3.味方は多い方がいい。

「朝見が倉庫に閉じ込められてた話なら、お父さんに話したけど。それがなにか?」


 夜にメッセージアプリで連絡を入れて、返事があったのはその翌日の昼。枯野栄子の返信は、素っ気なかった。自室のベッドに寝そべっていた俺は、うつ伏せの姿勢でさらに問いかける。


「日原さんの様子はともかく、俺の行動まで、お父さんに報告してるのか?」


 聞いてみたら、これにはすぐに返事があった。


「あんた、最近美月と仲よさそうだから。美月と親しい人はいるのか、お父さんに聞かれて、あんたのこと話したの。そしたら興味を持ってたからさ」


 枯野さんは、うちのクラスの女子生徒のひとりだ。日原さんとは幼い頃から仲がよく、家族ぐるみの付き合いらしい。

 というのも、枯野さんの家というのが、暴力団・無常組の親玉だからだ。

 無常組は、日原院長の病院にお世話になっており、院長の娘に危険がないよう、陰ながら見守っている。院長の娘、すなわち日原美月の学校での見守り役が、枯野栄子なのだ。

 そして彼女こそ、キルのいう「内通者」なのだ。


 *


 時は昨日の夜に遡る。リビングのテーブルを囲み、俺とばあちゃんに、キルから報告があった。


「内通者によって、私の動きが奴らに伝わったんだ。面倒なことになったぞ」


 服も髪も肌もぼろぼろになったキルが、テーブルに頬杖をつく。


「古賀ちゃんのホー・カードが戻ってくる頃合だしな。チッ、イラつく」


 その名前を聞いて、俺はしばらく声が出なかった。

 古賀新一先生は、うちの学校にやってきたスクールカウンセラーである。気だるげな感じで親しみやすく、俺は用もないのにカウンセリングルームに遊びに行って、先生とのんびり過ごしていた。

 その正体は、暗殺者・真城ライ。

 日原さん暗殺を企てるキルを殺すために遣わされた、フクロウ所属の暗殺者だ。


「古賀先生の目的は、日原さんの暗殺を阻止すること、なんだっけか」


 俺が言うと、キルは頷いた。


「美月が死ぬと、安井が手にする金の流れが止まっちゃうからな」


 古賀先生は多分、無常組に雇われている。確信はないが、先生が手にしていた拳銃が、無常組が使用しているものだったというから、多分そうだ。

 無常組は枯野さんを通じて、日原さんに近づく妙な存在、生島キルに気づいた。日原さん暗殺を妨害するため、キルの殺害計画が遂行されたのだった。


 暗殺者という立場上、キルは簡単には尻尾を出さない。そこで先生は、キルを引きずり出すための手段として、彼女を保護する俺を利用した。先生の正体を知らなかった俺は、無邪気にカウンセリングルームへ遊びに行って、先生と親しくなっていた。

 しかし情報を出さない俺に痺れを切らし、先生は俺を殺すことで、間接的にキルの動きを止めようとした。結果、俺の危機に気づいたキルが、先生と直接顔を合わせる結果になったのだが。

 一時は、古賀先生の暗殺の免許証代わりになる「ホー・カード」を破壊することで、先生の行動を停止できた。しかし再び、この古賀先生がキルと俺の殺害に向けて動き出したのである。


「今日はサクと美月のデートにお邪魔して、美月を殺そうと思ってたのにさ。ラルが気を利かせてサクを寝かしつけてくれて、あとは映画上映中に美月を殺せば完璧だったのに……」


 キルはふくれっ面で話した。


「ポップコーン買おうと思って並んでたら、サクのあとをつける古賀ちゃんを見つけちゃったんだ。デートの邪魔をしようなど最低な野郎だ。ポップコーンを諦めて、私は古賀ちゃんの注意を引きつけた」


「デートの邪魔は、キルもしようとしてたでしょ」


 ばあちゃんは可笑しそうに笑い、それからキルのぼさぼさの髪を撫でた。


「でもあなたは、美月ちゃん暗殺から一旦手を引いて、咲夜を守ってくれたのね。偉いわ」


「こいつが死ぬと、私の食生活に多大な影響を及ぼすからな」


 キルは相変わらず不服そうだったが、少し照れくさそうに目を泳がせた。

 今日はキルにとって、日原さん暗殺の絶好の機会だった。しかしそれを捨ててまで立ち向かわなくてはならない相手、古賀先生が出現した。キルがぼろぼろになっている様子を見ると、先生と激しい戦闘になったのだと窺える。どうやって追い払ったのかは分からないが、結果として、日原さんは先生に守られ、俺はキルに守られ、一日を終えたわけだ。俺は複雑ながら、ひとまずキルにお礼を言った。


「ええと……ありがとう?」


「言葉で腹は膨れない。おいしいごはんで労え」


 キルは苛立った口調で言って、カーテンの閉まった窓を睨んだ。


「暗殺者はあんまり派手な動きはせず、あくまでひっそりと殺害に及ぶ。古賀ちゃんもこの家を特定して攻め入ってくるとか、そういうやり方はしないと思うけど……依頼者に急かされたら、手段を選ばないかもしれない」


 そしてキルはちらりと、ばあちゃんに目をやる。


「ねえ、総裁。あいつ、総裁の権限でなんとかできない? フクロウ除名してやろうよ」


「そうねえ、もちろんそうしたい。大事な孫の命が狙われているんだもの」


 ばあちゃんはまったりした優しい声で言った。


「でも、それは立場の濫用に当たるわ。フクロウの暗殺者による暗殺は、恨みっこなし。それは私の立場でも同じなの」


 その回答に、俺もキルも言葉を呑んだ。ばあちゃんは穏やかに続ける。


「第一、仮に咲夜が危険だからという理由で総裁から直々に除名宣告があったとしたら、咲夜は総裁と関係がありますと公言するようなものよ。そうなったら、フクロウ内の権力争いや組織に恨みを持つ人が、咲夜を殺そうと動き出す。総裁である私を引きずり出すために、ダシにされるわよ」


「そっかあ。そういやサクが古賀ちゃんに狙われてたの、美月の件だけじゃなくて、エージェントの息子であるっていうのも理由のひとつだったよな。フクロウの権力者と繋がりがあるってだけで、狙われやすい立場なんだよね」


 キルも頷くとおり、古賀先生は姿を見せないエージェント・ミスター右崎を引っ張り出す目的でも、俺を狙っていた。

 フクロウは組織内部で、右崎派と反右崎派の対立があるらしい。凄腕アサシン霧雨サニとともに実績を伸ばしたエージェント・ミスター右崎は、組織内でも大きな実力を持っている。そういう者がいれば当然、その座欲しさに右崎を目の敵にする者もいるわけで、争いが起こるのだ。

 このミスター右崎というのが、よりによって俺の親父である。そしてキルに日原さん暗殺の仕事を融通したエージェントでもある。

 カウンセリングルームで雑談しながら先生が待っていたのは、キルの情報だけでなく、親父の情報もだったのだ。生憎その当時の俺は、自分の父親が暗殺組織の人間だなんて知らなかったから、なんの情報も吐かなかったわけだが。

 ばあちゃんはうふふっと品よく微笑んだ。


「個人感情としては、除名した上で殺してやりたいくらい邪魔くさいけど、こればっかりはね。過去に暗殺者に殺されてきた政界の重鎮や大企業の取締役たちも、誰かにとっては大事な人だったんだろうし。そこは、おあいこよね」


 この人はほんわかした顔と声で、それに不似合いな発言をする。


 *


 その後、俺は枯野さんにメッセージを送った。

 まず、無常組の若頭、すなわち彼女のお父さんに、俺の目立つ行動を報告したのかの確認である。しかし彼女と別段親しいわけでもない俺は、一旦既読無視され、翌日になった今、思い出したように返事が来た。この返信内容を見る限り、やはりキルと俺の動向を無常組に報告したのは彼女みたいだ。


「俺、枯野さんのお父さんが気にするような面白い人間じゃないよ。恥ずかしいからあんまり言わないで」


 なんとか報告を止められないかと、慎重に交渉してみる。自分の報告のせいで俺が殺されかけているとは露とも知らない枯野さんは、不思議そうに疑問符をつけてきた。


「そんなに気にすること? うちの組は美月の家のボディガードみたいなものだから、美月に彼氏ができるとしたらどんな奴か伝えないと」


 枯野さんは、この頃日原さんと仲良くなった俺に対して大きく誤解を抱いている。彼女が俺をマークする理由は分かるが、その報告のせいでこちらは命を脅かされる。


「残念ながら友人のひとりだよ。たしかに日原さんは俺によくしてくれるけど、あの子が優しいのはみんなに満遍なくだろ」


「随分頑なね。そんなに、うちの組にバレたらまずいことでもあるわけ?」


 枯野のストレートな問いかけに、俺は返信を打つ手を止めた。

 バレたらまずいこと、というか、行動を監視され、暗殺者を遣わされるのがまずい。しかし俺とキルが狙われる理由は、日原さん暗殺を止めるためだ。仮にこれを説明したとして、枯野にとっては日原さんの方が大事なんだから、彼女には報告を止める義理はない。俺だって日原さん暗殺には大反対だから、自分が枯野さんの立場だったら真っ先に俺を敵視する。

 バカ正直に説明するわけにもいかず、俺は結局、「恥ずかしいから」とだけ返した。枯野の無意識の諜報活動は、俺には止められそうもない。

 スマホを両手で支えたまま、かくっと項垂れた。枕に顔をうずめて大きくため息をつくと、足元の辺りから声が降ってきた。


「枯野ちゃんを止めても無駄よ。学校にはスクールカウンセラー・古賀先生がいる」


「うわ!」


 海老反りになって飛び起きると、ベッドの淵に腰掛けるラルと目が合った。自室でひとりでリラックスしていたはずが、いつも間にか侵入されている。俺は上体を起こして、布団の上に座った。


「怖! いつからいたんだよ」


「失礼しちゃう。私、ちゃんとノックしたわよ? 返事なかったけど開けたし、なんかもだもだしててかわいかったから、気配消して近づいたけど」


「なんでそういうことするの?」


 返信に悩むあまりにラルに気づかなかった俺も鈍くさいが、暗殺者であるラルは、たまにこうして気配もなく現れるから質が悪い。ラルは俺を横目に続けた。


「で。枯野ちゃんを止めたい気持ちは分かるけど、仮にこの子を止めても古賀ちゃんがいる。あの人はカウンセリングルームに生徒を呼び込んで、お茶会を開く。咲夜くんのクラスメイトを引き込んで情報集めれば、枯野ちゃんの調査以上に成果を上げるわ」


「そうか、逃げ場がないな」


「キルは尚更学校には近づけないわね。美月ちゃんは安全だけど、今度は咲夜くんが危ない」


 ラルはちょっと可笑しそうに言って、それからこちらに紙袋を突き出してきた。


「はい、これ昨日借りたお洋服。洗って乾燥機にかけて持ってきたわ」


「あ、どうも」


 昨日ラルが俺の偽者になるために、勝手に持ち出していた服である。なんとなく、紙袋からいい匂いが漂ってくる。ラルは染めた頬に手を当てた。


「昨日は楽しかったわ。私、普段は『女』を武器にしてターゲットを誑し込んでるけど、男の子のふりをして女の子を惑わすのも興奮するわね。胸をサラシで潰して、靴で身長を調整して、いつもは全部武器にしていた自分の体を隠す……癖になっちゃいそう。咲夜くん、また服貸してね」


「そういう用途で使われるの分かってて、貸すわけないだろ」


「えー、でも楽しかった。本物の咲夜くんよりかっこよかった自信あるわよ?」


「俺より優秀すぎ、というか遊び慣れてる感じだった。よく日原さんにバレなかったな」


 俺は昨日のラルを思い浮かべて少し悔しくなったあと、膝を抱えた。


「どうしてもやりたいなら、実在しない人物のマスクでやってくれ」


「そうね、そうせざるをえないかな」


 ラルがやけにあっさり応じる。俺が少し顔を上げると、彼女はこちらを見つめて続けた。


「あの変装マスク、今新しくオーダーメイドで作ろうとすると、もう三ヶ月待ちなのよ。この前のはキャンペーンが適用されるタイミングを見計らって早めに注文していたからよかったけど、今はもう、他の暗殺者から注文が殺到してるみたいでね。オーダーメイドはただでさえ作るのに時間がかかるのに、たくさん注文されるともう追いつかないのよ」


「じゃ、キルとラルがまた日原さんとか俺に化ける心配はないんだな?」


「そうね。もうできない作戦だから話すけど、本当は美月ちゃんマスクを使って陸ちゃんに近づいて、スイリベールの情報を聞き出すつもりだったの。日原家とスイリベールに関係があるとして、当事者である美月ちゃんから鎌をかければ、陸ちゃんも話すかも……という作戦。あわよくば本物の美月ちゃんと入れ替わって、本物をどこかに誘拐し、じっくり殺す、まで考えていたわ。でも見誤った。まさかマスクが人気すぎて作れなくなるなんて……」


 ラルが長い髪をかき上げる。色っぽい仕草ののち、彼女は続けた。


「まあ、オーダーメイドは無理でも、量産品の変装マスクだったらいつでも買えるからね。それこそ『実在しない人物』の顔になって、いたずらしちゃうかも」


 ラルが嫣然と笑う。普段の姿でも老若男女を九割落とすというラルが、変装というスキルをものにしたら、一体どれだけ人を惑わすのだろう。考えるとちょっと恐ろしかった。

 と、ラルはちょんと、俺の腿に手を置いてきた。


「でね、咲夜くん。そんな変装がらみの相談で、わざわざこの部屋まであなたに会いに来たんだけど……」


 ラルのこういう所作に、いちいちドキッとしてはいけない。彼女の手を避け、数センチ腰を浮かせてラルから離れ、改めて聞く。


「相談とは?」


「私が仮装するとしたら、なにがいいと思う?」


 秋めいてきてハロウィンシーズンになってきたからだろうか。呆れる俺に、ラルは一枚の文書をこちらに突きつけてきた。


「じゃーん。フクロウ創立記念仮装パーティのお知らせよ」


「なにそれ」


「毎年この時期になるとやってる、アニバイベント。暗殺者もエージェントも事務局も技術者も、とにかく関係者だったら誰でも参加できる仮面舞踏会。皆でコスプレして、おいしいもの食べたり酒を飲んだりわいわいするのよ」


 俺ははあ、とため息みたいな返事をした。


「フクロウって暗殺組織なのに、妙に浮かれてるよな」


「フクロウは隠密の世界だから、基本皆、お互いの顔を知らない。活躍してる人の名前は耳に入ってくるし、私とキルみたいに手を組む場合もあるけど。仕事を回してくれるエージェントにすら、直に会う機会は殆どない。でも、このパーティのときは、そんな誰も彼もが接触し放題! 同業のお友達作りの絶好のチャンスよ」


 嬉しそうに声を弾ませるラルを眺めるだけで、俺は結局なんの仮装がいいかなんてアドバイスはしなかった。

 古賀先生が本格的に動き出し、俺だけでなく友人のキルも命を狙われているというのに、暢気なものだ。パーティなんかに浮かれているラルを横目に、俺はちらっとスマホに目を落とした。枯野さんからの返事はない。俺の短い返信を最後に、対話は終了していた。 


 *


 翌日、月曜日。俺は緊張気味に、教室でひっそり過ごしていた。いつどこから暗殺者に襲われるか分からないというスリルが、俺の体を強ばらせる。登校中はなにごともなかったが、先生はこの学校に勤務しているのだ、ひとりにならないよう、気をつけなければ。

 机の前には、陸がいる。


「で、俺はやっぱりコスプレ喫茶がいいかなって。咲夜はどう思う?」


「なんの話?」


 ぼうっとしていて、陸の話を半分以上聞き流していた。急に我に返った俺に、陸が苦笑する。


「文化祭の出し物の話! 朝のホームルーム、聞いてなかった? 金曜日の帰りに投票で決めるって言ってたじゃん」


「そうなんだ、全然聞いてなかった」


「なんかお前、最近いつにも増して疲れてるよな」


 陸は同情めいた目で俺を見た。


「まあ、両親不在で小さい妹の面倒見て、体の不自由なおばあちゃんにも気遣って、その上キルもいるんだもんな。よく頑張ってるよ、咲夜は。疲れちゃうのも無理ないよな」


 俺が上の空なのは暗殺者に狙われるこの状況の生せいなのだが、陸に話しても分かってもらえないだろうので、言わなかった。と、陸がぽんと手を叩いた。


「よし! 咲夜、今日、うちに泊まりにこい!」


「へ!? なんだよ急に」


「急でも問題ないだろ、近所なんだから。ガキの頃とか、お互いしょっちゅう泊まってたし」


 陸は自分で提案して楽しみになってきたのか、だんだん早口になった。


「ひと晩、全部から解放されてのんびりしよう。俺、話聞くからさ。そういうときのために俺がいるんだよ。たまには頼りにしてよ」


 陸の明るい笑顔に、俺はしばし、ぼうっと固まった。家族に不満はないし、暗殺云々に巻き込まれて困っているなんて話しても仕方ない。そう分かっているのに、今こうして手を差し伸べてくれる親友に、救われた気分だった。


「うん。ありがとう」


 ひと晩環境を変えたら、自分の気持ちも切り替わるかもしれない。そうすれば視野が広がって、この状況と対峙できる作戦を思いつくかもしれない。陸は満足げに頷いた。


 *


 そのままなにも起こらず、昼休みがやってきた。古賀先生はキルとは違って堂々と学校にいられる立場だし、しかも暇そうなのに、なにも仕掛けてこない。おかげでいつもどおりの日常が流れているので、俺も警戒を緩めはじめていた。

 先生を雇った無常組は、表向きは「世話になっている日原院長の娘を守るため」という名目で枯野さんを動かし、キルの妨害をしている。でもこれは正確には「院長と金で繋がった安井に流れる金のため」であり、「安井と癒着している無常組もおいしい思いをしたいため」であり、別に日原さんの命が大切だからではない。あくまで、彼女を駒のひとつとしてしか見ていない。それが無性に胸糞悪い。

 ぼうっとそんなことを考えながら、外の自販機に向かって歩く。廊下でばったり古賀先生に会ってしまったのは、そんなときだった。


「あ」


 口をつく俺と、先生の目が合う。五メートルほどの距離を開けて、互いに立ち止まる。


「ん、朝見くん。元気そうだね」


 にこっと笑う、白衣に癖っ毛のほんわかした青年。ウサギ柄のネクタイ、ウサギの頭がついたボールペン、首から下げた名札にもウサギのマスコット。眼鏡の奥で微笑む柔らかな眼差し。そんなほんわかした存在を前に、俺は全身が凍り付いていた。

 顔面蒼白の俺と、にこにこ微笑む先生。立ち尽くす俺たちの横を、昼休み中の他の生徒たちが横切っていく。

 先生は俺に襲い掛かるでもなく、楽しげに言った。


「元気そうだけど、少しぼうっとしてたね。考え事? あ、待って、当てる」


 訊いてきたくせにタンマをかけ、一秒後に、人差し指を突きたてた。


「文化祭の出し物、なにがいいか考えてた! 当たり?」


「全く違います」


「だよねー、君、今それどころじゃないもんね」


「主に先生のせいですね」


 俺が答えると、先生は楽しげに笑った。


「君、俺を頼りにするけど俺のこと嫌いだよね! 俺は朝見くんと仲良くなりたいんだけどなあ」


 窓の向こうに、飛んでいる鳥の影が舞う。俺はひとつ、まばたきをした。


「仲良くなったとしても、殺すくせに」


「そりゃあね! 仕事だもん。でも仲良くなりたいのは本当。仲良くなった人を殺すのに抵抗がないだけ。君の人格面は、結構好きだよ」


 この人は、こういう人である。

 廊下にいる他の生徒たちは、それぞれお喋りしていて、俺と先生の会話なんて耳に入ってもいないのだろう。周囲は相変わらず、平穏な時間が流れている。先生はにこっと目を細めた。


「なにを言いたいというと、そんなに警戒しないでほしいってこと。俺は君んちの白い犬みたいにガツガツしてないからね。こんな目立つ場所じゃ人殺しなんてしないよ。俺にだって面子はある」


 たしかに、今は周りに人がいる。学校においてもカウンセラーという立場を持っている先生は、ここで下手な動きはしないだろう。とはいえ、慎重に接するにこしたことはないので、俺は先生とこれ以上距離を詰めなかった。


「でも先生、一昨日、俺を追跡してたんですよね? そんな人相手に警戒するなというのは無理がありますよ」


「違うんだ朝見くん、俺はデートの邪魔をしたかったわけじゃない。むしろいい雰囲気になるまで見守って、ここぞというタイミングで君を殺して、映画よりドラマチックに演出してあげようと思っただけなんだ」


「弁明の口調ですけど、喋れば喋るほど却って印象悪くなってますよ」


「あはは! 相変わらずからかいがいがあるね、君は」


 先生が窓際の壁にもたれかかって、腕を組んだ。


「君ん家の番犬が吠えるから、追跡はすぐにやめたよ。目立つ真似はしたくない。だというのに犬がしつこくてね! 俺はまだなにもしてないのに、ナイフで襲ってきてさあ」


 大袈裟なため息をついて、彼は肩を竦めた。


「おまけに歩きなれない靴で転んで、階段から落ちて半泣きになってたから、俺が抱っこで医務室まで連れて行ってあげたんだよ。全く、人目さえなければその場で殺してやるのに」


「そ、それはどうも……うちのがご迷惑おかけしてすみません」


 あの日、キルはやけにぼろぼろになっていたが、あれは先生と戦闘になったのではなく、勝手に転んだだけだったようだ。

 先生が優しく微笑む。


「君にしろキルちゃんにしろ、どのみち殺さなきゃならないのは間違いない。けど、キルちゃんはさておき、君に関してはできればまだ殺したくないっていうのが本音。君、結構使えそうだからね」


 夏休み前、先生は俺の毒殺を試みた。そのときも彼はすぐには殺そうとせず、日々、俺をカウンセリングルームに迎え入れ、雑談をしていた。俺がキルを家に置いているのを知っていて、尚且つ、ミスター右崎の息子だと踏んだからだ。しかし俺がなかなか口を割らなかったから、殺すことにした。

 でも今の俺はキルが家にいるのを認めているし、当時は知らなかった親父の正体も知っている。先生にとって、情報源として見直されたのだ。

 先生がのんびりとした声で訊ねてくる。


「夏休みに入る前に訊いたとき、君は自分のミスター右崎について、あまり知らない様子だったね。今はどう? あれからなにか聞いた?」


 先生が俺とミスター右崎の関係をどこまで知っているのか、今のところ分からない。親子であると確信しているのか、まだ可能性の段階なのか。ここは、望みをかけてしらばっくれておく。


「キルが名前を出すときはありますが、俺は知らないです。俺自身は暗殺者じゃないんで」


「そっか。じゃ、君のお父さんについて、教えてくれる?」


 迷いなく切り口を変えてきて、俺は一瞬怯んだ。


「お、俺の親父? 料理人です。日本料理を海外に広める仕事をしてて、海外出張ばっかで家に寄り付きません」


 咄嗟についた嘘は、俺自身が十六年、そう教えられていた内容だ。


 廊下でお喋りする女子生徒の笑い声が響いてくる。先生は柔らかな眼差しで、俺を見ていた。


「君も知ってると思うけど、フクロウ内には、ミスター右崎を支持する派閥とその反対派がいる。俺も、あれに実権を握らせておくのはちょっと、組織のためにも良くないと思う」


 優しい目なのに、どこか脅迫的である。目を背けようものならその瞬間に首を獲られそうな、そんな不安が、俺を硬直させる。


「だから俺は、ミスター右崎を調べていた。自慢じゃないけど、心理士の資格を持ってるくらいには、他人から話を引き出すのが得意だからね。でもそんな俺でもなかなか辿り着けないくらい、ガードが堅い。まあ、当然っちゃ当然だけどね。正体がバレたら、愛しい我が子が怖い人に目をつけられてしまうもんな」


 皮肉っぽく言ってから、先生は続けた。


「五年前、フクロウ界隈である噂が流れた」


 窓から差し込む日の光で、先生の眼鏡がうっすら白っぽく光る。


「右崎が暗殺対象の視察に出かけた先で、女の子を保護した。まだ小学校に上がったばかりくらいに見える子供だったが、女の子本人いわく十二歳だったそうだ。右崎は『うちの長男よりひとつお姉さんなのに、こんなに小さい』と話していた……と、そんな噂。俺が持ってた右崎の情報なんて、それくらい。五年前に十一歳だった息子がいる、そんだけ」


 先生の目が、俺を離さない。


「そして今年、この学校の二年生の教室に、犬の着ぐるみみたいな恰好の、小さい女の子が現れた。見ていた女子生徒、枯野栄子ちゃんによると、着ぐるみの女の子は日原美月ちゃんに敵意を見せていたという。この小さな女の子、キルちゃんは、どうやらクラスメイトの朝見くんの従姉妹……と称しているらしい」


 やはり、枯野さんによるキルの目撃情報が無常組に渡って、先生が動き出したと見て間違いないようだ。


「朝見くんは年齢的にも、右崎の長男と一致する。掘り下げてみたら、父親の朝見暁吾は海外に出かけがち。偶然かな? ミスター右崎も、海外での仕事が多い」


 心臓を掴まれているみたいな気分だ。俺の背中には、薄く汗が滲んでいた。


「右崎が五年前に拾い、暗殺者に育て上げた少女、生島キルを自宅に匿っているという時点で、少なからず、君と右崎には接点がありそうだ。と、いうことで、俺は君から話を引き出して、確信を得ようと思ったんだ」


 だから、俺をカウンセリングルームに連れ込んだ、と。先生はへらっと、気の緩むような笑顔を見せた。


「なんて、仮に本当に君のお父さんイコール右崎だったとしても、息子にすら正体を明かしてないのは想定内。君の鞄に盗聴器を仕掛けておうちでの様子も窺ったけど、ご家族の誰もお父さんの話はしない。もしかして無関係なのか? って思うくらいに!」


「親父、家にいないから話題に上がらな……って、え!? 盗聴器!?」


 そんなものが仕掛けられていたとは知らず、鳥肌が立った。


「やだ! 気持ち悪い! やめてください!」


「はははは、プライベートを覗き見しちゃってごめんね。大丈夫、仕掛けて三日で外したよ」


「やだー! 信用できない」


 そういえばかつて、キルにも盗聴器を仕掛けられたことがあった。こいつら暗殺者は人をターゲットか駒かくらいにしか見ていないから、平気でこういうことをする。

 しかし先生が盗聴をやめているというのは、信じてよさそうだ。なぜなら先生と俺が交流を持って数日後、親父は家に帰ってきている。そのとき、右崎の正体についてはっきり語られた。もしそれが聞かれていたとしたら、先生は右崎の正体を確信しているだろうし、なんなら一緒に暴露された総裁の正体だって知っているはずだ。


 知らない素振りが演技ではないのも、間違いない。確信していたら、俺を情報源として生かしておこうとはしない。右崎を引きずり出すために、さっさと殺すはずだ。

 首の皮一枚繋がった。先生はまだ、右崎の動向を探るため、俺を生かしておきたいはず。

 先生は距離は詰めてこないものの、少し前屈みになった。


「目の動き、緊張、仕草。そこまであからさまに動揺されると、心理学のプロじゃなくても分かっちゃうよ。君、やっぱりなにか知ってるね」


 心理学のプロは、俺が白状する前に見抜いてきた。俺は数秒目を泳がせ、きゅっと、拳を握った。


「ごめんなさい、先生。俺、親父とはあんまり仲良くないし、ミスター右崎のことも、全然知らないです」


 心理学のプロにこんな嘘が通用するとは思えないが、俺はそう言い切った。わざとだ。知っているけれど、まだ言ってやらない。そういう意思表示だ。先生もそう受け取ったのだろう、不敵に微笑み、改めて切り出した。


「俺が君を殺したい理由、これだけじゃないからね。美月ちゃんを殺そうとするキルちゃんを困らせるため、でもある。それを忘れないでね」


 ……俺が親父について口を割らなくても、キルの動きが過激になれば、俺を殺すのも厭わない。という意味だろう。親父の情報を盾にしていれば殺されないなんて、甘い話ではないみたいだ。

 廊下の女子生徒の笑い声がこだまする。平穏な学校の空気が、遠く感じる。

 先生は眠たそうにまばたきをした。


「さて、キルちゃんはこの頃どう? 相変わらず君を悩ませてる?」


「先生、一昨日キルに会ってますよね?」


「会ったけど、あの子はすぐ怒るから、君みたいにゆっくりお喋りできないんだよ。今どんな感じなの?」


 キルの動向の調査だろうか。俺は当たり障りのない返事をした。


「おっしゃるとおり相変わらず。日原さん暗殺、失敗しまくってるけど懲りずに狙ってはいます」


「それだけがっついてるなら、いつかは運よく成功しちゃうかもね。美月ちゃんが死んじゃったら、君も嫌でしょ? どう? 俺に協力してくれない?」


「それとこれとは話が別です」


 日原さん暗殺を止めるのが仕事、という点では、俺は先生に大賛成である。ただ、その止める手段が俺とキルの殺害だから、協力とはすなわち死である。


「先生は、俺が持ってる情報、欲しいんですよね。情報を売れば、延命してくれるんですよね」


「話が早い! 流石、自宅で暗殺者飼ってるだけはある」


 先生がご機嫌な声で俺を褒め称えた。そして眼鏡のブリッジを指で押し上げ、微笑んだ。


「取引をしよう、朝見くん。キルちゃんの動きを、俺に流してくれないか。そしたら俺は先回りして、美月ちゃんを守れる」


「あっ……!」


 これには素で、名案だ、と思った。

 理由はさておき、日原さんを死なせたくないという点では、先生と俺の利害は一致する。俺はキルを匿うと同時に見張る役割をしているが、あいつの行動は俺ひとりで止めるには無理がある。同じ暗殺者である先生が協力してくれるのは、心強い。実際、映画館で日原さんが襲われていたら、日原さんは本当に死んでいたかもしれない。キルが作戦を放棄したのは、先生がいたからだ。


 先生としても、俺からキルの行動を聞き出せれば、日原さんを庇いやすくなる。そして、情報を売る俺は先生にとって役立つポジションになるから、殺されずに済む。

 これ、最高の取引なのでは?


 返事をしようとしたそのとき、スピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。先生がおっと、と呟く。


「昼休みが終わっちゃった。俺、午後一で洋ちゃんに呼ばれてるから、もう行かなくちゃ」


 洋ちゃんとは、本校の校長のことである。彼は踵を返し、最後にひらっと手を振った。


「取引、考えておいてね」


 先生の背中を見送り、俺も彼に背を向けた。自販機には行けなかったが、もう教室に戻ろう。そういえば先生は、なんの用事があってこちらに向かってきていたのだろう。俺にこの取引を持ちかけるつもりで、会いにきていたのだろうか。考えても分からないので、考えるのはやめた。


 *


 その日の夜、俺は惣菜屋の裏口に訪れていた。陸が明るい笑顔で出迎える。


「よ、咲夜。今夜は語りつくそうぜ」


 惣菜屋、すなわち陸の自宅。彼の部屋に泊まるため、俺は着替えや宿題を持って、ここへやってきた。


「お邪魔します。なんかこういうの、小学校以来だな」


「な! お互いでかくなったから、部屋、狭いかもな」


 陸の家へのお泊りは、家族みんな快く送り出してくれた。遊びにいくくらいは今もよくあるが、泊まるのは久しぶりだから、ちょっとそわそわする。

 小学生だった頃は、ばあちゃんが今より体の自由が利いたから、ばあちゃんにまひるを任せてこられた。中学に上がったくらいから俺自身の責任感が成長し、あまり外泊をしなくなったのだ。

 とはいえ、今はまひるもちょっとだけ大きくなったし、ばあちゃんも、不自由ではあれどかなりしっかりしている、と俺も知っている。なにせ総裁だ。キルもいるし、最悪、いざとなればすぐ家に帰れる距離だ。

 因みにキルは誰より喜んでいた。「りっくんから美月とスイリベールの関係について聞き出すチャンスだ! ぬかるなよ!」とのことだ。


 豪快で明るいおじさんとおばさんが、夕飯を出してくれる。仲のいい口喧嘩をしては笑っている陸の家族は、そこに混ざると楽しくて、少しだけ、羨ましい気もした。

 これが一般的な家族の姿。俺とまひるとばあちゃん、あとキルと、遠くにいる親父、という我が家とは、全く違う。構成が、という意味ではない。陸の家は誰も暗殺者ではないし、エージェントでも総裁でもない。ナイフが飛び交う闘争なんて起こらないし、いつの間にか痴女が侵入していることもない。なんて平和な家庭だろうか。


 皿洗いはやらせてもらい、そのあと風呂を借りて、陸の部屋で宿題をする。途中でふたりして気が散って、陸は早々に布団を敷きはじめた。


「どうだ咲夜。気分転換、できた?」


「うん。ありがとな」


 まだキルがうちに来る前、自分の家族が暗殺一家だったとは知らず、ここと同じ平和な一般家庭だと思っていた頃。あの頃の日常を、反芻するようだった。


 陸が布団の上で胡坐をかいた。


「咲夜、高校生なのに家を支えようと頑張りすぎじゃねえかな。まひるがまだ小さいし、おばあちゃんも心配なんだろうし、自分がしっかりしなきゃって思ってるのかもしれないけど。俺から見ると、もうちょっと、楽してもいいと思うんだよ」


「そうか? 俺、結構自由にやってるつもりだけど」


 料理は単なる趣味だし、他の家事は家族で分担している。俺ばかりが背負っているわけではない。しかし陸は、困り顔で首を傾げた。


「それは分かってるんだけどさ。でもキルを預かったくらいから、明らかに忙しそうだぞ。流石に無理してるだろ」


「いや、それは……」


 キルが来てから環境が変わったというのは、まごうことなき事実だ。といっても、それはあいつが暗殺者だったせいであって、俺が家族のために無理している、とかではない。

 陸が俺の分の布団を敷く。俺は促されるまま、そこに腰を下ろした。


「陸の家族みたいなのにはそれはそれで憧れるけど、俺は俺の家族が好きだし、……親父はあんま好きじゃないけど、今の生活がきついとは、思ってない。それは本当。でも、陸が心配してくれるのも、分かる」


 膝を抱えて座り、自身の膝を見つめるようにして、訥々と喋る。

 暗殺者に振り回されて疲れている俺が、陸の目には、従姉妹の世話まで回されて苦労しているように映ったのだろう。しかし陸に暗殺云々を説明したところで信じてもらえないのがオチだ。かといって上手く言い訳もできないので、俺は、あまり考えずに話し出した。


「これは疲れてぼーっとして、変なこと言ってる奴の戯言だと思って、聞き流してほしいんだけどさ」


「うん」


「キルはあんな恰好してるけど暗殺者で、日原さんの命を狙ってる。ラルはその協力者でさ……」


 という設定の暗殺者ごっこだと、陸には認識されている。それも分かっているけれど、陸が聞いていてくれるので、こちらも垂れ流すように喋った。陸が頷く。


「うん。それマジなんだってな!」


 陸の相槌を、俺は一瞬聞き流し、耳を疑い、勢いよく陸を振り向いた。


「えっ!?」


「いやあ、すっげーよな。キルの身のこなしがやたら軽いの、めっちゃかっこいいよな! 流石暗殺者。一瞬で背後取るんだろうな」


 疲れておかしくなっていると思って、俺に話を合わせているのだろうか。いや、そんな感じではない。これは心から、キルの暗殺者としてのスキルを認めている。


「は!? 今まで俺が何度説明しても信じてくれなかったのに、急に!?」


「ははは、すまんすまん。咲夜が言うと冗談に聞こえるから、そういう遊びなんだと思ってたんだけど、古賀先生も同じこと言ってたからさー」


「古賀先生と話したのか!? ていうか、軽いな! ノリが!」


 さらっと出てきたその名前に、思わず大声が出た。陸は平然と言う。


「ほら、こないだ咲夜が体育倉庫に閉じ込められてたとき、俺、休み時間にお前を捜してたんだけどさ。そんで保健室見に行ったら、古賀先生と会ってな、友達がどっか行ったって話したら、先生も咲夜のこと知っててな」


 陸の話によると、陸は俺をきっかけに古賀先生と知り合い、その後もたまにカウンセリングルームに遊びにいくようになっていたらしい。

 先生は俺とキルの情報を集めるために、俺のクラスメイトを利用する……と、ラルが推察していたのを思い出した。まさに陸がロックオンされたというわけか。青ざめる俺をよそに、陸が軽やかに話す。


「でな、先生に、咲夜は従姉妹の世話までしてて疲れてる、なんか暗殺ごっこに嵌ってるし大丈夫かなって相談したんだ。そしたら先生までキルは暗殺者、美月ちゃんが殺される、なんて言い出して、なんなら先生自身は、美月ちゃん暗殺を止めるためにこの学校に来たとまで言ってた」


「先生、無関係の陸にそこまで話したのか」


「で、咲夜の話と一致してるし、俺も『もしかして咲夜が言ってたの、本当だったのかな』って気づいたんだ。いやー、今まで全然信じてなくてごめんな」


 陸の口調は、普段どおり、教室で雑談するみたいな軽さだった。俺は唖然として、しばし言葉を失っていた。陸が腕を組む。


「今日の咲夜はぼんやりしてたから、古賀先生が言ってた暗殺者関連でなんか大変なことあったのかなと思って、こうして泊まりにくるように誘った。家族のことで悩んでる、っていうか、家族と化している暗殺者のことで悩んでるんだろうなと。だから、まひるとおばあちゃんという弱き者を守ろうとして、お前が苦労してるのかな、とか」


「あ、俺が家のことで悩んでると思ってたの、そういう意味だったのか!」


 予想の斜め上の心配をされていたのに、今頃気づく。陸は改めて、真実を振り返った。


「キル、従姉妹じゃなかったんだな。美月ちゃんのお父さんが政治献金? とかなんとかよく分かんないけど不正してたってのも残念だったし。咲夜の言うことが本当だったとしたら、ラルちゃんが俺に近づいてきたのも、なにか意図があったんだなと思うし……」


 彼は一旦そこで言葉を切り、真剣な顔になった。


「なによりいちばん驚いたのは、キルがあの見た目で十七歳ってとこだ」


「そこ?」


 俺は素っ頓狂な声を出した。


「たしかにびっくりだけど、『いちばん』ではないだろ。もっと驚くポイントがたくさんあるぞ」


「そうだな、いちばんではないかも。従姉妹の小学生だって紹介されてたから、お前ん家にいるのも納得してたけど、赤の他人の十七歳だったとなったら、それと暮らしてる咲夜がちょっと羨ましくて、そこの方がびっくりしたかな」


「いやいや、あいつ暗殺者だし……って、どっちにしろそこより驚くポイントあるよ。殺人に躊躇がない奴らが身の回りにこんなに潜んでたんだぞ? 危機感ないの?」


 困惑する俺を見て、陸は可笑しそうに笑った。


「そうかもしんないけど、まあ、今更どうしようってものでもないしなー」


 時々俺は、陸は最強だなと感じる。キルの攻撃を無効化するという物理的な強さもだが、こういうときに発揮される鋼のメンタルもそうだ。細かいことは気にしない、というか、細かくないことも気にしない。

 俺が母親を亡くしたばかりだった頃、周りの友達や大人たちは、俺に同情して、腫れ物に触るように接してきた。でも、陸だけは不躾なくらいいつもどおりで、だから俺も、すぐに現実を受け入れられた。そんな、十年近く前の日を思い出す。

 陸はさて、と切り替えた。


「でさ、思い返してみると、咲夜はキルを家に匿っていながら、キルの味方をしてるわけじゃないんだよな。むしろ、美月ちゃんが危ない目に遭わないように、美月ちゃんを庇ってた。トラップが仕掛けられた部屋から出て行くように促したりとか……」


「そう、そうなんだよ!」


 俺はつい、前のめりになった。


「キルが日原さんを殺さないように、行動を見張って、邪魔してたんだ。つってもあいつはプロだから、俺にできる妨害なんて限られてるけど」


「だよな! 咲夜だって、美月ちゃん好きだし死なせたくないよな」


「好……大事な友達だから、そりゃあ。ていうか、友達じゃなかったとしても、仮にあんま好きじゃない人だったとしても、誰であろうと殺されそうになってたら止めるだろ、普通」


 ちょっと面食らってから、俺は陸をじっと睨んだ。


「ともかく、日原さんも陸も信じてくれなかったから、大変だったんだからな!」


 そんな俺を可笑しそうに窺い見て、陸は続けた。


「ははは、だからごめんて。俺も美月ちゃん、死なせたくない。これからは、俺も咲夜に協力する」


 彼はやはり普段どおり、世間話のように言う。


「これ、美月ちゃんには教えない方がいいか?」


「話しても信じてもらえないよ。これだけ嘘みたいな話だから、仕方ないけどな」


「でも信じてもらえなかったの、キルが暗殺者だって話しかしなかったからだろ。お父さんの政治献金問題がきっかけで、ってとこからちゃんと説明すれば、いろいろ納得するんじゃないか?」


 陸が枕を抱える。


「美月ちゃん本人に自覚してもらった方が、危機管理はしやすいけど……自分のお父さんが原因でこうなってるって知ったら、傷つくよな。そう思うと、やっぱ教えない方がいいのかなって気もする」


「うん……」


 陸の言うとおりだ。日原さん自身に気をつけてもらえるにこしたことはないが、真実を伝えれば彼女を安易に傷つける。そして傷ついたところで、意識の面が変わる程度で、彼女を取り巻く現実は変わらない。俺は陸に同意した。


「できる限り、悟られないようにしようか。本当にどうしようもなくなったら、説明しよう」


「だな。まあ、大丈夫。キルはたしかにプロだから、邪魔すんの難しそうだけどさ。咲夜と俺と古賀先生が協力すればなんとかなんじゃね? 咲夜と俺だけじゃ厳しくても、先生はキルと同じ暗殺者なんだし」


「そうだな……って、古賀先生? あ、そっか。お前、古賀先生から話を聞いてるから、古賀先生のやばさを分かってないんだった」


 俺はハッとして、陸に事情を打ち明けた。


「先生は日原さんを守りたい勢力に雇われてるのはたしかなんだけど、日原さんを守りたいがために俺とキルを殺そうとしてるんだよ」


「あ!? そうなの!?」


「そう。俺がここんとこ上の空だったの、そのせいだからな」


「マジかあ、仲間だと思ったのに。危ねえ、これからも情報共有する気でいたわ」


 陸の言葉を受けて、どきりとする。考えてみたら、陸は先生から、先生の都合のいいように、説明を受けているのだ。陸はもうすでに、先生の仲間かもしれない。

 急に不安に襲われ、俺は抱えていた膝をさらに抱き寄せた。腕の中に顎をうずめるような姿勢で、自分のつま先を見つめる。


 先生と協力して、キルによる日原さん暗殺を食い止める。それはすなわち、キルの殺害を意味する。

 陸は俺の味方をする素振りを見せているが、実は先生の側についていて、俺とキルの次の行動を先生に流す……とか。陸からすれば、先生に協力するメリットは、充分にある。先生は日原さんを守ってくれるからだ。そのためなら、俺やキルを売ることも、あるかもしれない。

 そこまで思った矢先、陸が言った。


「とはいえ咲夜のことだから、美月ちゃんを助けたいと同時に、キルも大事なんだろ?」


 彼の言葉に、俺ははたと、顔を上げた。陸は枕を抱えて、こちらを見ている。


「美月ちゃんを殺す仕事を請け負ってるとはいえ、俺にとっては友達だし、咲夜にとっては同居人だ。人懐っこくてかわいいしな」


 陸はにこっと、明るく笑って見せた。


「美月ちゃんもキルも上手くいく方法、一緒に考えようぜ。俺、頭悪いけど、咲夜も良くはないし、ひとりで考えるよりマシだろ」


 子供の頃から変わらない、裏表のない笑顔だ。


「言ったろ。そういうときのために、俺がいるんだよ」


 そうだ、俺は陸を、お互い小さかった頃から、ずっと見てきている。

 俺はなぜ、一瞬でも、陸を疑ったのだろう。こいつが俺を売るとか、日原さんを庇うためにキルを犠牲にするとか、そんなことを考える奴ではないのくらい、誰より分かっていたはずなのに。

 信頼を示すため、自分の中でそのけじめをつけるため。俺は、腹を括った。


「あのさ、陸。これ、古賀先生に絶対に言わないでほしいんだけど」


「なに?」


「親父も、暗殺の関係者なんだ。俺、キルに仕事を委託したエージェントの息子」


 古賀先生が求めているそれを、はっきり、陸に伝えた。陸は数秒ぽかんとしてから、目を丸くした。


「マジで!?」


 ひと際大声で反応したかと思うと、彼はけらけらと笑い出した。


「海で言ってたやつ、あれ本当だったんだ! 似合わねえ! あ、でもお前がエージェントなんじゃなくておじさんが、なんだよな。咲夜は不可抗力か。そう思うとやっぱちょっと似合う!」


「うん……だからさ、俺、人を殺すのに躊躇いがない人に育てられてきたんだよ。引くだろ」


「でも咲夜自身は、虫も殺せないよな。ははは、やっぱ似合わねえ」


 軽蔑の表情は、一瞬だって見せられなかった。そうだ、こいつはそういう奴なのだ。


「陸。俺、今、世界でいちばん陸が好き」


「ははは! そんな熱烈に好かれてもなー」


 陸が豪快に笑い飛ばすと、廊下からおばさんの声がした。


「あんたたち、いつまで起きてるの。明日も学校でしょ!」


「怒られた! 楽しくて騒ぎすぎた」


 陸はおばさんから隠れるかのように、シュバッと布団に潜った。そして少し隙間を作り、顔を覗かせる。


「美月ちゃんかキルか、どっちかに絞った方が、どうしたらいいのか、方向を決めるのは楽だと思う。両方って、難しい。二兎を追う者は一兎を得ずってやつだ」


「うん」


「でも、二兎を追う者だけが二兎を得る、とも言う。俺はどっちも諦めないぜ。咲夜もそうだろ」


 布団から覗く陸の目が、きゅっと細くなった。


「ラルちゃんにも幸せになってほしいから、三兎追いしてやろうぜ」


「お前……ラルに嵌められてたのを分かってる上で……。いい奴だな」


 やっぱり、俺の幼馴染みで親友のこいつは、最強だ。改めてそう思った。

 その夜はなんだか、なにも解決していないのにすっきりして、気持ちいいくらいよく眠れた。


 *


 翌日、俺は自分からカウンセリングルームに出向いた。古賀先生は驚くでもなく、にっこりスマイルで俺を受け入れた。


「来てくれて嬉しいよ! コーヒー飲む?」


「自白剤とか入れられそうなので結構です。今日は昨日の取引の返事をしに来ました」


 怖いので、部屋の戸は開けっ放し、ソファにも座らず、立ったままで話す。

 先生も立ったまま、コーヒーカップを手に、俺の次の言葉を待っている。俺が先生にキルの状況を報告し、先生が日原さんを守る。そういう、取引。俺はぺこりと頭を下げた。


「折角の提案でしたが、すみません。やっぱできない、です」


「そっか」


 先生は柔らかな声で言った。俺は顔を上げずに続けた。


「一時は、最高の条件だと思いました。でも考えてみたら、先生の言う『日原さんを守る』って、キルを殺すという意味だったなと思って……」


 昨晩、陸と話していて気づいた。交渉の場での先生の言い方は、キルに日原さんを襲わせないよう、追い払う手立てを用意する、くらいに聞こえた。でも先生の仕事は、生島キルの殺害だ。日原さんを守るのが目的だとしても、目標はキルの命だ。騙されてはいけない。

 俺は、陸が俺を売らないと信じている。俺も、キルを売らない。

 先生はあははっと軽快に笑った。


「気づいちゃったか! まあ気づくだろうなとは思ったし、気づいたら君がこの条件を呑んでくれないのも分かってた。そもそもキルちゃんは君に邪魔をされてるから、作戦を全部君に打ち明けるわけでもない。はじめから君にはさほど期待してないから、そんなに謝らないで」


 先生はちょっと意地悪く言った。


「朝見くんが優しくしてくれないなら、他の子に行くまでさ。今までどおり地道に情報収集するとしよう」


「陸に近づくのはやめてください」


 俺は咄嗟に、顔を上げた。俺と目が合うと、先生は真剣な声色で言った。


「どうしよっかな。俺、あの子結構好きなんだよね。朝見くんと同じくらい好き」


 彼がソファに腰を下ろす。


「海原陸くん、朝見くんの友人だよね。俺が彼と接触したことは、海原くんから聞いてるよね。キルちゃんも注目している子のようだから、ぜひ、話をしてみたかった」


 俺はそんな先生を見下ろし、憮然としていた。先生がひとつ、まばたきをする。


「でもこちらから仕掛ける前に、彼の方から鎌をかけてきた。朝見くんがキルちゃんと生活し、暗殺者ごっこをしている……と、彼の方から話題を振ってきたんだよ。そのわりに、こちらからの質問は器用にかわす。あくまでなにも知らないかのように、表情に焦りも同様も見せずにね」


「なにも知らないからですよ、それ」


 つい、素で突っ込んだ。古賀先生はまた、いたずらっぽい微笑を取り戻した。


「うん。俺でも見抜けないほどものすごく嘘が上手いんじゃなければ、あれは本当にただの一般人なんだよね!」


「そうなんですよ! それなのにキルは、あいつを日原さんを狙う暗殺者であり、尚且つスイリベール王朝のSPだとか言ってて、反論しても分かってくれなくて!」


 つい、俺は先生に大きく頷いた。キルもラルも全然分かってくれないのに、先生があっさり俺の主張を呑み込んでくれて、どこかほっとしてしまった。

 流石、心理学のプロだ。陸の挙動が演技ではないと、ちゃんと分かってくれている。先生も苦笑いで同意する。


「キルちゃんが彼を嗅ぎ回っていて、ラルちゃんを使って手玉に取ろうとしているのまで調べがついてる。無関係のただの高校生相手に、そんな無駄なことしてる。おかげで美月ちゃん暗殺から気が逸れてるからいいけど」


「でも、陸にいらん迷惑かけないか心配で……」


 俺が項垂れると、先生は優しく返してくれた。


「大丈夫、君は彼の大らかな人柄を知ってるでしょ。迷惑はかけるかもしれないけど、そんなことで君を嫌いになったりしないよ。そういう間柄なんでしょ? 君たちは」


 先生は、俺とキルの命を狙う暗殺者だ。でも、先生のなにからなにまで全部嫌いなわけではない。日原さんを狙うキルを嫌いになれないのと同じで、先生に救われている自分がいるのも、たしかなのだ。

 言葉を呑む俺をふんわり見つめ、先生は言った。


「さ、そろそろ次の授業が始まる時間だよ。いつまでもここにいると殺しちゃうぞ」


「カジュアルに脅さないでください。失礼します」


 俺は肩を竦めて一礼し、カウンセリングルームをあとにした。

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