第20話 宝生家と漫才

「あ、そこ気を付けて! ゴンのうんこあるから!」


 奏樂がそう言った時には既にアグニの足はうんちの真上だった。

 グニュッという嫌な感触が足の裏に伝わってきたが、そんなことは気にならないほどにアグニは緊張していた。


(あ~やばい~なんで入るなんていってんだ~どうしよ~やばい~まじでやばいしか思いつかん。あれ、右足の次は左足?右手はいつ前にだすんだ?あれ息ってどうやって吸うんだ?)


 アグニはそんな精神状態で宝生家に入っていった。


「靴はその辺に寄せといてね。あ、なんか飲む? 多分四ツ谷サイダーならあるよ」


「あ、じゃあ、それもらう、もらおっかな」


 廊下を歩いて突き当りにあるリビングにはだいぶ前によく見た机が置いてあった。


「あんまり変わってないんだな」


「ん? あ~そうだね。けどそんなに家具とかって変えないじゃん」


「まあ確かに……」


 奏樂がコップに飲み物を注ぐ「トクトクトクトク」という音が聞こえてくる。

 椅子に座ってチラリとそちらを見ると、ソラが真剣な目つきでコップを横から見ている。同じ量かどうかを確認しているのだろうか?

 少しだけ右のコップにサイダーを足すと、ソラは満足げに頷いてコップを持って歩いてきた。

 急いで視線を窓の外に向ける。


「はいどうぞ! 完璧に同じ量だからどっちでも好きな方を選んでいいよ!」


「いや別に、どっちでもいいけど……」


「え!? 前は多いほうがいいってセイラちゃん(アグニ姉)と喧嘩してたのに……成長したんだねぇ」


「何歳だと思ってんだよ、ガキじゃないんだから。ってヨシヨシしようとするな!」


「え~だってヨシヨシしたいんだもん」


 にやけそうな口角を必死に抑えてハードボイルドな顔をする。


「どうしたの変な顔して? ブルドックみたい」


「いや、ちょっと鼻がかゆくて」

(グハァ!!)


「そういえば最近ダンジョンにいたんでしょ? どうだったの?」


「……え?」


「あ!ごめん! そんなこと思い出したくないよね! ごめん何にも考えないで訊いちゃった」


「いや全然大丈夫だよ。もうあんまり覚えてないし」


 実際まだ出てきて何日かしか立っていないということが信じられないほど、ダンジョンの中での記憶は遠い過去のことのように感じていた。


「いや、私が訊いたけどもうこの話はやめよ。ごめん」


「いや大丈夫だって、そんな覚えてないから」


 その後はひたすら気まずい沈黙が流れた。コップを置く「コトッ」という音と、氷のぶつかる「カランッ」という音だけが繰り返される地獄の空間だった。


 このときアグニの頭の中には、「やばいやばい、このままだともう二度と家に入れてもらえない!かといって何を話せばいいのかも分からない!まずいまずいやばいなー!ハッハッ呼吸をしっかりするんだ」という考えがひたすらに駆け巡っていた。


 すると突然インターホンが鳴った。ソラが玄関に出て行った。戻ってきたソラはどういうわけかアグニの姉ちゃんをつれていた。


「……え? なんで?」


「いやこっちの台詞だよ! なんであんたがソラの家にいるの!」


「鍵もってくの忘れたから」


「アッハッハッハ! あたしも! いや~奇遇だね!」


「父さんみたいな笑い方だな」


「何でそんなこと言うの!! あたしは人類でしょうが!!」


 姉ちゃんはそう言ってグーパンチをかましてきた。

 だけど姉ちゃん、それだと父さんが人外ってことになっちゃうよ。

 アグニは口には出さずにそうツッコんだ。


 そして1時間後、母さんが家に帰ってきた音がしたから、アグニが確認しに行くとやはり帰ってきていたから、二人でソラにお礼を言って家へと帰っていった。



 二人が出て行った宝生家では、ソラがソファに座って天井を眺めていた。


「なんであんなにドキドキしたんだろう? 前はアグニといても何にも感じなかったのに……もしかしてアグニのこと好きなのかな?」


 ソラはしばらく色々と想像してみる。一緒に買い物に行くこと、ご飯を食べること、映画を見ること……


「…………いや無いな」


 口に出してそう言ってみたが、なんとなくモヤモヤとした気持ちは消えなかった。


*****


「「ただいまー」」


「はーいお帰りー」


「今日のご飯何ー」


「今日はラーメンでーす」


「ラーメンか……」


「文句があるなら自分で作ってくださーい」


 そんな一般的な家庭で聞ける会話をしていると、玄関のドアが開く音がした。父さんが帰ってきたのだろう。すぐに父さんがリビングに入ってきた。


「ただいまー」


「「「おかえりー」」」


「今日のご飯は?」


「今日はラーメンよ」


「いいね~今日はラーメンの気分だったんだよな~」


「これよ! これが正解の反応よ」


 母さんはそう言ってアグニとセイラの方を向いたが、二人ともテレビを見て聞えないふりをかましていた。テレビでは最近よく見る芸人が漫才をしていた。



「もうやめてくれー!! そんなことしたらおかしくなっちまう!!」


「元からおかしいよ」


「うるせえハゲ! お前の父ちゃんジャムおじさん♪!」


「アンパンマ○じゃねえよ!!」


「ジャムおじはお前のパパじゃねえよ?」


「知っとるわぁぁぁぁああ!!!」


「……いやフォッサマグナか」


「……どういうことじゃぁぁぁああああ!!!」



「「ギャッハッハッハ!」」


 姉ちゃんと俺が爆笑していると父さんが俺の肩を軽く突いてきた。


「アグニ、これ」


 そう言って渡してきたのは大きめの封筒だった。


「え?なにこれ?」


「幕僚長からアグニにって」


「ふ~ん」


 姉ちゃんが見ていることが分かっていたから、なんとなくその場で開けるのは恥ずかしくて机の上に置いておいた。


「開けないの?」


「後で開ける」


「ふ~ん」


 ご飯を食べ終わるといつもと変わらない風を装って封筒を持って階段を上っていった。みんなはリビングでさっきのお笑いの続きを見ていた。





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