第40話 なにか

 六角の指さした先に立っていた影は、滑るように柱の陰から出てきた。信じられないほど細い老人だった。老人は張りのある、しかしどこかねちっこいような声で話しかけてきた。


「よく気がつきましたねぇ、さすがは六角秋水ろっかくしゅうすい、いや『水月すいげつ』と呼んだ方がいいんですかねぇ?」


「誰だ?」


「誰だと聞かれて応えるような奴がいるわけが無いでしょう。あなたは馬鹿なんですか?」


「ハッハッ! 悪役は正体を明かしたがるもんだと思ってたがそうじゃないのか。まあとりあえずそこに寝てる子を返してもら――」


 六角がそこまで言ったところで天井からもの凄い勢いで何かが降ってきた。


「六角さん!!」


 砂埃が巻き上がり辺りの様子が見えなくなってしまったが、アグニと冬司にはそのが六角に直撃したように見えた。

 若干の恐怖と緊張でこわばろうとする体をなんとか落ち着かせて敵の襲来に備える。


「「…………え?」」


 もうもうと立ちこめていた砂埃が落ち着くと、六角さんは何事も無かったかのように頭をポリポリとかいている。

 老人の横には身長は老人の2倍、幅は3倍もあろうかという大男が立っていた。アグニと冬司が何をすべきか決めかねていると、六角は突然笑い出した。


「アッハッハッハ! 雑魚じゃねえかよ爺さん! おいお前ら、こいつらの相手は俺一人で十分だ。隙があれば一条を担いで外まで走れ」


「「……はい!!」」


 アグニと冬司はそう返事をしつつひどく安心していた。明らかな敵という者に会ったことがなかったためにどうすればいいか全くわからなかったのだ。老人は鼻で笑うと大男に


「私はこのまま進めるから、君はあいつらを止めておきなさい」


 と言って後ろの方に下がっていってしまった。

 そして気がつくと六角さんは大男に向かって飛び出していて、彼の体からは青色の光が溢れ出ていた。

 大男は人なのか疑わしいうめき声を上げながら六角さんのパンチを受け止めた。衝撃で周囲に突風が吹き、僅かに立ちこめていた砂埃はすべて吹き飛んだ。



 レベル7、それはほとんど人智を超えたような力をもっただ。どれほどの鍛錬を積めば、どれだけの才能が有れば到達できるのか、想像もできないような世界、そんな世界の住人がレベル7、スローン級の人間なのだ。


 そんな尋常ならざる力を持った男が本気を出したらどうなるのか、物語の中の様な景色がアグニと冬司の前に広がっていた。

 目の前の光景が信じられなくて、アグニは何度も目をこすった。自分の目が信じられないなんていう経験は人生初だった。


 二人は激しく打ち合っていて、その一撃ごとに空気が震えているのがわかった。

 攻撃の速さでいえば明らかに六角さんの方に分があった。しかしどんなに早い攻撃でも効かなければ意味が無い。大男に比べれば小柄な六角さんは僅かに押されているようだった。

 すると六角さんの体を覆っていた青い光が背中側に集まり始め、凍てつくような蒼さの大きな翼を形作った。すると六角さんの攻撃は先ほどまでとは比べものに鳴らないような轟音を鳴らし始め、吹き荒れる風も強くなった。


 ちょうどその時、六角さんの放ったパンチを跳ね上げた大男が咆哮とともに体勢を崩した六角さんに向かって突進する。六角さんは全く避けようとしない、いや避けられる体勢では無いのだ! そして次の瞬間、もの凄い音がして六角さんに大男が衝突した、ように見えた。


 何故か大男がうめき声を上げて倒れ込む。すかさず六角さんが両の掌を大男に向けて何か唱えた。

 すると背中に生えていた蒼い翼から鎖のような物が幾重にも重なり合って飛び出した。鎖は地面に突き刺さったかと思うとすぐに地面を突き破って飛び出し、大男を雁字搦がんじがらめにした。大男は激しく暴れて抵抗したが、鎖は激しく巻き付くだけだ。


 勝った!


 アグニはそう確信したが、何故か六角さんはとどめを刺さない。どうしたのかと思って六角さんの方を見ると、顔から腕から、信じられない量の汗が滴っていた。

 息も苦しそうで、ゼエゼエという音が聞こえてくる。


「熾! お前が、ゼェゼェ、やれ!」


「…………え、あ、はい!」


 アグニは知らぬ間に硬く強ばっていた体を脱力して縮地の構えをとった。そして息を止めると地面を強く蹴り出して、大男に向かって雷鎚を撃ち放つ。

 落雷のような音がして次の瞬間、激烈な衝撃と共に男を中心に地面に亀裂が広がる、そして竜巻でも起こったのかというほどの風が辺りに吹き荒れた。


「やりました六角さん!」


 そう言ってアグニが振り返ると、六角さんは膝をついて苦しそうにしていた。いつの間にか羽も鎖も消えていた。

 冬司とアグニは六角の方に駆け寄った。


 すると柱の陰でなにやらやっていた老人が出てきて、大男に近づくと体を触り始めた。なんの躊躇ためらいも無く男の皮膚を裂いていく。


「やはり適合率38%ではこんなものかぁ、フンッ、使えんなぁ」


 そう言うと心臓の辺りに手を突っ込み、男の体内から黒く光る何かを取り出した。「ブチブチ!」という音が聞えたかと思うと、男のうめき声は聞えなくなってしまった。


「う~む、どうせもう実験台もいないしなぁ。帰るかぁ」


 そう言って老人はポケットからスイッチのような物を取り出した。

(押させたらだめだ!)

 あまりの出来事に呆然としていたが咄嗟にそう直感したアグニは老人に向かって縮地で飛び出した。


 バギャァァァアアン!!!!!


 そのまま雷鎚を放ったのだが、アグニの攻撃は突然現れた半透明の障壁で阻まれてしまった。障壁にはヒビこそはいったものの、老人までは届かなかった。


 すこし驚いた様子ではあったが老人はそのままボタンをおして、次の瞬間溶けるようにいなくなってしまった。

 周囲から何か重たい物が地面に落ちる「ガシャンッ!」という音が聞こえ、それに続いて巨人の叫び声が空間中に鳴り響いた。膝をつき腕までついていた六角さんがフラフラと立ち上がると二人に向かっていった。


「ゲホッ、ゲホゲホッ! 熾! 笹木! 一条を連れて、ゲホ、逃げろ!」


「けど」


「心配するな、ゴハァッ、この程度の巨人なら、ガハッ、どうとでもなる。だから帰れ!」


「…………嫌です!」


「だまれ熾! 命令だ! 一条を連れて帰れ! 笹木! 連れて行け!」


 六角さんはアグニの方を鋭い目つきで睨みつけ、威嚇するようにそう叫んだ。しかしアグニはダンジョンの中に一人で残される辛さが何よりも強く記憶に刻み込まれている。例えそれがスローン級だろうと誰だろうと、一人で残していくことなど到底出来ない。


「…………見てて下さい」


 アグニはそれだけ言うと脱力して「トーンッ、トーンッ」と軽く飛び始める。


(巨人は全部で13体、さっきの巨人より一回りも二回りも大きな奴ばかりだが、やってやれないことなんて無いはずだ。白い化物だってそうだ、諦めなかったから生き残れたんだ。諦めなければどうとでもなる!)


 「フッ」と息を吐くのと同時に全力で地面を蹴る。

 まずは一体目、腹部に向かって全力で雷鎚を放つ。いつもより拳に力がのっていたような感覚がした。雷が打ち込まれたのかと錯覚するような音がした直後、巨人の体が

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る