第5話:なぜ、子供に投資しないのか? ③

これはあくまで私の私見だが、現代社会において、他者からの干渉を嫌う子供が増えているだけでなく、自分の情報が勝手に近隣に流布されてしまうことで周囲に知られた事がかえってその地域や場所に居づらくなってしまう要因を作ってしまうなどお互いを知っている地域ほど自分が何をしているかを知られたくないと思う人が多いように感じる。そして、有名になりすぎると今度は自分の家などがそういう噂などから特定されてストーカーなどの犯罪に転じることもある。


 私はこのような事例には全てとは言わないが、学校内で、地域内でいじめられている子などに向けられる視線がこういう事象を引き起こしている場合も少なくない。そして、ある地域では高校卒業後に実家を出ないとデマや変な憶測に基づいた噂を流されるなど村八分のような行為が行われることもしばしばだ。


 そして、今はデジタル化の進行により、子供たちのデジタル端末保持開始年齢が低年齢化しており、子供たちのいじめが起きているその情報が自分たちの周囲だけで留まらず、場合によっては市区町村単位や都道府県単位という大きな枠でその人の情報が流出するということも懸念材料としてある。


そして、都会・田舎問わず“○○さんは○○中学校に行くみたいだ”・“○○さんは○○塾に通っているみたい”という個人情報は飛び交うことが多い。そして、その情報が又聞きで不確実な情報もあることから全てを信じる人は少ないが、これらのケースから地元を離れる決断をする人も少なくない。


その他にも第三者からの目撃情報がネット上に流れることやその人を祝福するメッセージをSNS等に投稿した相手との関係性などが可視化されている現代だからこそ誰も知らない街に住んでいる方が自己防衛の観点からも好都合なのだろう。


 現在は“○○さんがアメリカの有名大学に合格し、この秋進学予定”など有名大学に合格する、“○○さんが有名プロ野球チームに入団”など有名なチームに入団・所属するなど“アカデミック・ブランド”や“社会的ブランド”などを全面に出したことでその人のイメージが変わってしまうことになる。そして、日本ではこういう話題に対してはかなり大々的に見出しが出る。もちろん、私は祝福するべきだとは思うが、これらを祝福したい反面、こういう結果に至らなかった人に対するフォローが不十分になる可能性があると思う。というのも、大々的に見だしを出すことで“自分は何でできなかった”という感情が生まれてくる。しかも、こういう結果は多くの人が求められて出来ることではないし、そういうチャレンジ(挑戦)をしたことに対して優劣がついてしまうことはその人の挑戦姿勢を否定することに繋がり、場合によってはそのまま挫折してしまう可能性もある。


 そして、日本というのは良い成績を取った人たちを美化して、そうではない人を蔑ろにする事も多く、人によっては“日本というのは価値がある人とない人で線引きをされるのか?”という疑問を持たれかねないような状況を自ら作り出してしまっている。


 そのため、個人の努力の過程をみるのではなく、“○○大会で優勝!”や“○○大会で○○選手を撃破”のようにまるで表面的な部分だけを切り取られている事も少なくない。これは教育的な観点でも同じだが、“良い成績を取ったからすごい”、“有名大学に合格したからすごい”という心理は理解出来るが、あまり取り上げすぎるとその人に対する実績のイメージが見る人の基準になってしまい、今度は成績が落ちると“この人は過去に実績にすがっている”など個人を攻撃する声が上がり、これらの攻撃が誹謗中傷へと変化していく。


 これは教育格差に直接繋がっているわけではないが、これらの問題における教育との相関性が高くなっている因子であることは間違いない。


 そして、日本における実績主義やイメージ戦略などが個々の個性を打ち消すことも十分にあり得る。


 実際にこれらの問題をどのように捉えるかどうかで見え方が変わってくるし、場合によっては両極を挟む形で何らかの問題が発生している。








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