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一般的に、馬車は向かい合わせの座席になっている。進行方向を向いている方が上座で、反対側が下座。

通常のお出かけはお付きの人間が1人づつ同乗するので、主人格が夫婦や恋人同士なら上座に並んで座り、下座には付き人が座る事になる。


しかし、現在この馬車にはわたしとベイルードしか乗っていない。

本来なら上座にはベイルードが1人で座り、下座にわたしが座るのが正しい。それなのに、なぜか並んで上座に座っている。


夫婦や恋人同士、中の良い友達同士…あるいは、親子や兄弟姉妹などの家族だけなら、なら並ぶこともあるだろう。

上下に分かれて座ることが仲が悪い証明ではない。

『原則そうなっている』以外の行動をするには、当然に理由がある、と言うことだ。特に、年頃以上の男女が並んで座るのはイチャイチャしたいからに他ならない。


手の届く範囲、体温を肌で感じる範囲、吐く息が素肌をくすぐる範囲にお互いを置いておきたいから並んで座るのだ。

あるいは、そうなりたいと言う意思表示で隣に座ったりもする。


はい、突然ですが…ここで問題です。

暫定・婚約者でありパーティーのパートナーとして礼儀にのっとり迎えにきてくれたと思われるベイルード殿下ですが…もちろん、王族として恥じないエスコートのために、手を取り馬車へと先に乗せてくれました。

暫定・未来の旦那さま(勘弁して)にして第2王子殿下なので彼の定位置は当然上座ですね?では、わたしの席は?……そう、下座です!大正解!!


ちょこんとお行儀よく下座に座り、ドレスとお迎えのお礼を言いつつこの間のハレンチ行為と事前通達なしのお迎えにの少しの嫌味でも言ってやろうと待っていれば、何やら気に入らなそうに、外面用のニヤケ面の眉根が寄っているご様子。


やや乱暴に乗り込むと上座にドカリと座りおもむろにわたしに向かって手を伸ばす。扉が締め切られる前に、強引にわたしを自分の隣に抱き寄せる…ように見える光景が繰り広げられてしまい、誤解を解く事もできず馬車内にあるベルを鳴らし出発の合図をされてしまった。


見送りのメイドや侍女たちの黄色いささやかな歓声と従僕の息を飲む音…これは絶対に公爵に報告される!!今からなんと言い訳しようか頭が痛い。

抗議の視線を向けるも、当のベイルードは涼しい顔…を装った不満顔で窓の外に流れる景色を瞳に映している。


ゲーム知識にしても、現実知識にしても、ベイルードと言う人物は心情を悟らせない人物だったはずだ。

口八丁手八丁に策をろうし、けむに巻き、貼り付けたような胡散臭い笑顔が決して崩れないタイプのポーカーフェイス。

それが唯一、崩れて上手く発揮できなくなるのがヒロインだし、彼女も徐々にその笑顔の裏を読めるようになっていくのだ。


そう考えると、ゲームのヒロインってやっぱり凄い!

わたし『眉根が寄ってるから機嫌が悪そう』くらいしか読み取れないもん。


現に、今どんなご機嫌かも分からない。

何かが気に入らない?不愉快とか不快なのはわかるが、何に対してなのかまでは分からない。


一度向かいに戻ろうとして立ち上がろうとしたのを逃がすまいと手が繋がれたままだし、引っ込めようとしてもガッチリ掴まれていて離せない。


何度目か分からないため息をそっと吐き出し、沈黙も飽きたので取り敢えずドレスのお礼を言う。


「素敵なドレスをありがとうございます。ちょうどこのような意匠のものが良いと思っておりましたので、とても嬉しく思います」


もちろん、嫌味も皮肉も忘れない。

『こんなデザインを求めてた』なんて、こんな襟もデコルテも覆ったドレスが必要になった一端を担っている人間への当て擦りだ。


返事はなかったが、繋がれたままだった手を握る力が少し強くなる。

石畳の上を走る車輪の音で聞き取れなかったが、ベイルードが何か言った気がする。

聞き返した方が良いかと思ったけれど、伝えたい事ならハッキリと言う人間だ。

そうしなかったと言うことは、単なる独り言のたぐいだったのだろう。


心なしか、馬車内の沈黙も息苦しいものではなくなっている。


ハレンチ行為の文句とか、フェチ感満載ドレスはどうかと、とか…もっともっと言いたいことはあったけれど、この辺で勘弁してやろう。


せっかく機嫌が直ってるみたいなのにヘタに突いてまた直滑降に滑り落ちられたら、パーティーどころではなくなってしまう。

少なくとも、エスコートされながら入場し最低でも1曲はダンスに付き合ってもらわなければならないのだ。


それが終わればあとは自由行動で構わない。

わたしも自由に動くつもりだ。


何せ、このクリスマスイベントで王子とヒロインにはスチルイベントが起こるはず!!その場面をしっかり確認して、攻略は順調なんだと安心したい。

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