移動した。無駄のない洗練された彼の動きには空気すらついていけず、危うく時間まで置き去りにするところだった。

 瓦解しかけた暗黒の建物は円柱形をしており、縦長のドーナツのようだった。

 岡根がその建物を見上げた瞬間、空気を短い音が切り裂き、弾丸が建物の上から岡根目掛けて飛んできた。

 岡根は平然とそれをかわした。

 狙撃手は姿を消した。

 岡根は建物の中に溶けた。


 鈴木は荒い息を押し殺して身を翻し、狙撃に使った銃を放り出した。滴る汗を手で拭い、ドーナツ型の建物の中にそろりと滑り込む。

 元は家族を対象にしたマンションだったこの建物も、今では監獄以下の冷たさだ。亀裂が入り飛び散ろうとする壁を真緑のツタ植物が支え、時々瓜に似た実がツタの合間に腰を据えている。

 凍えるような沈黙。足に体重をかけた時に鳴る、ジリ……という音が壁という壁に伝わり、ツタの葉を震わせているような気がした。額と顎をつたって落ちた汗の粒が、激しい水しぶきとなって建物全てに雨を降らせる幻覚を見て、鈴木の体は硬直した。数十秒後、鈴木は呼吸をすることを思い出した。無の恐怖に感化され、自分も無にならなければならないという呪いにかかってしまったのだ。

「ハァッ」

 自らを冷静にさせようと苦しくなった息を吐いた瞬間、背後に恐怖を感じて咄嗟に飛び跳ねた。途端に鋭い痛み。

 背中には鋭利なナイフが突き刺さっていた。


 一撃で仕留められなかったことを悔やんでいる暇はない。振り向きざま、カウンターの如く鈴木は銃を放ってきた。岡根は最小の動作でそれらをよけると、打撃を繰り出して鈴木を追い詰めた。蹴りで手に持っていた銃を叩き落とし、首を突く。鈴木はそれを無我夢中で防ぎ飛躍、岡根の首を足で締め上げた。だが、岡根は倒れない。首に巻きついた鈴木を冷たい目で見ると、鈴木の腰ポケットに入っていた小型ナイフを拝借し、そのまま彼女の眼球に振り下ろした。危機を察知して咄嗟に足を外し地面に落ちた鈴木だったが、振り下ろされたナイフによってわき腹を裂かれた。

 噴き出る血と痛みにうめきながらも、鈴木は岡根の足を払いのけて転倒させた。最も、岡根は無様に地面に転ぶことなく、その場で一回転し体勢を立て直した。

 鈴木は血を吐き出しながら笑った。スイッチのようなものを手に取り、岡根が判断を下す間もなくそれを押した。

 ドーナツ型の建物の下から爆撃音が轟き、二人がいる上階は揺れに揺れた。爆発は連鎖し、ドーナツを粉々に砕いていく。

 鈴木の笑みはさらに広がり、今にも口が裂けそうだった。しかし、岡根は表情を変えなかった。鈴木を掴むと、絶賛崩壊中の下の階に飛び込んだ。視界に爆破が映り、足場が消え去る。轟きが耳を叩き割り、瓦礫が縦横無尽に空間を埋め尽くす。

 岡根は爆発の中を何度も経験してきたかのような落ち着きようで潜り抜けた。

 恐ろしい速度で廊下を滑り、恐ろしい高さから平然と飛び降り、恐ろしい爆炎を手で払いのけた。

 ドーナツ状の建物は発狂と火炎の祭典に包まれて崩れ去った。

 その音と熱を背中で感じながら、岡根は笑顔を凍らせて痙攣している鈴木を苔のカーペットに投げ捨てた。そして木の枝を一本折ってそれが尖っているのを確認すると、醜く命乞いをする鈴木の眼球にそれをゆっくりと時間をかけて差し込み、えぐみと吐き気がグロテスクに自然の空間を包むのを確認した後、持っていたナイフで彼女の首を素早く描き切った。

 濃緑の世界に紅の半円が弧を描いて散った。









 鈴木が言った。

「楽しんでる?」

 目を閉じていた岡根はため息をついて目を開けると、苛立たしげに答えた。

「楽しんでない」

「だってそう見える」

「お前こそ楽しんでいるだろう」

「いいえ、私は悲しんでる」

「今更殺されるのが恐ろしいとでも?」

「まさか。私はただ人が好きなだけよ」

 

 ゴミ一つ身に纏っていない小鳥の群れが頭上を旋回した。

 鈴木が言った。

「楽しんでる?」

 岡根は不機嫌な態度で反応した。

「いつになったら君は死ぬ?」

「あなたが死んだらよ。少なくとも、あなたは人間なのだから」

「どうして俺の手の中で死んでくれないんだ」

「だって、私は不死身だもの。でもとても立派な殺し方だったわ。さすがプロね。殺され屋としてとても痛い殺され方だったわ」

 岡根は怒った。

「何がプロだ。もし俺がプロならば、俺はお前を殺しきらなければならない!」

「殺しきったでしょ?」

「じゃあ何でお前は生きている!」


 美しすぎてすぐに死ぬ鹿が森の中を飛び跳ねていた。

 鈴木が言った。

「楽しんでる?」

 岡根は微笑を浮かべて答えた。

「お前が口を開いたせいで楽しくなくなったところだ」

 鈴木は悲しそうに近くにあった可愛らしい花を引きちぎった。ちぎられた花は鈴木のあまりの狂気に触れて悲鳴を上げたが、鈴木は笑いながらそれを捨て、これ見よがしに岡根の顔を睨みつけた。

 鈴木の目は見ずに、地面に横たわる花を見て岡根は呟いた。

「ちゃんと死ぬ人を殺したい」

 鈴木は手を叩いて喜んだ。

「やっぱり楽しもうとしている!」

「してない」

「楽しいもんね、人を殺すのは楽しいもんね!」

「違う、俺は――」

 耳をつんざくような嘆きの音が聞こえて、二人は顔をあげた。

「あぁ、でもそんなことはできないわ」

 轟音を立ち上らせてボロボロと崩れ去っていくのは、かつて東京スカイツリーと呼ばれた建造物だった。崩れた残骸は深々とした森に落ちていき、ついにこの地は東京を失った。

「だって、あなたは全ての人間を殺してしまった。この世界にはもう、殺し屋のあなたと殺され屋の私しかいないのだから」

 岡根が崩壊から鈴木に目線を戻したとき、彼女は既に殺されるために逃げ出していた。

 岡根は鈴木を殺すために走り出すしかなかった。


 

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