第47話:これから求められる教育 ①

 私は最近、教育内容が拡張される一方でどこか違和感を覚えることが多い。


 例えば、教科書のページ数を増やしても実習形式の学習が不十分になることで“習得しても実用できない”というマンネリを起こすことや子供たちの能力差により知識・理解が進まず、つまずきを作る原因につながるのではないかなど複数の疑問を持つことがある。


 私は“教育”というのは“必要なことを全て学ばせる”のではなく“自分で必要なことを取捨選択して学ぶこと”だと思っている。


 なぜなら、今は全員が同じ教科書の内容を学習し、その習得率をテストなどの点数で表し、学期中に児童・生徒に対して課した課題とテストを基にして子供を評価するが、問題は子供たちがその科目に対して関心を持って学習しているのか?・学習内容の理解はできているのか?など子供の学習状況や関心・理解などの観察が不十分なケースも増えている。


 今は、“定型学習”が主流になっており、あらかじめ答えが決まっている内容を学習するという学修の型が決まった状態になっているため、自分と考え方の違う答え、意見などを学んだとしても本人にとっては“意見を押し付けられている”や“これが正しいとは思わない”など拒否反応を起こす可能性もある。


 また、現在は子供たちの知識習得開始年齢や社会進出年齢の若年化も進んでおり、特定の意見に縛られることに対して抵抗を感じる子供が以前に比べると増えていることもこれらの事象が起きやすいボトルネックになる可能性を秘めていると思う。


 そこで、義務教育課程においても高校や大学と同様の教育形態や履修システムを導入することを検討することも教育改革においては重要だと思っている。


 例えば、音楽をやりたいという子供がいるなら、必修科目をあらかじめ設定し、その科目は必ず履修することを条件に音楽や作詞・作曲・編曲を含めた創作活動などに関する科目を選択履修できるようにするなど“子供が自分で学びたいことを自分で選択する”という1つの学習モデルを確立し、子供が自ら考えて学習できる環境を整備することも大事だと思う。


 その他にも起業家を目指すなら自治体と民間企業との連携を確立し、必修科目を履修する代わりにビジネス基礎やビジネスマナーなどを企業等と協力して人材育成研修の一環として実施することや企業に向けてプレゼンテーションを行い、自分のアイディアでビジネスを立案できるような実習科目の設定など“対話型”や“実習・実践型”教育の導入も必要だろう。


 そして、国会議員を含めた政治家を目指すのなら官民連携を確立し、必修科目を履修する代わりに都道府県議会や市区町村もしくは区市町村議会への参加、各市区町村および区市町村において子ども議会(仮)等を設置し、子供たちが主体となって議会を運営する体験・経験をすることで、子供目線で意見を言うことや提案することが可能になる、大人に見えていない課題を大人に伝えられる機会の増加など今まであまりフォーカスされてこなかった子供たちの社会への興味・関心を育む上では重要な教育機会の1つになると思う。


 なぜ、私がこのような教育法を提案したかというと、今はICT教育などのデジタル化に移行する動きが高まっている一方で子供たちに一定程度の選択肢を与えられる年齢が高校から大学と義務教育課程では実施されていない。


 そのうえ、高校から大学に関しても進学可能割合が低下していることや経済的な理由などで“高校中退”や“大学中退”などが相次いでいる昨今では選ばれた人しか体験・経験できないため、子供たちにとっては“日本という環境において決められたカリキュラムをこなし、いい成績をとることで未来が開ける”という知識重視の教育を受けることで偏った先入観や価値観を十分体験・経験していない傾向につながっていると感じている。

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教育格差が未来を壊す NOTTI @masa_notti

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