第4話:なぜ、子供に投資しないのか? ②

 これは、日本全体の評価に対する認識を変えないと変わらない問題だと思う。


なぜなら、学校行っても、会社に行っても必ず“数的評価”で人を評価され、成績で順位が決まり、給与が決まるという全て数字が関係している状態になっていることから、有名な人でもそうではない人がメディアに取り上げられても“年収○円”や“資格試験で○○点獲得!”のように取った数字の高さを強調するのだ。


 そして、“中卒”・“高卒”・“大卒”・“大学院卒”のように学歴でもカテゴリー化されて、会社であっても“我が社は有能な大卒がほしい”・“○○大学卒なら間違いない”というある意味ブランド力やその人の社会的価値が高い人材を発掘していきたいと言う思惑が拭えない。


 その結果、教育格差が経済格差や所得格差につながり、これらの要因が貧困や虐待、社会的弱者に繋がっていくと思っている。


 これは決して誰かを否定するつもりはないが、このような社会構造が個性を潰し、好都合の材料として使われてしまうのだ。


 海外では有能な子供たちや面白いと思う子供たちに大手企業やベンチャー企業が業務提携を結んで、実際に商品製作や商品企画に参加しているケースも多く、その商品を商品化するなどして、子供の創造意欲や潜在能力を引き出すために教育機関だけでなく、企業などとも連携して、子供たちの個性を活かすために動いているケースが多い。


 一方で、日本というのは企業と連携することもこれらの教育先進国と違い、交流機会すらないもしくは少なく、子供たちの個性が光らないケースも多い。


 そして、海外というのは子供たちの“個性”と“自主性”を尊重して、勉強も自分で選ばせるというスタイルを取っている。その実績を証明するかのように、どの国であっても学校教育を受けている人もそれなりの実績を修めているが、自由教育を受けている人にも同程度もしくはそれ以上の実績を得られている。そのため、日本においてももっと“個性”を大切にした考え方が必要になってくると思っている。そして、その考え方が問題視されるなら、その人を集団でいじめている事と同じなのだ。


 では、今の社会においてこのような個性をきちんと生かしきれているのか?という疑問がある。もちろん、その人が犯罪をしているなど反社会的行為をしているのなら問題だが、そうではない人たちの中で何かをやりたいと思う人に対してはきちんと支援をするために何らかの形できちんと育てる必要があると思う。


 そして、能力がある人でも、人によっては幼少期からのトラウマやいじめなどを乗り越えるために自己防衛をしてしまい、自分の個性を隠して過ごしている人も少なくない。


 しかも、日本においては“協調性”や調和性“など周囲との同調を求める傾向にある。そのため、有名になってしまうとそういう事は減るが、有名ではない人に対してはそういう風当たりが強い。そのため、日本で何か新しい事をしようとする人を潰して、自分たちの言い分を通そうとする人が多いのだ。


 これでは新しい風は吹かないし、所得格差や信用格差など個人の生存権を脅かす問題として捉えられるべき問題であることは言うまでもない。


 しかし、日本において、社会認識が遅滞している印象が強く、同じ教育を受けていたとしても個別学習量が違う、個別価値観が違うなど本人が置かれている状況によって個々で持っている認識が異なってくるということになる。


 その結果、子供たちが見ている世界がそのまま本人の価値観形成や自己表現などに繋がることで、学校でいじめが起きるリスクが高まり、考え方の違う人を除外するということを幼少期から段階的に覚えてしまうのだ。


 これがいじめにつながり、そのまま犯罪やハラスメントに繋がっていくのだ。そして、今は日本では“誹謗中傷”や“詐欺行為”など言ってしまうと“幼少期の負の産物”がそのまま成長しても改善されないまま社会に出ているというケースも多い。


そのため、教育格差が招く犯罪と過剰に知識を得た結果起こす犯罪で二極化を生んでいるのだ。


 これらを改善するためには個々に合ったライフプランに基づいたカリキュラムを組むか、その知識を活かせる環境を意図的に整備し、そこで一定程度の活躍をした人材を起業させるなどして、雇用の拡充の一端を担ってもらうなど“自分が社会にとってどの立ち位置にいて、どういうことをすると貢献出来るのか?”を個人に意識させることで、1人1人の個性を理解し、適材適所で1人1人を動かすことは大切だろう。今のように“会社に入っても不当解雇などが起きている状態”では人材によっては就労意欲の低下や会社などの組織に対する不信感などを芽生えさせる要因になりかねない。そして、これがもたらす弊害として“人手不足”や“就職希望者の減少”など会社などの組織に対して、マイナスになるような事態に発展することだろう。そして、現在は起業などをする人も増えたことで日本における起業構造に変化が起きている。これは教育機会の格差なども十分に考えられているが、これは生い立ちなどもそうだが、どれだけ周囲の大人たちが主体となってその意欲を育てていくかで子供の未来が決まってしまうといっても過言ではない。


 そして、現在はキッズ○○のように幼少期からチャンスに恵まれている子供も以前に比べると増えてきており、長期的な育成計画を考えるとかなり難しい判断を迫られる時期に差し掛かっていると思われる。


 なぜなら、現在は通学する子供もいるが、ホームスクールや自宅学習など教育手段は多様化している。私はこの教育の多様化を活かして、“チャイルド・スポンサード・システム”(早期支援的人材教育の1つ)を確立し、子供たちが幼少期から個性や自己決定力・自己判断力などを育みながら自分で決めた目標を到達することが出来るように促していく事で、子供たちの想像力や興味・関心を早期から育むことが出来るだけでなく、スポーツなどでよく聞く、アカデミーやカテゴリー別の下部組織のように早期から選手などを育てる機関を持っていることで早期に有能な人材や興味深い人材を見つけて、育てることが出来るのだ。


 海外の場合、失業率こそ低いものの、国によっては地域間所得格差が顕著に表れている。そして、貧困や困窮により、子供たちが保護される、住民同士が抗争するなど治安も悪化する懸念がある。


 しかしながら、アメリカの場合はそういう人たちを支援することが日常化しており、私がアメリカに留学していたときにも道路などで“助けてほしい”や“困っています”などのカードを持っている人が居ると、車が止まって、その人にお金を渡す人、スーパーなどで買ったお菓子などの食料品を渡す人、州の役所に相談を促す人などそれぞれに自分ができることをして、個々に役割を持っていることや、多国籍の人が居住しているエリアほど周囲とのコミュニケーションが取れている、地域連携が取れていて、有事には迅速な対応が取れるなど海外の場合近所付き合いを大切にしている所も多い。


 しかし、日本の場合は近所付き合いが薄く、場所によっては隣に住んでいる人の顔を知らない、コミュニティ・ハラスメントが起きる、何かあっても駆け寄る人が少ないなど地域における人間関係の薄弱化が進み、地域コミュニケーションの顕著な希薄化も同時に生み出している。


そのため、近所関係であっても高齢化が進んでいるコミュニティはある程度の居住年数があるため、周囲とのコミュニケーションが取れている。


しかし、今の若年層~中年層の多いコミュニティなどはコミュニケーションが取れているコミュニティもあるが、そうではないコミュニティも多い。そのため、前者の方が若年層の県外転出率が高い傾向にある。

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