10.いろいろあるけど一旦置いといて。
「で、一睡もせずに学校に来て、一限から昼休みまで爆睡して、職員室で叱られたの?」
翌日の昼、古賀先生がカウンセリングルームで苦い顔をした。
「面白いね、君」
「眠れないかと思ったけど、夜のゴタゴタのせいで体が疲れてたんです……」
「精神的な状態と身体的な状態が、結びつかない人っているよね」
昨晩、日付が変わってしばらくの頃。親父は俺に、フクロウを辞めたと報告した。俺からかけた電話で、しかも事後報告だ。もう辞めたあとだった。ミスター右崎というエージェントは、もういないのだ。
先生がぼろぼろのソファでコーヒーを飲む。
「俺も明け方、右崎が辞任したって聞いてびっくりしちゃった。仮装パーティのデマかと思って調査したら、本当に除名されてたよ」
「フクロウ、除名されたら、一般人に戻れる……わけじゃないんですよね」
一度でもフクロウに籍を置き、機密情報を知った者は、もうあとには引けない。先生はまたひと口、コーヒーを啜った。
「そうだね」
しばしの静寂が流れる。俺はテーブルの上、自分の前に出されているコーヒーに目を落とした。先生から出されたコーヒーで殺されかけた経験があるので、ちょっと飲む気になれない。
フクロウを除名された右崎……すなわち親父は、抱えた機密情報の処理として、フクロウに処分されるのだろう。本人も覚悟していた。ばあちゃんとの相談の上で決めたとのことだから、ばあちゃんもそのつもりだ。総裁であるばあちゃんが、親父を殺すと決めたわけだ。
ばあちゃんはパーティに出かけたきり、俺が学校へ出かけるまでに帰ってこなかった。俺はばあちゃんを恨んでしまうかと思ったのだが、今のところ特に憎しみの感情は湧いていない。これは親父とばあちゃん、お互いに話し合いの上で、合理的に決めたことだ。だから俺がばあちゃんを憎むのはお門違いだ。と、どこかで分かっているのかもしれない。
先生が小さくため息をつく。
「あーあ、タイミング悪いな。俺は反右崎派だった頃に辞めてくれれば、俺は喜ぶ側だったのに。なんで頼ろうとして寝返ったあとにそうなるかな」
と、その瞬間、先生が胸ポケットからのペン抜き、素早く振り向いた。同時にカウンセリングルームの窓が開く。先生がペンを飛ばすと、窓の向こうの小さな手がそれを受け止めた。
「危ねっ! もう! 喧嘩しないんじゃなかったのかよ」
ぴょこっと顔を出したのは、キルである。先生が笑いながら謝る。
「ごめんごめん、背後から近づかれるとつい、癖で」
「ついの癖で人を殺そうとするな」
「キルに言えたことじゃないだろ」
俺が口を挟むと、キルはなにか言い返そうとして結局なにも言えず、窓をよじ登って室内に入ってきた。
「全く、ここ数日で、あちこちで状況がひっくり返っちゃったな」
キルは先生にペン……否、ペン型の暗器を返すと、俺の座るソファの方へ歩み寄ってきた。手をひらひらさせて俺に「詰めて席を空けろ」とジェスチャーしてくる。俺がひとりぶん左に避けると、キルは空いた座席にちょんと座った。
「無常組の崩壊に始まり、それによって仕事をなくした古賀ちゃん、ミスターの除名、体勢が崩れるフクロウ幹部」
キルはより、険しい顔をした。
「そしてそのせいで仕事ができない私」
「美月ちゃん暗殺の仕事をキルちゃんに預けたのは、右崎だっけ」
先生が言うと、キルは渋い顔で頷いた。
「そう。で、後任のエージェントに引継ぎが終わるまで、美月暗殺は待ってろって本部から指示が来た」
「ははは。折角今なら、無常組の監視がなくて安井と院長もそっちの処理に追われてるのに。上手くいかないものだね」
本人が話しているとおり、キルは現在、日原さん暗殺の業務を停止させられている。
「こんなの作戦にないぞ。私とミスターが揉めてるっぽく装って、反右崎派を混乱させて、そんで今日以降、できれば今日、私が美月を殺す……って話だったじゃんかよ。それがどうして、今度は『殺しちゃだめ』なんて」
キルが不服そうにむくれる。
「裏方の引継ぎより、現場の『今』じゃないのか!?」
エージェントはあくまで依頼人と暗殺者を結ぶ仲介者に過ぎないのだから、引継ぎなんか待つ必要はないと思うのだが、フクロウは変に律儀な組織だ。俺としては、日原さんが安全ならそれにこしたことはないが。
キルがこうして学校に現れるのも、無常組の監視の目がなくなったからだ。今朝、教室に枯野さんはいなかった。日原さんが心配そうに、空席の枯野さんの椅子を見つめていた。担任からも、なんの説明もない。
先生がソファを立ち上がった。
「キルちゃん、コーヒーでいい? お砂糖入れる?」
「ココアある?」
「あるよ。ココアにしよっか」
目の前のコーヒーのカップにすら触れない俺とは違って、キルは平気で先生に飲み物を注文した。先生は部屋の隅で沸かしたお湯にココアを溶いて、キルの元へ持ってきた。
俺は隣のキルを気色ばんだ。
「キル、自分を殺そうとした人の出すものよく口に入れる気になるな」
「毒物が入っていれば匂いで分かる」
キルがあっさり答える。
「なにより、古賀ちゃんが私に喧嘩売る理由がない。美月を庇うのはやめてるし、失脚させたかったミスターももういない」
「そうそう。右崎派も反右崎派も、皆、右崎はもう死んだものと認識してるね」
古賀先生がカップにお湯を注ぎながら、こちらに微笑みかけた。
「おかげで息子の朝見くんも用無し。死んだことになっていようが、やっぱ生きてたとなろうが、誰も気にしてない。よかったね、安全だ」
皮肉だが、そうなのだ。親父が失脚したおかげで、その家族にも価値がなくなった。だからもう、俺や家族が妙な連中に付け狙われる心配はない。
今回の作戦を提案したのは、ばあちゃんだ。こうして右崎が犠牲になることで、俺たち家族を守る……それが狙いだったのかもしれない。なんて、今更思った。
それからキルが、思い出したように手を叩いた。
「あ、大きな異変はもう一個あった。美月、転校するんだった」
そうだった。昨日、俺は日原さんから相談を受けていた。彼女の父……日原院長が怪しい動きを見せている、と。先生がココアを置いて、キルと目を合わせる。
「へえ、美月ちゃん転校するんだ」
「あれ、あんた元々そっち側だったろ。事情聞いてたんじゃないのか?」
キルが訊くと、先生はうーんと首を傾けて唸った。
「俺は無常組に雇われてただけだからなあ。彼らは硬派な職業だからか口が固くって、院長とか日原家については殆ど説明がないんだよ。こっちから調べようにもあのセキュリティだから、知るメリットより近づくリスクが上回っちゃうんだよね」
「なんだよ、使えないな。いい情報源になると思ったのに」
キルが悪態をつく。先生は怒りもせず、俺の向かいのソファに座りなおした。
「無常組と資金援助の関係にあった安井議員については、多少知ってるけどね」
「ん」
キルがココアのカップを手に取り、先生を見上げた。
「それは好都合。喋ってもらおうか」
「どうしようかな。一生懸命調べたことを無償で教えるの、割に合わなくない?」
先生がわざとらしく焦らす。キルはココアを口の前で止めたまま待っていると、やがて先生はふふっと笑った。
「冗談だよ。どっちにしろ俺はもうこの仕事から手を引いてるから、どうだっていい。本来なら、業務上知りえた情報は口外してはならないんだけどね」
先生はコーヒーをひと口飲んで、改めて切り出した。
「安井議員は、大手の病院や大企業とこっそり手を組んで、選挙を有利に運ぼうとしてる。まあそれは誰でも想像できると思うんだけど、裏社会とも金で繋がって、そっちの社会も牛耳ろうとしてる。そんなあの人の、次の目標が……」
先生は眼鏡の奥の真剣な瞳で、俺を射抜いた。
「フクロウを乗っ取ること」
「……へ」
「え!」
間抜けな声を出す俺と、目を剥いて背筋を伸ばすキルに、先生は静かに頷いた。
「政治家はフクロウのクライアント最大手だから、存在を知ってるのは当然として。そのフクロウをまるごと自分の支配下に置くことで、自分の身の安全を確保しつつ、邪魔なものは消す。フクロウを我が物にすれば、全国支配も楽勝ってわけさ」
先生の言葉に、俺はしばらく固まっていた。政治家が直に、暗殺者組織を手元に置く。恐怖政治の幕開けではないか。キルがココアを飲むのも忘れ、真剣な顔で唸った。
「なんて太い野郎だ。フクロウは常に中立で、今日のお客様が明日の暗殺対象にだってなりうる。それを承知の上で使うのが暗黙の了解だってのに、安井が自分本位に使ったら組織の存在意義が変わっちゃうだろ」
「うん。でもすでに何人かの暗殺者は、安井との交渉の上、安井側につくつもりでいる。それが『反右崎派』だよ」
組織の幹部として強い影響力を持つエージェント、右崎。フクロウの実権を奪うには、彼が邪魔だった。キルが青い顔で先生に噛み付いた。
「お前、フクロウが個人に乗っ取られるかもしれないの分かってたのに、反右崎派だったのかよ! 一体いくら貰ったんだ」
「別に、俺は安井とは直接話してないよ。無常組の案件を含め、過去にもいろんな仕事をしてるうちに、この情報を知っただけ」
先生がコーヒーカップを置く。
「反右崎派だったのは、そういうエージェントから仕事を貰うから、必然的にそうなっていったの。こだわりがあったわけじゃないよ。フクロウが誰の権限の元にあろうが、どうでも良かっただけさ」
「どうでも良くないだろ。中立性を欠くのはフクロウのポリシーに反する」
「それは分かってるさ。けど、誰の命令であってもお金を貰って人を殺すという仕事の内容自体は変わらないでしょ? だったら気運が高まってる反右崎派についておいた方が、のちのち都合がいい」
先生があっけらかんと話す。俺はしばらく言葉を失ったままだった。そんな俺を一瞥し、先生は続けた。
「安井が直接フクロウに近づかないのは、乗っ取り作戦がバレて先回りされて、自分が暗殺者に殺される可能性を考えたから……かな。フクロウのお得意様である企業の重役や暴力団を通して、じわじわと調査を進めていたみたい」
先生の話を聞いて、キルが手の中のカップを睨んでいた。そして、やがてくっと、ココアを口に注ぐ。
「熱っ!」
悲鳴を上げたあと、彼女はカップをテーブルに置いた。
「なるほどな。安井のその動きに気づいて、止めようとした人がいる。安井の金の流れを止める第一歩として、特に太い繋がりのある日原院長から崩そうとした。そこで、美月の暗殺ってわけだ」
「理不尽!」
ずっと黙っていた俺だったが、流石に声を上げた。
「そんなの安井をどうにかすれば済む話じゃねえか! なんで日原さんが犠牲になるんだよ」
「命の価値が平等じゃないから」
キルがばっさり、容赦なく言いきった。
「って、ミスターも言ってただろ。安井はクソ野郎だが、なんらか利用価値があるんだろ」
「そんなの……」
「人質の美月が死んで、日原院長との金の契約が反故にされれば、安井は二の足を踏む。フクロウ独裁の野望が遠のくんだよ」
キルが言うと、先生も頷いた。
「キルちゃんへ依頼を出した人が誰なのかまでは分からないけど、多分そういう目的なんだろうね。安井の横暴によって不条理に殺される大勢の人の命のために、美月ちゃんひとりに犠牲になってもらおうっていうね」
「そうか。我々暗殺者はエージェントを介在させて依頼を受けて、ターゲットを殺すだけ。依頼者の意図までは知らされないけど……分かっちゃったな」
キルが腕を組み、先生に投げかける。
「安井は美月に死なれちゃ計画が狂う。やっぱり私の予想どおり、美月の転校は、さらなる強固なセキュリティの学校への移動といったところか? 無常組というボディーガードを失った、美月の身を守るために」
先生もふむ、と考えはじめる。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。可能性は高いから、警備が手薄な今のうちに殺した方が安牌だとは思う」
「だってのに私の仕事は停止中! ああもう! 引き継ぎなんか私の仕事とは関係ないだろ!」
キルが頭を抱えて文句を垂れると、先生は苦笑いした。
「それも変な話なんだよね。遂行中の依頼がエージェントの都合で停止させられた人、今までに一度も見たことがないよ」
「だよな!? 私もわけが分からない」
キルが前のめりになる。
「もしかして、別の意図が働いてるのか? ミスターに代わってこの仕事のエージェントとして引き継がれるのが、反右崎派のエージェントだったとか。安井の息がかかったエージェントが介在するから、依頼自体を無効にするつもりとか……!」
と、キルが話していたところへ、それを遮るようにして、俺の背後で引き戸が開いた。
「うわ! マジでここにいた」
声に振り返ると、怪訝な顔をした陸が戸に手をかけていて、その横にはラルがいた。陸が怪訝な顔で俺と先生を見比べる。
「咲夜がこっちの方に行ったって聞いて、まさかと思って来てみたら。古賀先生と仲直りしたって本当だったんだな」
「だから言ったでしょ? 先生はもう、咲夜くんを狙うメリットがなくなったのよ」
ラルが呆れ顔で説明する。俺は、ソファに腕を置いて陸に謝った。
「そういえば陸に話すの忘れてた。ごめん。なんか解決したっぽい」
「意味分かんねー。信頼して大丈夫なのか?」
「分かんないけど、現状は大丈夫そう」
安井の悪巧みまで俺とキルに教えてくれたくらいだ。ただ、あくまで「現状は」だ。この人は信じすぎてもいけないから、ほどほどの距離は必要だとは思う。先生が陸とラルを眺め、コーヒーを啜る。
「強烈な組み合わせが入ってきたな。仲良さげだけど、ラルちゃんが完璧に誑かした?」
「あ、そういえば先生、ラルが陸を騙そうとしてたの知ってるんでしたね」
俺は背もたれに腕を置いたまま、顔だけ先生を振り返る。
「でも今はちょっと、そういう関係じゃなくなってて……」
と、俺の腕の脇から、キルが陸たちの方にぴょこんと顔を出した。
「この頃はりっくんとラル、わりと本当に仲良いよな」
「わあ! キルいたのか。小さいから背もたれに隠れて見えなかった」
陸が驚いて飛びのく。ラルは気づいていたみたいで、平然とした顔で陸の腕に抱きついた。
「そうね、私、陸ちゃん大好き。初心な反応がかわいいだけじゃなくて、物理的に強いのよ? 全部私にものにしたいに決まってるじゃない」
ぎゅっと抱きつくラルに、陸が頬を赤らめてびくっと肩を弾ませる。そんな様子を、古賀先生は冷めた目で見ていた。
「もう結構。今のだけで関係性分かったから」
陸とラルがカウンセリングルームに入ってくると、先生は重たそうに腰を上げた。
「さて、君たちはなに飲む?」
「私、コーヒー」
「じゃあ俺も」
ラルが手を上げ、陸も続く。キルのときも思ったが、皆、警戒心が弱すぎやしないか。ケトルの方へ向かった古賀先生が、徐ろにラルに問いかける。
「ラルちゃん、今日はなんで学校にいるの? 君、いつもサボってるじゃん」
「あなたの様子を見に来たのよ、古賀先生」
ラルはそう言うと、キルの横に腰を下ろした。
「枯野栄子の監視がなくなった今の、美月ちゃんの様子とともにね。新たな監視役が潜んでるのか、それともキルが言うように完全にノーガード、殺し放題の大チャンスなのか。見たところ古賀先生は監視役じゃないみたいだし、後者のようね。でもキルはどういうわけか依頼を停止させられた。この子も愚直に従ってる」
ラルの手がキルの頭を撫でる。キルはむすっと唇を尖らせた。
「私だって今すぐ動きたいさ。けど組織の指示を無視したら、どんな罰があるか分からない」
「そうだねえ、フクロウは野蛮な組織だからね。素振りだけでも従順にしておいた方がいいよね」
古賀先生がこくこく頷く。まさに彼も、フクロウを敵に回さないように上手く立ち回ろうとしているところだ。それからラルはにこっと笑顔に切り替わった。
「サボらなかった理由はそれだけじゃないわよ。なにより文化祭。授業は面倒でも青春はしておきたいじゃない?」
「ああ、文化祭! そうだね、今週末だもんね」
先生はコーヒーを淹れながら、晴れやかな声で言った。俺はえっと声を上げる。
「あれ!? そうだっけ!?」
仮装パーティが大問題だったせいで、文化祭なんかすっかり抜け落ちていた。陸が目を丸くする。
「忘れるほど興味ないのかよ。明後日からは授業がなくなって、準備期間に入る」
「なんか、そんなような話聞いたかも」
「文化祭は年に一日だけ。青春の一ページがいかに華やかになるかを左右する、大事な日だってのに」
陸は信じられないといった顔で俺を見て、それから三人座って狭くなったソファでなく、向かい合う古賀先生の座るソファに腰を下ろした。
昨晩の衝撃が抜けきらなくて、緊張感に当てられていた俺には、拍子抜けするほど平和な話題だ。今の俺は他の問題で手一杯で、文化祭のことなんか考えている余裕はなかった。
古賀先生はふたり分のコーヒーを運んでくると、改めて切り出した。
「自由時間、朝見くんは誰と回るの?」
「文化祭自体頭になかったんで、なんも考えてないです」
去年、一年生のときは、陸と回った。だから今年もそうなるかと思ったのだが、陸は俺の心を読んだみたいに先回りした。
「俺は無理かな。サッカー部がやってる焼きそばの店と、野球部がやってるチョコバナナの店と、バスケ部がやってるポテトの店、全部手伝う予定なんだ」
「え? お前、部活入ってないよな?」
「うん、入ってないけど、普段から助っ人に入ってたからこういうときも人数にカウントされてるっぽい。もちろん、クラスの仮装喫茶のシフトもあるぞ」
「お人よしがすぎるぞ」
去年はそんなことなかったのに、陸はこの一年のうちに様々な部活から信頼を得てしまったようだ。ラルが残念そうに眉を寄せた。
「えーっ。私、陸ちゃんと回りたかった!」
「あはは……咲夜から『ラルはろくでなしだから絆されるな』って釘刺されてんだ、ごめんな」
陸が苦笑する。それはそうだ。ラルはつい今朝まで、捕まえた反右崎派を拷問して喜んでいたような奴だ。もし陸とラルがふたりで回るなんて言い出したら、俺はまさしくそう言って陸を止めたと思う。
俺の隣では、キルが神妙な顔をして下を見ていた。
「焼きそば、チョコバナナ……ポテト……」
神妙な顔ではあるが、目はきらきらしているし今にもよだれを垂らしそうだ。陸の口から出た食べ物の名前に、すっかり気を取られている。
向かいのソファの古賀先生が、コーヒーカップを片手に問う。
「キルちゃんは? 文化祭、遊びにくるの?」
「その予定だった。美月を狙うなら文化祭の日だと思ってたんだ。だってのに、フクロウの方からGOサインが出ない」
俺も、それは考えていた。文化祭の環境は、キルにとって日原さん暗殺にもってこいである。しかしキルは、現状、動けない。キルは渋い顔で俯いていたかと思うと、ぱっと顔を上げた。
「だから仕方ないから、焼きそば、チョコバナナ、ポテト、サクんとこの喫茶店のメニューも、全制覇する」
その目はらんらんと輝いており、一切の淀みもなかった。こいつ、日原さんを殺せないのを諦めたら、気持ちを完全に遊ぶ方にシフトした。その切り替えの速さはある意味尊敬する。
キルはぐるっとこちらに顔を向け、食に燃える目で俺を見上げた。
「サク! お前、一緒に回る人、まだ決めてないんだろ。私が付き合ってやるよ。私をおいしいもののある場所へ導け!」
「あー、まあ……」
たしかに、誰とも約束していない。万が一キルの日原さん暗殺の仕事にGOサインが出たとしても、俺がキルといればこいつを見張れる。
「そうだな、たまにはそういうのもいいかもな」
「よっしゃ!」
キルが両手を振り上げる。
日原さんの件とか、親父のこととか、気がかりはたくさんあるけれど。キルも羽根を伸ばしているし、俺も、折角の文化祭は楽しんでやろうと決めた。
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