第3話 緊急BOX

 白い怪物はアグニの後ろに一定の距離を保ったままついてきている。アグニが十分に弱ったら襲うつもりなのだろうか。しかしそんなことには露ほども気づかず、アグニは掌から血を垂らしながら必死に走り続けていた。

 そしてアグニが迷路のように入り組んだエリアに着いた頃、再びダンジョンの床がグラリと揺れた。今度は咆哮は聞えてこなかったが、そんなことを気にする余裕は今のアグニには無かった。


(ここの細い道ならあいつのでかさじゃ入ってこられないだろ)


 アグニが道幅2メートルほどの圧迫感のある道に入ると、白い怪物はその道の前をうろうろとするだけで入ってくるそぶりは見せなかった。

 振り返ってそれを確認した火天アグニは額の汗を拭うと深く深呼吸をした。人生で一度も経験したことの無いほどの負荷を突然かけられた火天アグニの肺は酸素を欲して激しく暴れ回り、限界を超えて走り続けた足の筋肉は、ピクピクと痙攣していた。


(なんだったんだあのバケモノは、ここの生物はすべて捕獲されたはずじゃ無かったのか?)


 ダンジョンのパフレットに書いてあった説明とはあまりにも違う現実に戸惑うアグニの脳裏には、今し方の光景がひたすらに再生され続けていた。

 

(俺はなんでおいて行かれたんだ、なんで……。姉ちゃんの言うこと聞いとけばよかった……来なきゃ良かった)


 いくつもの後悔が脳裏をよぎったが、アグニに出来たのはひたすらそれを後悔することだけだった。


(いや後悔していても何も進まない、逃げ切ることが出来たんだから次は脱出することを考えよう)


 そう決心して火天アグニはもしもの時のために持ってきていたガイドブックを開けた。今分かっていること、これからすべきことを考えた。


(え~、まずダンジョンの中には緊急時のための緊急BOXがいくつかある。この中には食料、武器、発炎筒などが入っていて、緊急時には救助がくるまでそれを使ってしのいでいく事が必要)


 そして浅草のダンジョンの緊急BOXの位置を確認すると、ちょうど歩いてすぐのところに一つだけ設置されていた。


(よし、とりあえずは緊急BOXに物資を取りに行こう。

 それから、え~なになに、ダンジョンの壁は一見すると石のように見えるが、壊しても壊してもすぐに再生してしまうため、壁を壊して進んでいくことは出来ない。・・・・ということは入り口からしか出られないって事か。・・・・まあいい、今はおいておこう)


 その後もアグニはガイドブックを隅から隅まで読んだが、白いバケモノについての説明は全くなく、ノーマークのダンジョンに存在した生物は5年前にすべて捕獲され、国の研究機関に保護されているため、現在のノーマークダンジョンは極めて安全であるとまで書いてあった。

 しかし実際、目の前にバケモノは現れたわけだし、更に言えば地震もあった。はっきり言って安全からはほど遠い。

 だからといって何もしなければそのまま死んでいくだけだ。アグニは呼吸が落ち着いたのを確認して、緊急BOXをとりに走り出した。




――1週間後

 アグニはダンジョン中の緊急BOXを集め終え、迷路のように入り組んだエリアの小部屋で今が朝か夜かも分からぬままひたすら食料を節約しながら救助を待っていた。

(このまま救助が来なかったらどうしようか)

 そんな事ばかり考え続け、気がつけば叫びだしそうになっていることがよくあった。そんな時は気持ちを落ち着けるため、自己流の座禅を組み、目を閉じて呼吸だけに集中した。しばらくこれを続けると気持ちが落ち着いて冷静さを取り戻すことが出来た。




――1ヶ月後

 食料はまだ余裕があったが、することは全く無く、このままでは食料不足より先に暇が原因で死んでしまうかもしれない。そう思った火天アグニは迷宮の床に描かれている模様を、今日は四角、今日は丸、というよう決めて、その模様しか踏まないようにして移動するという幼稚園生のやりそうな遊びをひたすら続けたり、壁に向かって正拳突き(自己流)を続けたり、どれだけ止まっていられるか試してみたり、兎に角暇な時に出来そうな事はすべてやった。




――3ヶ月後

 とうとう食料は限界が近づいてきていた。しかしこれまでひたすら暇に耐えて一人遊びを続けてきた火天アグニには、もはや焦りは無かった。ただ近づいてくる死の足音を受け入れ、淡々と過ごすのみだった。

 とはならず、食料を限界まで節約していたせいで、アグニの思考は常に空腹に邪魔されていた。最近では火天アグニはあの白い動物も食べられるのでは無いかという事についてひたすら考えていた。


(もしあれが食料にできるなら、体格から想像すると軽く1月は持ちそうな量がある。どうやったら倒せるか、それが問題だ。何か使える遺物アーティファクトがダンジョンの中に都合よく落ちてればいいんだけど)


 そんな風に考えながら、アグニはダンジョンの中を散歩していた。ダンジョンでの生活が1ヶ月を越えた頃、独り遊びだけでは退屈を凌ぎきれなくなった火天アグニはダンジョンの地図に載っていない道や部屋を探すという暇潰し(散歩)を始めていたのだ。その結果何十本もの抜け道や、いくつもの地図に載っていない部屋を見つけた。ただ特に何かがあるわけでも無かった。しかしこれも1ヶ月も続ければ大体の道も部屋も見終わってしまい、2ヶ月も経てば本当にすることが無くなってしまった。

 しかしだからといって他にすることは無い。強いて言えばあの白いバケモノを倒して食料にしたいくらいだ。

 そんな風に火天アグニがプラプラと散歩していると、見たことのない気がする道を見つけた。


(あれ? こんなとこに道あったかな?)


 アグニがもの凄い量の道を書き加えてボロボロになったガイドブックを確認すると、その道はまだ奥まで行ったことの無い書きかけの道だった。

 途中までは道を書いているのだが、先がどうなっているのか書いていなかったのだ。


(なんでかいてないんだっけ?……今日はこの道行ってみるか)


 そして火天アグニがその道を進んでいくと、道を進むにつれてなんだか壁の材質が変わっているような感じがした。黒い石から少し白みがかった石になっているのだ。

 そして同じような感覚を感じたことがあるのを突然思い出した。俺は前にもここまで来たことがある! そのときはひたすらまっすぐ延びる一本道で白いバケモノに襲われたら逃げ切れないかもしれないと思って引き返したのだった。

 しかしここしばらく白いバケモノには会っていないし、今日行かなければ恐らく二度と来ないだろうと思った火天は、多分今日は大丈夫だろうと自分を落ち着かせてそのまま進み続けた。


 そしてそのまましばらく進むと、目の前に高さ3メートルほどのアーチ状の入り口が現れた。入り口の形自体はダンジョンの中でよく見るデザインだったが、その材質は明らかに他と異なっていた。白く輝くような石で出来ていたのだ。

 火天がその入り口に近づくと、突然中から柔らかい色をした光があふれ出てきた。突然の出来事に驚いていると次の瞬間、後ろから聞き覚えのある身の毛のよだつような鳴き声ガ聞えてきた。それに続いて地面を蹴る音が聞え、火天アグニが後ろを振り向くとそこにはあの白いバケモノとは別の、黒いバケモノが走ってきていた。明らかに白いバケモノよりも大きなソレは、4本の足で地面を力強く蹴りながらこちらに向かってきている!


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