第45話:教育観の多様化 ⑫
私は大学の時にアメリカの現地の友人や教育学部の先生と話したときに“キャラクターを大切にしないと人は育たない”という言葉を言われた。
その時、日本式教育しか受けたことがなかった自分にとってははっとさせられた。
アメリカなどの場合、日本と違って子供たちに自主性を求めることや個性を大切にするなど子供主体型教育になっているため、“子ども”が主役、先生は脇役という考え方なのだという。
また、いろいろな国の人と共に学習や集団生活をしていくことになるため、他者理解を深めるための道徳カリキュラムと通常の教育カリキュラムが同時進行で行われるため、教室が同じ国籍でもグローバルクラスのような環境であっても“お互いの違いを認め合いながら、相手を学び、自分を成長させる”という価値観と“お互いを尊重し、お互いが成長するきっかけを作る事が大事”という価値観を子供たちの精神発達に合わせて教えていくという教育方針が主になっている。
アメリカの場合は日本とは異なり、ボトムアップ型と類似する方針なのだ。
一方で日本の場合はすでに答えが決まっていて、その答えにならないと正解にならないため、子供たちの知識・理解が良くなったとしても思考柔軟性が乏しくなる可能性や“これでなくてはいけない”という過剰な固定概念や先入観が芽生えてしまい、自分の考え方を主張することが出来ない、自分を表現するのが苦手になるなど子供たちに過剰な負担を強いられることや精神的に追い詰められやすくなるなど子供にとって苦痛を味わう事が日常化してしまい、自分が求める場所や環境を探して逃げられる子供なら良いが、そうではない子の場合は周囲がきちんとケアをしないと最悪の事態を招く可能性がある。
つまり、日本というのは“一方通行型”と言われ、海外では“意思疎通型”と指導観における違いや海外では学習内容を増やしたとしてもその課題量をこなせるような工夫をするなど子供たちが学習に対して嫌悪感を持たないように周囲が細かくフォローするなどお互いが助け合って学んでいくということが日常化している。
しかし、日本では“社会”が中心になることも多く、個別の価値観を尊重するのではなく、社会の常識と言われる通念や集団生活におけるルールなど社会で決められたことや上に立つ方々が決めた決まり事が社会で尊重される。
そうなると、問題になるのは大人が決めた事に対して子供が従わなくてはいけないという負の価値観が一定年齢になるまで影響を与え続けることになり、自分たちが正しいと思って出した答えを否定されることで子供たちの自己肯定感や自尊心が低くなってしまう要因になりかねない。
だからこそ、アメリカなどのように1つの答えに固執するのではなく、複数の答えを容認し、その出された答えを共有出来るような指導法の徹底や個別選択の尊重など子供たちが主役になる学習環境の整備を進めないと子供たちの二極化が進みすぎてしまい、そこから自分と違う人たちに対していじめや差別・偏見などが起きやすい環境が出来てしまう。
今は以前と異なり、情報社会である事から、ちょっとした問題、自分のイメージを悪くするような情報や周囲へのイメージに対してかなり敏感になっている子供たちも増えてきている。
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