第39話:教育観の多様化 ⑥
だからといって、全員が同じだけの能力を持っているわけではないため、いい人を確保したいと思う心理は私もよく理解出来る。
私がこう感じる理由として“今の採用システム”をまず挙げてみたい。
現在の採用システムにおける基本は学歴不問だ。そして、男女比も職種によって前後するが、ある程度の比率は保たれている印象がある。
しかし、最終学歴等の個人価値に関する評価に直結する部分を見ていくと、企業における採用観が見えてくることが多い。
例えば、中堅大学卒の志望者と有名大学の志望者では後者の方を採用する傾向が高く、前者も採用率は低くはないが、やや少ない印象がある。
そして、志望者に良い条件が重なると更に激しい争奪戦になることもしばしばだ。
このように1つの事柄であっても採用基準が明確に決まっているという確証はほとんどない。
ただ、この事例で言えることは“見栄えが大事”という認識がまだ水面下でくすぶっていると言うことだろう。
今はどのような人でも働くことは出来るが、一定期間経つと人材選別が始まり、働き続けられるのか、辞めなくてはいけなくなるのかが決まってしまう。
そういう状況になったときに最も立場が弱くなるのは“社内評価が低い社員”や“会社の方針に従えない”・“従っていたとしても提案などをたくさんする人”などだろう。
これは私自身も経験したことがあるが、会社の方針には従いつつも“ここをこうしてはどうだろうか?”と提案するといろいろな理由をつけて辞めさせられそうになったことや会社から謹慎を言い渡された事もあった。
そのため、自分の意見を持っていたとしても発言することは許されず、“上の意見に従う”という暗黙の了解のような部分が見え隠れしていたのだ。
ただ、この逆で自分の会社に対して貢献している社員の意見は聞くケースが多く、その社員が転職しようと考えると給与UPなどの好待遇を提示して引き留める、ヘッドハンティングされて、引き抜かれたときには本人と相手企業を訴えるなど“特定の人材”や“良い学歴の社員に対する固執”が強くなる傾向が高まる。
そのため、高学歴の社員を確保するのも一般企業では至難の業であり、ある程度の覚悟を持って採用活動をしないと集まらない。
また、今は良い人材が以前のように企業に入社するのではなく、起業など別の選択肢を選ぶ人も以前に比べると増えており、良い人材を確保するためには早くから準備して、大手企業など競合他社との争奪戦に勝つことが求められる。
ただ、日本というのは“学歴社会”の名残が色濃く残っており、良い人材に対する扱いもかなり過激になっている。
例えば、少し前に“オワハラ”(=就職活動終了ハラスメント)などの企業側が特定の志願者に対して内定と引き換えに就職活動を終わらせるように迫るという事例や良い人材に対して既存の雇用条件ではなく特別な雇用条件や契約内容を提示するなど条件を厚遇してその人を確保しようとする“カコハラ”(=囲い込みハラスメント)など良い人材に対しては手段を選ばないが、今から育てなくてはいけない人材に対してはかなり冷酷な状態が以前から続いており、人手不足を招く要因として“人材不足”という名の“人材選別”が要因だと感じている。
そのため、今の子供たちの親御さんからすると、“会社に勤めさせるには良い教育を受けさせなくてはいけない”というソーシャル・バイアスが過剰にかかってしまうことになり、親が子どもの選択の自由を狭めてしまう、子どもは自分の意思決定を尊重してもらえなくなり、そのストレスを第三者に向けるなど親は子どもの将来に対して神経質になってしまい、子どもは自分で決めた事が出来なくなるため、自分の決めた事に従ってくれる相手を探し、そこでストレスを発散するなど精神発達の観点からかなりナーバスになりやすいのだ。
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