第4話 天使

 選択肢は二つしか無い。

 一つは目の前にある正体不明の光る部屋に入ること。

 二つは道を引き返して黒いバケモノの方に走って行くこと。

 二つ目を選んだ場合、考えるまでも無く結果は明らかだろう。対して一つ目を選んだ場合、最悪の場合一つ目よりひどいことになるが少なくともかみ殺される心配は少ない。こんな時どうするか、人によるだろうがアグニは二つ目を選んだ。


(絶対帰って母さんにただいまって言うんだ! 姉ちゃんに焼き肉奢ってやるんだ!)


 一つ深呼吸するとぎゅっと目を瞑って光る部屋に飛び込む。

 恐る恐る目を開けると、そこには白い石で作られた広い部屋が広がっていた。部屋の中央には祭壇のような物が置かれ、よくある天使象のようなものがその上に立っている。天使は一見笑って居るようにも見えたが、よく見れば怒っているようにも見えた。

 くぐってきたアーチの方を振り返ると、アーチには白い靄がかかり向こう側はよく見えなくなっていた。辛うじて黒いバケモノがいることは見えていたが、どういう訳かそいつには靄のこちら側が見えていないようでこちらには見向きもしなかった。

 ひとまず危険が去った事に胸をなで下ろした火天アグニは天使象をもう一度よく見てみることにした。

 そうして火天アグニがそちらを振り返ると、祭壇の上にある天使象になにか違和感を感じた。違和感の正体までは分からなかったが、なんとなく何かが違う気がした。

 近づいて天使象をよく見てみた。天使の着ているローブのようなゆったりとした服は細かい動きまでしっかりと掘られており、本物なのでは無いかと思ってしまうほどにリアルだった。リアル過ぎて裾の辺りがヒラヒラと揺れているように見えてきた。・・・・ん? 揺れてる?


 そう思った火天アグニが顔を上げると、天使像がこちらを向いていた。ニッコリと笑っているが、その笑顔は貼ってつけたような笑顔でどこか不自然さを拭えなかった。


「あ、……え?」


「よくこの部屋にたどり着きましたね。褒美を授けましょう」


「えーっと、どういうことですか?」


「私はあなたたちの世界で言うところの天使です。偉業を成し遂げたあなたには褒美を受け取る権利があります」


「偉業、ですか……」


「ええ、決まった日に決まった道の上を通ったときだけに開かれる道を通らなければこの部屋には来れないでしょう? ソレを見つけるというのは生半可なモノでは無いわ。だからこれはその飽くなき探究心、好奇心、そして熱心さに対して与えられる褒美よ」


「……なるほど?」


「さあなにが欲しいか言ってみなさい」


 突然の出来事に戸惑いつつも、アグニの願いは決まっていた。


「このダンジョンから出たいです。それで家に帰りたいです」


「……?」


「家に帰りたいんです」


「……それは自力で、かつ容易に出来ることではないですか? そんなモノは褒美とは呼べませんから却下します」


「い、いや自力じゃ無理なんです! 扉が閉められてて! それで!」


「黙れ人間。5秒以内に褒美を求めなければ殺す。5、4」


(お金! はあってもでれなきゃ意味ないし、食料?は必要だな、う~ん、あとなんだ? 力? 魔法? いや、食料だな。食料が最優先だ)


「3」


(いやけど本当に食料でいいのか? 他になんか無いか? ないか、いやない!)


「2」


「食料を! 食べても無くならない食料をください!」


「いいでしょう、永久に減らない食料ですね。少し待ってください」


 天使?はそう言うと両の手を胸の前に組み、何やら祈りの言葉のようなモノを呟いた。すると天使の背中側に魔方陣のようなモノが浮かび上がった。


「手を出してください」


「はい」


 そう言ってアグニが手を出すと、その手の上に掌より少し大きいくらいの巾着袋のようなモノが現れた。


「……これが食料ですか?」


「違います。そこから食料が出せるのです。袋の口をあけて手を入れてみなさい」


 言われたとおりに袋に手を入れると、何やら硬くてつるつるとしたモノに手が触れた。取り出してみると見た目は白いチョコレートのようだった。


「これは?」


「アンブロシアです。神の食料ともいわれます。私たちが普段食べているもので、人間が食べると寿命が延びるそうですよ」


「どれくらい伸びるんですか?」


「たしか食べた日から270×3×4×9×10年だったでしょうか? あまり覚えていませんが大した問題では無いでしょう」


「……そうですね」


「ただし寿命が延びるだけで不死身になるわけでは無いですよ? まあちぎれた四肢もソレを食べれば元に戻りますし、内臓が出てもソレを砕いて塗れば直りますけどね」


「……えっと、それが無限に出てくるんですか?」


「ええそうです」


「……なっるほどぉ」


「それでは質問が無ければ私は戻ります。またお会いできる日を楽しみにしております」


「あ、ありがとうございました。・・あの!」


「はいなんでしょう?」


「家族は、外はどうなってますか?」


「……平和そのものですね。それではさようなら」


「あ、はい」


 天使はそう言って消えてしまった。手元に残された巾着袋からアンブロシアを取り出して食べてみると、「ほっぺたが落ちるというのはこういうことだったのか・・」と感動して涙が流れるほど美味しかった。口に入れるとその瞬間に欲しい味、欲しい食感、欲しい風味をすべて満たしてくれる、まさに【神の食料】という名に相応しいモノだった。

 久しく忘れていた幸せに浸っていると、先ほどのバケモノの咆哮でアグニの意識は強制的に現実に引き戻された。


 あぁそうだ、通路にはあいつがいるんだった。絶望的で憂鬱な現実がアグニの気分をもり下げる。

 あそこを通らなきゃ元の場所には戻れないけど、この部屋は特殊な道を通ってしか来れないらしい。とすると、もし救助が来てもこの部屋にいては見つけてもらえないかもしれない……。

 はぁ、どうやって戻ろうか……


 そう考えながら白い部屋の中をうろうろしていたアグニは、無意識のうちに床の丸い模様だけを選んで歩いていた。そのまましばらくどうやって戻るかを考えていると、突然「ガコォン」という音と共に祭壇が動き出し、瞬く間に祭壇は地下へと下るらせん階段へと変わっていた。


「わぁーお、マジかよ」


 そんなアグニを誘うかのようにらせん階段は柔らかい光を放っていた。

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