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ぎこちない手で作り上げたハンカチの刺繍は、予定通りに新緑の枝を咥えた黄色い小鳥と一輪のピンクの薔薇。

代筆してもらった手紙は、署名だけは時間をかけて書いたけれど…とてもじゃないが貴族の令嬢が書いたとは思えなかった。


まぁ、それらについての言い訳は手紙で書いたし、むしろここまで回復したのをねぎらってほしい。ベイルードはそんなことしなさそうだけど。


それでも!!たとえ送る相手が笑おうとけなそうと、かなりの達成感に包まれた。


公爵夫人が王都郊外の本邸に帰る見送りと一緒に、王城に文箱を届ける従僕も見送った。


王城では朝に一回、にダンジョンへ物資を送る小隊が出ている。

廃神はいしんの封印地であると判明した以上、今後も禁則地であることは変わりなく秘匿するのは当然だ。

物資運搬の小隊は、帰りはそのまま現状報告の伝令にもなっている。

ダンジョンに入る部隊以外は地上で人員補充の兵士の詰所や、傷病兵の救護ベースも展開されている。


ベイルードが手紙を書いたのは、まだ向かう道中だったみたいだけど、届く日数とわたしが刺繍を完成させる日数、さらに手紙が届く日数を考えると…読まれるのはダンジョンの攻略後か、命からがら逃げ延びた時か、死んで読めないか、だ。

彼からの手紙にならうわけじゃないけど、『この手紙を読んでいると言うことは生きているのですね』ってとこだろう。

ちなみに、読めない状態になってしまっていたとしても、女神に頼んで夢枕に立つ必要はない。安らかに眠っていて欲しい。



公爵夫人と入れ替わりでリュカスが来るのは明日。

どんな出来栄えでも作れば喜んでくれるだろうから、次は彼へ何か作ろうと思ったけれど、なぜか気力が湧いてこなかった。

何となく、全てに燃え尽きてしまってやる気が湧いてこない状態だ。


午前の涼しいうちに庭を一回りして、栄養満点のお昼ご飯を食べて、陽が傾き始めたらまた庭を散策する。合間に手指のリハビリで刺繍や文字の書き取り。

公爵夫人の目がなく、リュカスが一緒にいない時でも欠かさなかった日程だけれど、今日は何だか立ち上がる元気出ず、ぐずぐずと座ったままだ。


ここは自室で、すぐそこにベッドがある。せめてそこで横になるべきなのに、起きているのも酷く億劫でそのままソファに倒れ込んでしまった。

そばに控えてくれていた侍女が慌てて駆け寄ってくる。お茶を持ってきたメイドが慌てて主治医を呼ぶ騒ぎになってしまった。


駆けつけたお爺ちゃん先生に、まさか燃え尽き症候群ですなんて言いにくくてモゴモゴしていたら…そこは長年公爵家の主治医をしてるお爺ちゃん先生。

『根を詰め過ぎると、心の方が先に疲れてしまうことがある。そんな時は無理せず、心のままに休むのも大事だ』と、言ってくれて終日お休みにしてくれた。


『リリーシア様はいつも頑張り過ぎる。もっと休んで良いし、もっと我儘になって良いんだよ』


そう言って、優しく頭を撫でられると本当にお祖父ちゃんに甘やかされてるみたいで泣きそうになる。


それと、明日からは少しスピードを緩める方向でリハビリの内容を見直してくれるらしい。


お言葉に甘えて今日はゆっくり過ごすことにした。たまにはこんな日があっても良いよね。




体調が悪いわけでもないので本でも読もうと思ったけれど、とにかく休め!と言われてしまったので、仕方なくひたすらベッドでゴロゴロ過ごす。


明日にはシスコンでメンヘラ予備軍っぽいリュカスが来るから、そこそこに元気になっていなければ…と、思うのが自分を追い詰めちゃうんだろうな〜。

『何もしない』をするのって意外と難しい。


思えば、リリーシアとして目覚めた3歳の幼女時代から、ひたすらに努力の日々だった。

現代日本人でブラック勤務のアラフォーが、中世ヨーロッパ風なドレスに身を包んで貴族の令嬢にならなければいけないんだから。

ふとした瞬間に出る言動に気をつけながら、必死に『公爵令嬢』を演じた。

それも、品行方正で優等生だけど、どこにでも居るモブ令嬢でなければいけない。


乙女ゲームかTL小説かマンガかも分からない。悪女やライバルキャラが断罪されるか、懲らしめられる話かもしれない。違うかもしれない。

でも、もし断罪系のお話だったらどんな罰が下されるのか…。

死刑や家門の取り潰し?国外追放?投獄?ブサイクな成金デブと結婚?娼館に身売りされるかもしれない?


せっかく貴族と言う特権階級に生まれたのだから、と言う欲もあって、必死に断罪もざまぁもされないように頑張った。


ここが『悠久のうた』と言う乙女ゲームの世界と思い出してからは、断罪や悪女の存在はないとしても、ヒロインの迎えるエンディング如何いかんでは世界が崩壊するから、とヒロインの恋路の応援に尽力した。

駆け抜けるような13年…いや、意識不明中に誕生日を過ぎてたから14年か。気がついたら17歳になってたって不思議な気分だ。


まるで走馬灯を追うように自分の人生を振り返っている気がして、慌ててこの思考を中断する。

せっかく、奇跡の復活をしたのに本当に死に逝く人みたいに思い出に浸ってたら、現実になりそうで怖い!!


寝巻きに着替えてゴロゴロしていたけど中断して起き上がり、ソファに移動してベルを鳴らす。

お休みにしてもらったけれど、熱が出たり頭が痛かったりしてるわけじゃない。むしろ、いらんことまで考えて余計に気が滅入る。

そう言ってお茶を頼めば、『甘いものを食べると元気が出ますよ!』と言って、たくさんお菓子を持ってきてくれた。


『お得用特大パック50個入り』とかの、どこ産かも分からない紅茶で満足していた前世に比べて、今世のティータイムは何とも贅沢に過ごさせてもらっている。

ありがたいと思いながら、シナモンの香るアップルパイを手掴みで口に運ぶ。

まだフォークを握るのが少し不便で、自室内では手掴みを許してもらっているのだ。


燃え尽き症候群の理由は何となく分かっている。


ゲームのラストではネームドキャラはヒロインと攻略対象のみで、その他にいたのはモブ兵士だった。

他の攻略キャラや、ましてや、公爵令嬢の出番はない。

戦う術を学び護衛騎士としてすでに王子エヴァンの側にいるダスティンでさえ、随行は許されなかった。


たとえ、そのダスティンの中身が何回か死に戻っていて、実技経験値加算された軽くチート級の使い手だとしても。

現状、学生である、と言う点で留守番を命じられている。


その中でベイルードが許されたのは特例だ。恐らく、功を欲する第1側室派の貴族たちがゴリ押ししたんだろう。

第1側室ジャネット並びに、第1王子オリゲルドとしては…ここで第2、3王子が戦死でもすれば自動的に王位が継げると考えていそうだ。

その時には世界崩壊が確定してるのに呑気なことだ。


…もしかして、都合良く王子2人は死亡してヒロインサラだけが帰還。

英雄の生まれ変わりの聖少女を王妃にして国民の支持を得よう、とか考えてるのかもしれない。


今回の決戦では英雄の生まれ変わりのヒロインサラと彼女と心を通わすパートナーの第3王子エヴァンありきだ。

出しゃばりで尊大で傲慢が服着て歩いているような第1王子オリゲルドは絶対に連れていきたくなかった他派閥に対し『第2王子ならば弁えて行動するだろう』と根回ししたに違いない。他ならないベイルード自身が。


こうやって、14年間の品行方正令嬢の努力も、入学してからのヒロインのお友達作戦も、恋路応援キャンペーンも…最終的に、わたしの手の届かないところへ行ってしまった。

それも意識不明で知らぬ間に。それがたまらなくむなしいのだ。

せめて、同じお留守番展開でも、きちんと『行ってらっしゃい』と送り出したかった。


好感度が数値で見れない現状では、もしかしたらノーマルエンドかもしれない。それでも、一時的には封印はされて数年後にもっと鍛えてリベンジだ!!ってラストだった。

ハッピーでもノーマルでも、世界が存続することは確定している。

そんなやり遂げた自分の努力の集大成である『ヒロインと攻略対象の出発』を、しっかり見送りたかった。


預かり知らぬところで物語が進み、置いていかれた気がして…多少、ヒロインやメインの攻略キャラに関わろうとモブはモブなのだ、と少し…悲しくなってしまったのだ。


置いてけぼり、仲間はずれ。

努力しても認められなくて、褒めてもらえない。気がついてもらえない。


全然平気になっていたのに、17年のブランクですっかりそれらに弱くなってしまっていたみたい。


嗚咽が出ないように、アップルパイを口一杯に頬張りながら鼻を啜って涙を飲み込む。

こんなにめそめそしちゃうのも、全部、燃え尽き症候群のせいだ!!

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