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怪我をして動けないならば治せば良いけど、衰えて歩けない場合はひたすらリハビリするしかない。
『若いんだから、体力なんてすぐ戻りますよ』と主治医のお爺ちゃん先生が言ってくれたように、日を追うごとに回復していく。
目が覚めて
いくら何でも驚異の回復力すぎる…。
『生命力と魔力は密接に関わっている』と教わっていたけれど、つまりは魔力を十分に身体中に循環することで回復力を高めたり体力を底上げしたり…生命力の強化につながっている。
この世界の魔力を有する人間は、無意識のうちに身体強化と自己治癒再生を常時展開していると言うことだ。消費される微々たる魔力は、自然回復分ですぐに戻る。
だから、ダンジョン内で使用する治癒術式には反動の倦怠感がない。
空中の魔力濃度が高いから、反動を受ける片端から微弱な
今の今まで疑問にも思わなかった。
おそらくだけど『ダンジョン内ではデメリット無し』なのが、ご都合主義設定なんだろう。
そう考えると、この世界の痛みや疲労は元の世界の何倍になるんだろう…。そんな底上げされている世界で衰弱死寸前だったなんて、元の世界じゃとっくにご臨終して火葬も納骨も済まされてそうだ。乙女ゲームの世界で良かった〜!!
とはいえ、室内では空中の魔力の量も濃度も限られている。
幸いにも別邸は裏庭が広くとられていて林と言っても過言じゃない広さがある。
祖父母が住んでいた棟もあるので、二家族分の共同の庭のつもりだったんだろう。
別邸でこの広さ。郊外の本邸もかなり広大だし、領地も、そこにある本家の屋敷も相当に広い。
これだけの土地も屋敷も維持できるくらいの権力と財力があるのに、ベイルードの言うには公爵家は没落していくらしいから信じられない。
石畳で舗装された道が通っているので、ゆっくりと休み休み歩いてリハビリするにはちょうど良かった。動けなくなってもすぐ人が駆けつけてくれるのも、自分の家の敷地内ならではだ。
人の手が入っていても木は木だし、流れる小川は天然の湧き水が起点になっている。都会である王都にあってこれ以上の『自然』は望めない。
そうして、ゆっくりと確実に動ける範囲、体力の限界値を増やしながら過ごして今は夏真っ盛り。陽が傾き始めてもなお暑いが、だからと言ってリハビリをサボる訳にはいかない。
今週は
裏庭の林をゆっくり時間をかけてぐるっと1周回って、軽くシャワーで汗を流して今は冷たいお茶で喉を潤している。
いい汗かいた、とばかりに冷たいアイスティーを上品かつ優雅に、しかしほぼ一気飲みの速さで飲み干し、ひと休憩した後は指先のリハビリが始まる。
足腰と同じく全く動かさなかった手腕も相当
本のページを捲るのにも全力で集中し、読書どころではなかったが…何とか刺繍が刺せるくらいに回復した。出来栄えはひどい物だけど、針に糸を通しバラを一輪完成させるまでに回復している。
雑巾縫いから始まりキルティング作成、やっと一輪のバラの刺繍まで漕ぎ着けた。長い道のりの過程で出来上がった物は屋敷内の家人に贈呈し、各々で活用してもらっている。
なので、母娘の憩いの場は互いの部屋でもリビングでもサロンでもなく公爵の書斎が定番だ。
今日も、執務机に座った母と応接セットで布やら糸やら広げている。
時々上手くいかなくて
今まで何の苦もなく当たり前にできていたことが、急に出来なくなるもどかしさは
例え、このまま貧弱な体力で軟弱な足腰でまともに動けず、震える指先で自分でリボンを結ぶことすらままならなくとも…生きているだけ感謝しなければいけないのだ。
破られた天窓や屋根の瓦礫に巻き込まれ大怪我をした生徒、助けようと『魔人』に立ち向かい亡くなった教授。
特に、最後にわたしとベイルードに向かって放たれた魔力の塊の威力は凄まじく、余波によって亡くなった人もいた。
わたしが助かったのは、ベイルードが庇い彼が身につけていた防護術式のあるアクセサリと彼自身が全力で張った
ただ、
『ただの魔力の塊で良かった。何かしらの術式であったら…』
そう言っていたのは主治医のお爺ちゃん先生。
でもきっと、ベイルードならば、『魔人』の攻撃術式でも完璧に防げていたはず。
わたしが倒れたのはきっと関係がない。
夢の中に出てきた正体不明の輝く球体の正体が、わたしの予想通りなら…わたしが『生かされる』のは決定していた。
『魂の定着』と言っていたから、この世界のリリーシアの魂なら昏倒も意識不明の衰弱死もなかったのだろう。
ブラック勤務の社畜アラフォーなんて他世界産の魂が入っていたせいの可能性がある。きっとちょっと他より剥がれやすいのだろう。
この世界は『悠久の
現に登場人物や設定はそれに則っている。でも、今更ながらに、何かが少し違うのだろうと思い始めている。
だって、少なくとも『死に戻りループで病んでます』なんてキャラはいなかったし、最終決戦に向かうのはヒロインとそのルートの攻略対象だけだったはずだ。
私の知る『
公爵令嬢…ではなくとも、少なくともヒロインには友人くらい居たはず。
ゲーム中では容量の問題などで
存在しない行間の見えないモブだけど、いてもおかしくはない存在。
むしろ居ないと、ヒロインがとんでもないキャラになってしまう。女子生徒の中で孤立し、攻略対象のイケメンとばかり仲が良い…典型的な女子に嫌われる女子の『男に媚び売る、男友達しかいない女』になってしまう。
でも、ベイルードは?
彼は攻略対象としてキチンと設定がされていた。
側室の産んだ第2王子。腹黒で策士キャラ。上から目線の傲慢な、嫌な感じの方の王子さま。オレ様ドSキャラに翻弄されるルート。
『死に戻りループ』で『精神病んでる』なんて設定はどこにもなかったはず。
そんな考え事をしながらの刺繍は、ただでさえ
思考の渦に飲み込まれていた頭に、文字通り突き刺す痛みが走りハッと気がつけば手にしていた布には赤い血が滴っていた。
真っ白な布に新緑の小枝と黄色い小鳥、薄いピンク色のバラが一輪。その構図のために、やっと数日かけてバラを縫い取ったばかりだったのに、血がついてしまっては台無しだ。
黄色い小鳥のためのスペースに、じわりと赤色が広がっていく。血抜きして綺麗にしても、これを誰かにあげる気にはならない。諦めて雑巾行きだ。
咄嗟に出た『痛っ!』の声に反応した
そばに控えていた侍女がメイドに指示を出して、救急箱を取りに部屋を出る。
『大丈夫よ、また作り直せば良いわ。どれだけ遅くなろうとも、あなたが心を込めて作ったものなら殿下はきっといつでも受け取ってくださるから』
そう言って、優しく布で押さえた手を撫でてくれる公爵夫人。
この刺繍はハンカチとして出兵したベイルード殿下に送る、と適当に言って作り出したのだ。
それと言うのも、目が覚めて数日後、
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