幕間 弟・リュカス 2


外傷はないのに意識不明。

その知らせを受け、駆けつけた別邸の姉上の部屋。

真っ白な肌に赤味はなく、陶器のように無機質だ。薔薇色の唇に精彩はなく、紅玉ルビーの瞳が輝くこともなく瞼に閉ざされたまま。

ピクリともしないその寝姿に嫌な予感が過ぎって立ち止まる。


母上が泣きながらベットに膝をつき手を握って語りかける。

僕はそれを後ろから眺めていた。

遠目から、僅かに上下する胸を確認して長い安堵の息を吐いて、その場に座り込んでしまった。


祝祭の夜。

公爵家だけでなく、王都中に嘆きが溢れる悪夢の夜の翌朝の出来事。




その日、パーティーに出る姉上のエスコートが暫定婚約者の第2王子ベイルード殿下なのが気に入らない父上は、帰宅早々にお酒を煽っていたらしい。

長い付き合いの執事を巻き込み愚痴り続け、執事からはそれとなく『そろそろ娘離れしなさい』と苦言を呈されていたらしい。


そんな年の瀬迫る中、束の間の休息だった。

そこに駆けつけた王城からの知らせ。馬に極限まで鞭打って駆けつけた伝令は、その場で返事も受け取らず、次の伝令先へ駆け出していった。

王城から貴族の邸宅が立ち並ぶ『貴族街』まではさほど離れてはいない。

そんな僅かな距離、僅かな時間も惜しんで駆けてきたのだ。


すでにへべれけ状態だった父上だったが、手紙を読むうちにみるみる酔いが覚めたようで頭から冷水のシャワーを浴びて酒気を飛ばし、大慌てて出かけていった。


そこに入れ替わるように第2王子ベイルード殿下が、気を失った姉上を抱えて駆け込んできたらしい。

すぐさま主治医が呼ばれ、同時に王城に向かう馬車宛に緊急連絡を飛ばしたが返事がなく、その後何度も王城に手紙や魔術具を使った連絡を入れているにも関わらず、返事がこない。


これはいよいよ只事ではない。おまけに姉上の意識も戻らず…とにかく、この状態のお嬢さまを1人にしては置けない!!と、本邸の母上の元にも早馬を出したらしい。

緊急連絡用の魔術具である、小鳥になるメモ帳の方が届くスピードは速いが、文字数制限がありく手紙にしたらしい。



何が起こっているのか不安なまま、常に姉上は誰かが見ているように指示し、別室にお茶と軽食とお菓子を用意させ昼食代わりに無理矢理にでも胃のなかに押し込んだ。


怖くても悲しくても苦しくても、お腹が空いていたら何もできない。

あふれそうになる涙も一緒に、サンドイッチを飲み込む僕を見て母上も泣きながらカップケーキに齧り付いた。

普段からマナーを厳しく言われていたけれど、今はとにかく詰め込んでないと泣き叫びそうだった。きっと母上もそうなんだろう。2人して次々と手掴みで口に運び押し込み続けた。


お腹が満たされて、暖かいお茶で指先までポカポカになって、寝不足の頭に糖分が回ってようやく気持ちも落ち着いた頃。

父上がようやく帰宅された。


王都中の目ぼしい貴族が招集され、『魔人』が学園を襲撃したこと。それによる死傷者が多数出たこと。病院に運ばれた生徒や自宅に送られた生徒のリストが配られ、そして…当代一の女神の加護を持つ者が現れたことが告げられた。

王族以外の『女神の加護』を持つ存在に懐疑的な貴族が多い中、現在神殿にて詳細に調べていると現状を報告された。

以降は、ひたすらに被害状況と国内外への報告をいつするか、どこまでするか、の話し合いが行われるが収拾がつかず。一旦、各々帰宅となったそうだ。


その時に第2王子ベイルード殿下からは『力及ばず申し訳ない』と正式な謝罪があったらしい。


その後、王都中で亡くなった生徒や教授の葬儀が慌ただしく行われた。


貴族平民とわず、毎日どこかの家で葬儀が行われ、同時に後継者問題が浮上。

悲しみにひたることも出来ずに家門の存続のために婿や嫁の約束が交わされ、商家や農家も同じく誰を助けるか誰と組むかで連日、組合間で会談が開かれた。

仲裁として領主も立ち会わなければならず、母上も連日駆り出され姉上のそばに落ち着いていることもできない有り様。


唯一、幸運だったのは、敵対する家門や店を引き釣り下ろすチャンスだとばかりに盛り上がるアホがどこにもいなかったこと。

いや、居たには居たらしいけれど、そんな空気の止めない人間は極少数で即刻厳重注意がされ水面下で裁かれていたらしい。


国内の経済は目立つ打撃もなく概ね平時の状態を保つことが出来ている様だったが、王城内は大荒れだったらしい。


時折、父上についていた補佐官がくれた報告内容から、

事件の夜に『魔人』を退けた少女がかつての神話の英雄の生まれ変わりと巫女司教によって告げられたこと。

彼女のそばには常に『女神の力の片鱗』が付き添っていたこと。

神殿が改めて彼女を『聖少女』と認定し、かつて廃神を封じた地にて再びの封印をする出陣を行うことになったこと…などが知らされた。


『聖少女』の出陣に際し、各家門や城下より物資や人員が召集され僕たち公爵家も私兵騎士団や物資を差し出すことになった。

父上は宰相として王城から離れられず出陣できない。僕も成人はおろか、学園に入学すらしていない年齢なので、同じく出陣はできない。

なので、公爵家の騎兵隊は暫定婚約者である第2王子ベイルード殿下の陣に加えられることになった。


王族からは、第2、3王子が参戦するらしい。出しゃばりの第1王子おりゲルドがいないことをフト疑問にも思ったけれど、そんなことに悩む時間は僕にはなかった。


眠り続ける姉上に少しでも母上が付き添えるように、いずれ公爵位を継ぎ領主となるための勉強を前倒しして、数日くらいなら仕事を肩代わりできるように必死だったからだ。


できるなら、僕だってずっと姉上のそばにいたい。

このまま亡くなってしまうなら…1分でも1秒でもそばに居たい。

でも、父上も母上も同じ気持ちなのを知っている。でも、出来ないのを知っている。だったら、せめて少しでもそばに居られるように、手伝えることは頑張ろうと誓ったんだ。


目が覚めた時。姉上は、きっと褒めてくれる。

自慢の弟だと言ってもらえるよう、今は歯を食いしばって頑張ろう。



その後、いよいよ出陣となった前日に、『聖少女』となった方と第3王子エヴァン殿下が姉上の見舞いに来てくださった。


『聖少女』さまは、平素から姉上が世話をしていた平民の生徒だったらしい。


今なお眠り続ける姉上のベッド横に跪き、騎士として最上の礼を尽くして必ずの帰還を誓っていかれた。

その際、第3王子エヴァン殿下より婚約者である第2王子ベイルード殿下が見舞いにも来れないのを代わりに謝罪された。

事態の当事者であり参謀として参陣するために、雑事にまで及ぶありとあらゆる全てを一手に担っており、今日の『聖少女』さまと第3王子エヴァン殿下の来訪のためにかなり骨を折ったらしい。


今回の出陣のかなめであるお二人の外出など、この直前で許さるワケないことなのに無理矢理押し通してくれた、と。だから、不義理な人だと思わないで欲しい、と仰られた。


「リリーシア嬢の回復を信じて疑っていないが故に、義兄上あにうえは自身に出来ることをしておいでなのだから」


そう言って、第3王子エヴァン殿下は少し申し訳なさそうに微笑んだ。


なんだか、心を見透かされた気がした。

確かに僕は第2王子ベイルード殿下を不義理な人だと、心のどこかで思っていた。


まだ暫定だったとはいえ、婚約者の姉上の見舞いに一度も来ないなんて。

傍に居たのに、守れなかったなんて…と。


ずっと傍に居れないのは、僕も母上も父上もなのに。

学園で姉上の友人だったはずの人たちだって、お見舞いにこない。


それを酷い、不義理だ!と思ったりなんかしなかった。

父上も母上も仕事で忙しい。国政も領主代行も大事なことだ。

特に、『魔人』の出現とそれに伴う廃神の復活の兆し。大きな騒乱にならなかったのは、各領主地の領主や国政の中心である国王と貴族たちが、どんな些細な問題にも気を配っているからだ。


姉上の学友たちだって同じ惨事にみまわれた。

辛うじて生き残った人も誰かの見舞いをしている余裕はまだないだろう。


それを理解しているのに、なぜか第2王子ベイルード殿下にだけは『不義理の酷い人』と思ってしまっている…僕の、嫉妬まみれの醜い心を見透かされた気がして、なんだかバツが悪かった。


でも、それでも!!

姉上が目覚めた時には『一度もお見舞いに来なかった』と告げ口してやる!!

それで困ればいい。怒られればいい。

そのためには姉上には1日でも早く目覚めていただいて、第2王子ベイルード殿下には無事に帰ってきてもらわなくちゃ!!

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