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半年にわたる意識不明から目覚め、なんとか起き上がって自分でスープを啜れる程度になっていたわたしの元に届いたのは、綺麗な金糸で蔓草模様が刺繍されたビロード張の文箱。

中に入っていたのは、宝石でできた一輪のピンクの薔薇と手紙だった。


宝石の薔薇は銀細工に繊細な飾り彫りの軸を茎に見立て、薄く加工したピンクダイヤを幾重にも重ねたものだった。いくら宝石とはいえ薄い花弁の端っこや、茎など割れたり折れたりしてしまいそうだけど、茎の飾り掘りが状態保存の魔術式になっていた。

白いレースで包み一輪だけのブーケのようにされていたので、箱の内側にも手紙にも傷一つない。


その薔薇の下の手紙は、まぁ、内容的には『必ず戻ってくる』とか『生きて会おう』とか『笑顔で迎えてほしい』とか書いてあったけど割愛。

だってどうしたって本心からの内容じゃないし。

多分、対外的に当たり障りなく婚約者に送る手紙っぽい感じに書いたんだと思う。


本当の手紙はさらにその下にあった。


中身に対して大きいだと思った箱は、空っぽの状態で降ってみるとカサカサと紙束的なものが入っている音がする。

宝石の一輪ブーケのリボンを解いてみると、薔薇の花のメインの茎とは別に、細い茎のついた葉の一枚がぱらりと落ちる。


何となく思い至って、空っぽにした箱をひっくり返し裏側を見てみるけれどぱっと見で分かる穴はない。落ちた葉を摘んで茎部分で箱の裏面を隈無くまなくなぞる。

これが重労働だった。スプーンもやっと握れるようになった程度で、細い茎はつまんでるのも大変だし、余すことなく裏面をなぞる作業も根気が必要だった。

それでも、針の穴のような細い穴をようやく探り当て慎重に刺し入れていく。


葉の茎は、折れるか曲がるかしそうなほどの細さだったけれど、無事に葉っぱの根元まで押し込めた。

底板が外れ手紙の束と一緒にバサバサと落ちてくる。


思っていた通り、ベイルードの本当の手紙はこちらだった。


『令嬢がこの程度の仕掛けも解けない猿以下でなく喜ばしい限りだ』で始まる嫌味や皮肉まみれの手紙は、とてもベイルードらしかった。



   親愛なる我が婚約者殿へ


 令嬢がこの程度の仕掛けも解けない猿以下でなく喜ばしい限りだ。


 今、この手紙は廃神封印の地であるダンジョンに向かう道中で書いている。

 

 この手紙が届く頃には到着し、いくらか階層を進んでいることだろう。

 よって、返信は不要である。

 だがまぁ、一応の礼儀として何かしら返事を書かされるであろう。

 せいぜい、婚約者に送るに相応しい文面を考えておくことだな。


 それと、もしかしたらこの手紙が届いても読めない可能性もあるだろう。

 

 目覚めても返信ができぬ状態だったり、目覚めなかったりするかもな。

 そうなったら、これは婚約者からの最後の手紙ということで副葬品にでもなる

 はずだ。

 女神の膝下で読んでいる場合は、その女神にすがりついてでも俺に返事を送れる

 ようにい願え。

 『令嬢が返信のために夢枕にたった』『父親を無視して、たかだか婚約者とい

 う一時の関係の男の元に来た』と、宰相公爵に大いに自慢をしてやるためだ。



 俺はあの魔人の攻撃を完璧に防いだ。その後の言い訳のために、わざわざ手持

 ちの魔術具を破壊する小細工もした。

 2人分を十分に覆う障壁バリアだったはずだ。

 それなのに、お前は意識を失い倒れた。

 体内の魔力はぐちゃぐちゃで、香の煙を散らすが如く大気中に霧散し消滅しよ

 うとしていた。

 だが、その中心。おそらくたましいと呼ぶ魔力のかたまりき出しとなり、くだけて散ろ

 うとしたものを繋ぎ止めたものがあった。

 幾重にも重なった薄いベールのようにも、何本もの糸で絡め取られているよう

 にも見えた。


 あの力がある限り、魂が肉体から離れることはないだろう。

 あとは、衰弱した肉体に散らされた魔力が再び戻るまで持ち堪えるかどうか。

 公爵にはせいぜい風通しをよくしておけと助言しておいたが、さて…結果は、

 令嬢が『どこ』でこの手紙を読んでいるかで出ているだろうな。


 令嬢を繋ぎ止めた力こそ、女神のもたらす奇跡の御業みわざだと推察している。

 俺が繰り返してきた生の中で、リリーシア公爵令嬢は存在していなかった。

 そして、お前がいなくば、あの平民女は助けもなく野垂れ死していた。

 あの女が持つ女神の加護は、国王である我が父をも凌駕する。

 平時ならば危険視されただろうが、今この状況ではまさに救世きゅうせいの英雄だ。


 あの平民女の選定結果が出ると同時に、教会の神子みこ司教が託宣たくせんを吐いた。

 神子みこ司教の存在は流石に知っているな?

 億が一にも下されるかもしれない女神の言葉を受けるために、薬と儀式で自我

 を消し、日がな一日祈りを続ける教会の操り人形…だと、思っていた。


 あの人形が平民娘の選定中に駆け込んできて、まさしく英雄の生まれ変わりで

 あり改めて廃神の封印をすべく現れた聖少女である、と告げたのだ。


 今までの神子みこ司教は、託宣たくせんをすると死んでいた。

 女神の言葉を伝えるのが人身じんしんにはそれだけ過酷だから、と伝えられてきた。

 今回の託宣後、神子司教は死ななかった。故に偽の託宣である、と言うのが一

 部の人間の言い分だった。

 だが、俺には分かった。あの平民女が魔人を倒した時の光と、お前から度々感

 じていた何者かの残滓。そしてお前の魂を保護した力。それら全てが、かつて

 王家が秘伝していた禁則地にて感じたものと同じだった。


 神子みこ司教と平民女が示した廃神はいしん封印の地が、禁則地だった。


 今回、自らエヴァンの補佐を志願したのは、俺の人生の結論を求めたからだ。

 

 今まで繰り返されてきた生は女神にとっては間違った道筋で、だから破棄され

 続けていたのか。

 何千と死の苦しみを繰り返し、解放を渇望かつぼう足掻あがいたのは無駄だったのか。

 たかが、小娘1人、平民女1人が居ないだけで…。

 

 ならば、最後まで見届けようと思う。

 

 せめてそれくらいはさせて貰う。幾多いくたも『失敗』を歩まされたのだ。

 正しい道筋とやらがどれだけたっとく輝かしいものであるか…見届ける権利が俺に

 はあるはずだ。


 禁則地にダンジョンが隠されているのは、流石に王家にも伝わっておらず皆、

 半信半疑だが…必ずある。

 隠され続け、人の手も目も入っていない未知のダンジョン攻略は、どれだけの

 犠牲者が出るかわからない。

 最下層の封印の場所まで行くのに、死ぬかもしれない。だが、その結果に今度

 こそ繰り返しのない死があるのならそれで構わないと思っている。


 もし、また死に戻るようなら、道中で平民娘か加護の片割れとなったエヴァン

 …あるいは両方が死んだのだろう。

 その時は、今生の知識を生かし精々、あの平民娘を手助けしてやる。

 お前がまた、女神の情けで生かされるかわからないからな。


 もし、お前も死に戻るようなことになっていたら、その時は最初から扱き使っ

 てやるから有り難く思え。



                                                            ベイルード・ウィースラー


 P.S.


 そう言えばお前は、最初は、なぜあの平民娘を助けなければならないのかは分

 からないと言っていたな。

 それなのに、その後問うた時は『いずれ分かる』と言った。

 やはり全て知っていたのではないか?

 その辺りの言い訳を今から考えておくんだな。

                                   』



最初は丁寧な筆跡で流れるように書かれているのに、途中からは迷い、筆が止まったように奇妙な空間が空いていたり途切れていたり、書き損じて斜線で消したりされている手紙だった。

清書する時間もなく書き上げ、箱に詰めて伝令に託したのだろう。

特に最後の追伸のあたりは、書き殴られたような乱雑な文字で辛うじて読める程度だ。

頑張って判読した結果、とても恐ろしい脅し文句で後悔した。


読み終わった手紙を慎重に時間をかけて畳み封筒に入れ、箱の底面も戻す。

ブーケも元通りにしたかったが、リボンを結ぶのは今は至難の業なのでレースで包んでリボンを添えて箱に戻すだけにした。


贈られてきた箱には鍵も何もないけれど、婚約者から贈られた文箱を開ける無粋な人間はいないだろう。それでも、万が一に備えて鍵付きの保管箱に入れておこうと思う。


宝石などのアクセサリ箱とは別に、大事なものを入れておくためのケースで、ちゃんと鍵がついている宝箱のようなケースだ。


魔法石に流し込んだ一人分の魔力で開閉され、一度魔力を流すと以降の塗り替えのできなくなる貴族御用達の金庫だ。

もちろん破る方法もあるが、専門知識と熟練の技術が必要だし、それ以外では力技しかない。


後々、指先が今より動くようになったら、宝石の薔薇はブーケの形に直して飾ろう。


すぐに飾らないのは『お父さまに壊されそう』とか言って、まだ仕舞っておきたいとでも言えば怪しまれないはず。

娘を溺愛するあまり、第2王子への婿いびりは家人も知っているから…『いくら公爵様でもそんな…』と言いつつ、まさかな?と思える絶妙な言い訳だ。



箱の底板を外す作業にほぼ一晩を費やし、手紙を読み終わり仕舞い込んだ今、空が薄く明るくなってきた。

もそもそと上掛けを胸まで上げ、重くなる瞼に霞んでいく意識の中、言い逃れの言い訳を考えないと…と、薄ぼんやり考える。


あと1〜2時間後には起こされるけれど、長時間集中しての精密作業をして疲労困憊状態。言い訳の案を考えるけれど、そんなに思考は長続きしなかった。


それにしても、肝心なエンディングを遠くから見守ることしかできないなんて…。

何となく寂しくて悲しいな〜子供の巣立ちってこんな気分なのかしら??

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