自分で言うのもなんですが、私は二人の教授から学院生にならないか? と言われました。でも家庭の事情が大きく、学院性にはなりませんでした。それに加えて人間関係による精神的ダメージ。
可能性の話ですが、もし私が学院性になり、教授になっていたのなら、大きな影響力を持っていたかもしれません。
そういった意味では、人を見下し、傷つけることは人の可能性を潰すことになります。それは家庭環境だけではなく、学校の環境にもよるのでしょう。
もし可能性というものがあるのなら、家庭環境、学校環境というものは大きく影響を与え、人の未来を、歴史に関わることかもしれないです。
そして今、小説という媒体が私には合っているようで、そのことの勉強をしてきたわけでもなく、その割には一次選考を突破するなど。授業では習えなかったことが、今の私を形作っています。そう考えると、教育にも多様性が必要なことと思います。
出る杭は打たれる。とは言いますが、出る杭こそ、育てて、磨きをかけるべきなのでは? とも思います。
難しいとは思いますが、好きを職業にでき、高め合うものがあれば、それだけでも満足いく人生を送られるのでしょう。
特に今の時代ならツイッターやSNSの活躍に伴い、子どもでも学ぶ・結果を出すというのが昔よりも顕著に表れている気がします。
だから今ある力を利用し、自分なりの答えを見いだすのが一番良いことかもしれないです。
とはいえ、嫉妬、そねみ、憎しみを買うこともあるかもしれません。教育というのは難しいものです。
長文失礼しました。
作者からの返信
夕日さん。
コメントを読んでいろいろと考えさせられることがあり、自分で考えていたため、返信が遅くなりました。
私は誰からも価値観を理解されることはありませんし、言ってしまうと相手が悪かったのか、それとも自分が未熟だったのかは分かりません。
ただ、今考えてみると”出る杭を打たれる”よりも”出る杭を育てて、磨きをかけることで可能性が広がる”という考え方をすると1つのことに縛られず、柔軟な考え方が出来ると思うのです。
教育は以前に比べて今の時代には柔軟性と多様性が必要になるため、難しいと思います。
高校の全日制普通科が健常者の入る学校だ、というふざけたステレオタイプがある……という言説があるように思います。
現実世界での個性を尊重しない姿勢に憤ったものでして、汚い言葉をここで言ってすみません。
作者からの返信
一益口さん。
現実世界で個性を尊重しない姿勢を含めてさまざまなステレオタイプが存在していて、そういう人が傷つくことが多くなりますよね。