第38話:教育観の多様化 ⑤
そのため、先生が“なんで君はこんなに細かく意見を持っているの?”と言われた事もあった。
当時、私が最もびっくりしたのは現場視察で学校やフリースクールなどに行ったときのことだった。
私が見たのは高学年の授業だったが、出来る子はどんどん進むが、出来ない子はどんどん置いて行かれるという光景を目にしたときに“この子たち大丈夫かな?”と不安に思った事があった。
実は大学1年生と2年生の時に現場実習で似たことを感じた事があった。
その時は英語だったため、習熟度別クラスなどの体制は取っていなかったこともあり、全員で同じ授業を受けることになっていたが、何度か授業を受けているうちに子供たちの理解度に差が開き始めていた。
この時は分からなかったが、次第に分かったのは“英語を塾などで学習している”ということだった。
つまり、子供たちが学校で英語学習を始めるにあたって、塾や英会話教室などで事前授業などを受けていたケースや以前から授業を受けていて、その予習した範囲に入ったことで理解度が上がったケースもあった。
このように家庭環境で子供たちの理解度が変わってしまい、そこで出来ない事で挫折するという子供が増えているように感じる。
今は表情には出さないにしても、次第に様子が変化していく場合も多く、最悪の事態になる前に特定科目のみ習熟度別クラスを採用して、個々のレベルに合わせた授業を受けられるようにしないと家と学校の板挟み状態になりかねない。
日本の教育というのは“このレベルは出来て当たり前”という前提で作られている事が多く、子供たちも親も“その示されている問題を解けるレベルでないとこの学年としてはいけない”という一種の洗脳に近い状態になる事で、子供が問題を解けないと「なんでこの問題が解けないの?」や「なんで、こんな簡単な事が出来ないの?」といった子供が出来ない事を受け入れるのではなく、他の子と同じように出来るように強要してしまっているケースも少なくない。
私は小学校の時からいろいろな問題を抱えていた。例えば、算数・数学の場合、計算は得意でも、複雑な図形や複雑な数式などは全く理解が出来ず、毎回追試をして、合格に必要な点数を取れた時の喜びは計り知れなかった一方で違和感を覚えた。
その理由として、“自分がやっていたことの意味が分からなかった”からだ。
例えば、“テストで○○点以上取らないと赤点です。”というルールがあったとしても、子供たちからすると“なぜ○○点以上なのか?”などと疑問に思うだけではなく、“これくらい出来ないと認めない”という教員側からのメッセージと受け取ってしまう子供も少なからずいると推測できるのだ。
私の経験からもこれらの理由に対して、先生側から説明を受けたことはなかったと記憶している。そのため、私は“テスト=生徒選別”・“成績=競争社会のプライスボード”だと思っていた時期もあったくらいだ。
このように“学校のルール”に対してきちんと子供たちが理解出来る明確な根拠がないと子供たちにとっては学習目的が見えなくなってしまうことで、出来ない科目なら“赤点回避を目指そう”・“追試にならないようにしよう”といった安全な選択をするようになってしまう。
すると、子供たちの中でも“知の多極化”が進んでしまうことになり、学習意欲が高い子と学習意欲が低い子が同じクラスに混在することでトラブルに繋がる可能性も否定できない。
そのうえ、今は受験を目指す子もいるが、普通に義務教育を終えて、普通の教育課程を歩みたいという子供がいるため、個別価値観が異なることや親の体験・経験してきた教育課程によって子供たちの価値観も変わってしまい、“僕は・私はこうでなくてはいけない”という自分軸と他者軸のバランスが崩れてしまうことになる。
そして、今は“学歴社会”ではないと言われているが、実際は学歴社会に戻りつつあると感じている。
その理由として、受験する子供たちが年々増加しているということや子供たちの職業観に変化が現れ始めたことで企業などの組織にとっては良い人材を確保出来なくなる可能性やAI化が進むことで良い人材を確保する一方でそのような採用観が就職差別に繋がる可能性も否定できない。
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