第16話:共生社会を目指すために ③

 しかし、私のようにいろいろな習い事を出来るような家庭ばかりが日本にあるわけではないし、仮にいろいろなチャンスを親が与えたとしても子供たちの興味・関心や競争心に簡単に火が点くわけでもない。


 なぜなら、子供たちの多くは“みんながやっているから”や“○○君・○○ちゃんみたいになりたい”といった他の子と合わせたいというだけの理由を持ってその習い事をしている事も少なくない。


 つまり、“相手よりも上を目指したい”という思いよりも“あの子より上にいて、弱みを握ってやる”と思っている子も少なくないのだ。


 現在は習い事をすることが当たり前の風潮が強まっていて、習い事をしていない子に対して風当たりが強くなるということも少なくない。これは社会全体にも言えることだ。


 その理由として、以前から社会の一般的思想になっていた“学歴社会”や“イメージ・マネジメント”・“年功序列”といった自分たちにとって得をする人としか関わらない、自分たちの立場で物事を考えるという社会的通念が存在しており、これらの考え方が周囲の人たちを孤立させてしまったこと、優越性を利用して人材選別などを実行したことで、更なる経済格差、雇用格差を生み、その思想が差別・偏見に繋がっているのだろう。


 私は“共生社会”というのは教育を抜きには構築出来ないと思っている。なぜなら、共生社会を実現させるためには道徳教育、倫理教育などの幼少期からの段階的学習が必要であり、今まで未解決のまま積み重なってきた負の産物を1つ1つ分析し、精査したのちそこから得られるものを考えないといけないからだ。


 例えば、教育分野なら“給食費”・“修学旅行積立金”といった先行積み立てや“制服”・“体操服”など指定衣料品購入など毎月もしくは定期的に支払う必要のあるお金が存在しているし、塾に通わせるためには月謝が必要になる。つまり、子供を育てるためには安定した所得が必要になるのだ。


 しかしながら、日本において安定した収入を得られている人ばかりではなく、家庭によっては“給食費が支払えず、給食を食べられない”、積み立てが出来ないもしくは不足していて修学旅行に行けない“など経済的事由による制限が子供に対して起きている現状もある。


 これらを解消するためには政府や行政、経営者などが知恵を出し合って動いていく必要があると思っている。


 まず、“家庭経済の安定を図るために必要な事を模索する”ということを考えてみたい。


 現在、経済的な理由による教育機会の減少や雇用問題による安定所得の確保の困難さ、労働基準法などの時代錯誤の法改正の未実施など国民だけでは解決出来ない問題が年々増加傾向にある。


 私はこれらの問題を“優越的弊害”と呼ぶことにする。これは、国民の間で起きている問題に対して適切に対応されていないもしくは適切に対応されていても実効性の低い状態にあるものを指す。


 これらの問題が弊害となり、経済成長を促したくても上手くいかない要因だろう。そして、生産性や効率性を求めすぎた結果、立場の弱い人たちが職を失うことや不当解雇の横行など個人が苦しむ結果を生む要因を招いている。


 

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