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バルコニーの欄干に身を預け激しく咳き込むわたしを、ベイルードが大笑いしている。
後ろから抱えるように欄干に手をついたまま、魔王のように邪悪な高笑い、もとい大笑いをしていられるのは、周囲一体に遮断か何かの術式を展開していて猫を被る必要がないからだろう。
今回の舞踏会において彼と落ち合うなんて約束はしていないので、探される謂れはこれっぽっちもない。
母親である
婚約話が宙ぶらりんのまま空中分解しておらず、依然変わりなく『第2王子のストーカーまがいの恋情によって婚約します』を続行するための演技だとしても、もっと考えて出現して欲しい。
そして、もし、バルコニーの下に人がいたら代わりに謝ってきてほしい。
咳き込みすぎて涙も出てきたわたしを、なおも笑いながら体を少し離してハンカチを差し出す。
そもそもの元凶ではあるが少しは優しさや思いやりがあるな、と見直そうと思った瞬間、前言撤回。受け取ったハンカチはいつぞや送ったリハビリで作った酷い出来栄えのハンカチだった。
再び吹き出しそうになったのを辛うじて飲み込み、遠慮なく口元を抑えてべったりと口紅をつけてやった!
どうせ、バカにするつもりで出したのだろう。なるべく反応しないようにして、そのまま返却せずにポケットに回収してしまうつもりだ。
ハンカチと手紙の返事もなく、無事に帰りましたの一言もなかった。
夢に無断侵入されるかとも思ったけれど、それもない。
なので、もうさして興味がなくなったんだろう…と安心しきっていた。
そもそものわたしに興味を持った原因である『本来死んでいるはずの公爵令嬢の平民娘をやたら構う不審な行動』。
これについてはもう謎は解けているはずだ。
かつての英雄の生まれ変わりである『聖少女』を死なせてしまう運命を変えるべく、なぜか白羽の矢が立ったのが幼くして死んでしまう公爵令嬢。
んで、その令嬢は女神の託宣に従い『聖少女』を助けたのだ。
それを確認する意味もあって討伐隊に志願した、と手紙には書いてあったけど、
あとはもう、それこそいっぺん死んでみるしかない。
それで戻らなければ正解だったってことになるけれど…その時ってもう自我も意思もないから証明も何もなさそうだけど…。
そのことから思うにベイルード自身には、もう婚約破棄の意思はないのだろう。公爵家の後ろ盾なんかなくても構わなさそうだけど、『太い実家』って言うのは、あるとないとじゃやっぱり大違いだし。
だとしても、もっと淡白というか…いかにも政略結婚です〜お前に興味なんてないです〜構う気ないです〜ってなると思ったんだけど…??
本当、何しにここに現れたのこの男。
不審人物でも見るようにジロジロと見すぎたせいか、途端に不機嫌そうに眉間に皺を寄せて手を差し出してくる。
お手??かと思ったら、小さな声で『返せ』と言われる。あぁ、ハンカチね?
「申し訳ありません。少々、汚してしまいましたので洗ってお返しいたします」
返却するつもりはありません、ってのは胸の中だけで付け加えておく。
わたしの貼り付けた令嬢スマイルを、フンと鼻で笑いながら、これ以上いじる気は無いのか横に並んできた。バルコニーに肘をついて城壁の向こうでチラつく花火を見るように遠い目をしながら、
「あの平民娘…いや『聖少女』さま、か。あれの出現でこの国はだいぶ変わることになった。貴族間のパワーバランスも俺が知るものとはまるきり違ってくるのだろうな」
あまりにも弱々しく『ここから先は、もう俺が知る未来は来ない…』と呟くものだから少し驚いで思わず見つめてしまったけれど、いつもの外面用のニヤケた顔だったので特に感情は読み取れなかった。
「なかなかに面白い体験だったぞ。『魔人』だけでなく
政教分離が望ましいのが現代の政治だけれど、この世界では共存共栄状態。やや国王側が強い?くらいの力関係になっている。
この世界の唯一といっても良い宗教で、ほとんどの人間が女神教の洗礼を受け…王族なんて、それこそ『揺り籠から墓場まで』女神教のお世話にずっぷりのはず。
ベイルード自身も、死に戻りループの中で王位についたともいっていたし、その時に王冠を被せたのは恐らくその時の教皇だろうに。そんな相手をそこまで割り切るなんて、この世界の人にしては神も仏もなさすぎる。
「この一件で教会側の力は増すだろう。特に『聖少女』の認定を行った当代の教皇は。しかし『聖少女』はこちらがいずれ王妃とする形で押さえた。国土の広さも、兵力も、豊かさも関係なしに…この国は一躍、世界一の強国となった…」
前のめりにバルコニーに預けていた体を、深く息を吐きながら今度はグッと伸びをするように背を逸らせる。
わたしは、どうせこっちなんか見ないだろうとタカを括って、手に持っていたグラスの水滴を眺めていたので急に動いたベイルードに驚き危うく落っことすところだった。
炭酸水の毒霧に続き、更なるご迷惑を掛けるところだった…!!
そんなわたしの様子に気付いていないのか、ベイルードの話は続いていた。
普段の彼なら不愉快な顔でもしそうなものだけれど…それとも気が付いていて知らんフリしてるもかもしれない。
「…だから、『聖少女』と言う象徴を王妃にさせる以上、国王も清廉であらねばならぬ。今回の討伐隊は規模は違えど集団を従えるエヴァンの良い訓練になった。…その内で分かった事は、次代の国王は清濁を併せ飲めない、と言う事だ」
深く長いため息の後の愚痴は、身のうちから滲み出るような苦々しさを感じた。
『良い人』なだけでは集団はまとめられない。
だが、人々が『聖少女とその伴侶』に求めるものはどこまでも白く清らかで美しいものだったのだろう。
「エヴァンと話し合った結果、将来的に俺を宰相にすることを条件に…汚れ仕事も俺の管轄とすることになった。何度もやってきたことで慣れていもいるからな。ただ、今までよりも念入りに隠し通さねばならん。厄介なのはそれぐらいだ」
そんなことが今から決められちゃったの!?
そうなると、
いや、しかし…彼のエンディングでは『国王の右腕となり…』としか書かれていなかった。宰相という役職以外で国王の右腕的存在??
攻略していないルートでの各キャラのその後は、ゲーム内では特に言及はされない。
現実的に考えて…ダスティンは護衛騎士だし、騎士団に入団するか近衛兵になって王城勤務になるかのどちらかだろう。
けれど…
それとも、心機一転して、魔法が得意なキャラだから魔法研究所で研究員でも良さそうだ。
正直、側近役のニコラエスは
今後のことを考えどこかの高位貴族に養子か婿入りして側近を続けるか、貴族位ではなくなるが自分の実力でのしあがるかの2択になる。
個人的には、彼には
「…あの、ニコラエスさまはどうなってしまうのでしょうか?」
疑問に思っていたらつるりと口を
話を遮ってしまったことに気がついたのは、問いかけと同時にあげた視線の先でベイルードの口が一瞬でギュッと閉じられたからだ。
しまった、と思ってももう遅い。素早く伸ばされた右手が首を掴み衝撃で一瞬、息が詰まる。
驚いて投げ捨てるように放ってしまったグラスが、バルコニーの下に落ちて砕けるか細い音が聞こえた。
グッと一歩深く近づき顔を寄せられ、どんな罵詈雑言がくるのかと身構えると思いがけない言葉が叩きつけられた。
「貴様は…プロポーズの最中だというのに別の男の話をするのか!?」
「はぁあぁ??」
令嬢らしい言葉使いも何もすっぽ抜けて、田舎のヤンキーがするような『はぁ?』が出てしまった。
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