幕間 公爵家使用人の日常 恐怖の日ver.


首元を隠し、馬車を1人で飛び降りた当家のお嬢さま…リリーシア様は脇目も降らずに屋敷内を駆け抜け自室にこもってしまった。


普段、令嬢として淑女として恥じぬ行動を心がけている『お嬢さま』が、まるで市井の子供のようにバタバタと走る姿を呆気に取られた顔で見送り、一体、何事があったのか?と先に馬車を降り、手を差し出していた従僕に目を向ける。


彼は驚きながらも『まぁ、仕方ない』と言った顔をしながらも、どう説明したものか頭を抱え周囲から向けられる視線の中を俯きながら屋敷に入った。




朝、登校し、放課後に寄り道をしてその言付けに店の使いの者がやってきた。


貴族令嬢としては褒められないが、決して許されざる行為ではない。

むしろ、お嬢さまは今までそんな若者らしい少しの羽目外しもしてこなかった。

一際厳しく育てられた、とは言わないが、まるで初めからそうであったかのように…淑女教育が始まる前から、振る舞いをされる方だった。


それが学園に入り、色々と騒動はあったが…かなり自由に明るく楽しく過ごされている。

店からの使いの者が来た時など、侍女や執事などは、ようやく子供らしく言いつけを破った悪い子だとお小言を言う機会が来た、と、教育係としての腕の見せ所だ、とおかしな方向に興奮していたほどだ。


少しの注意をして、本日のお嬢さまの少しの冒険話を聞こう、と微笑ましく思っていたのに。


何事があったのか問い詰めたいが、仕える主人一家のことを根掘り葉掘り詮索はできない。

まずは、公爵が留守の間の内向きの右腕的存在である執事に報告がされ、差し障りのない範囲を公爵が判断し家人たちに知らされる…それまで、どれだけ気になってもあの従僕を囲い質問攻めにはできない。


気ももそぞろに公爵の帰りを待ち、従僕を伴った執事が帰宅早々の主人を執務室に押し込むように入れて厚い扉がピッタリと閉じられる。


はしたないとか、使用人としてどうか?と思う心があっても、気になるものは気になるので扉の前は鈴生りだ。


分厚い執務室の扉越しでは、中の会話など何も聞こえないに等しい。サワサワと人の声らしきものが行き交う中、この分厚い防音の扉を容易く貫通するほどの大絶叫が響く。

必死に聞こうと、べったりと張り付くようにしていたのでその大音量が鼓膜を突き抜け脳を揺らし、しばし耳鳴りで聞こえにくくなるはずが、公爵の(おそらく)罵詈雑言と思われる叫びは続き、唯一聞き取れたのは『リリーシアをここに呼べ』だった。


娘が生まれてからこの方…いや、およそ家族に向けてこのような口調で呼び出しをしたことのない公爵の剣幕に、ますます何事があったのか気になるが今は扉が開かれ盗み聞きがバレると蜘蛛の子を散らすように慌てて扉から離れる。


一目散に廊下の角に身を潜め様子を伺うと、慌てたように転びまろびつつ従僕が駆け出しお嬢さまを呼びに行く。

どんなに切迫した時でも、公爵家に仕える使用人として優雅に振る舞うことを徹底的に躾けられる。執務室内に入ることを許された従僕なら、尚更に。


そんな者が全力疾走で駆ける姿は、現公爵の代になって初めて見る光景だ。ちなみに、先代公爵の時にもみた事はない、と古参の使用人が後に語っている。


開け放たれたままの扉からは『お前がついていながら』と、馬車で迎えに言った別の従僕が責められていた。


それも、公爵が直々に、だ。


気象の荒い主人ならともかく、当家の主人が直接に使用人を叱責したことは…今の今までなかった。

たとえ叱責を受けるとしても、あくまで主人の意向を受けた執事などの使用人を総括する人間が主人の前で叱責するだけだった。

その後で、静かに公爵が罰を下すのだ。

今は、むしろ叱責する立場の執事が必死に公爵を宥めている。あまりの剣幕に、誰も扉が開いたままなのにも気がついていない。

分厚い扉も貫通するほどの大音量で、続く怒りの声は今や屋敷中に響いているだろう。


何かとんでもない事態になってしまったのではないか?それも、あんな剣幕でお嬢さまを呼びつけるほどの何事かが…!!

ほんのささやかな令嬢の冒険をしてみただけのはずではないのか?


ハラハラと成り行きを見守っていると、当のお嬢さまを呼びに全力で駆けて行った従僕が、この世の終わりのような真っ白な顔でヨタヨタと戻ってくる。


お嬢さまの姿は…ない。


萎れたように歩く彼の耳にも、今も続く同僚への主人の叱責は聞こえているだろう。それが今度は自分に向く。確実に。

それでも、命を受け駆け出したからには結果は報告しなければいけない。

意を決して恐る恐る扉から声をかけ、震える声で『お嬢さまは今は無理、だそうです』と伝える。


何か重いものが硬いものを叩き壊す音が聞こえ…打って変わって静かになった執務室からは、火花が散る様な音が鳴る。

公爵が本気で激怒し、魔力が暴走しだし放電を始めたのだ。


数ヶ月前のお忍びで訪れた国王親子との晩餐の惨劇が、使用人全員の脳裏に過ぎる。


あの時、公爵家はおろか王都の危機だった。


ダイニングの修繕は困難を極め、出入りの職人には悲鳴を上げられた。当然だ。別邸とはいえ長く続く家門の屋敷は一部屋一部屋、芸術の域に達するほどの意匠やインテリアが何気なく使われている。

大事にしまい込むのではなく、日常的に使うことによって、これだけのものでも気軽に使えるほどの財と権力がある、と案に示すのも『貴族の屋敷と生活』の役目だからだ。

特にダイニングテーブルの惨状を見て、職人は声にもならない悲鳴を喉から搾り出し、がくりと膝をつくとそのまま放心。そして泣き出してしまった。

弟子たちが必死に宥め慰めても、嗚咽を繰り返すばかりで初日は仕事にならずそのまま帰って行った。

国宝とも言えるほどの、年季と貴重さを併せ持った古代木による重厚なダイニングテーブルは、無惨にもズタボロになり廃棄の山にそっと置かれていたのだから当然と言えば当然だ。


今回は、なんだ?代々の公爵が愛用している執務机か、本棚か?いずれも年代物で歴史的な価値も芸術的な価値も高い、まさに公爵家の使える宝だ。


足音荒く部屋を出る主人に健気に追従する執事だが、その足がよろけているあたり…またぞろ家宝が粗大ゴミにされてしまったのだろう。


片付けておけ、と言いつけられ残された若い従僕2人は部屋の中で頭を抱え残骸になった木片に譫言うわごとのように謝り続けている。


とにかく怖い。これ以上、屋敷の家宝が破壊される様を見るのも忍びない。それでも、事の顛末が気になる!!

好奇心と恐怖を反復横跳びする盗み聞きグループの使用人たちが、あとを追うか迷っている間に、今度はお嬢さまの部屋の方角から怒鳴り声が響き出す。


あの公爵が!?

目に入れても痛くない。むしろ入れてしまいたい、と気持ちわr…げふん。溺愛しているお嬢様を怒鳴りつけている!?


揺れていた天秤が僅かに好奇心に傾き、足音を殺しそろそろとお嬢さまのお部屋に向かえば、またも開け放たれた扉の向こうの声は筒抜けだった。


しかし、お嬢さまは寝台の天蓋の中…本人以外が不可侵の無敵空間に籠ってしまっているらしい。

抜群の遮音性と耐衝撃の鉄壁が公爵を阻み、どれだけ怒鳴ろうともカーテンを叩こうとも(絹糸のレースカーテンなのに打撃音がする)反応を返さないらしい。


聞こえずとも、薄く影が透けて誰かしらが訪ねて来ている…十中八九、お父上が来ているのがわかるだろうに無視を決め込んでいるのだ。あのお嬢さまが!?


貝のようにピッタリと閉じこもってしまったお嬢さまに、それ以上はどうしようもなく。

息を切らした公爵は仕方なしに部屋を出てご自身の私室に向かい、手紙を認める故いつでも届けれるように、と待機を命じてものすごい勢いでペンを走らせる。


書き上がった手紙は、分厚すぎてどんな封筒にも入らずクルリと丸めるのも難しいほど、ずっしりと重い紙束だ。

第2皇子宛として『その場で返事か、むしろ本人をよこすように』といい含め配達役となってしまった騎兵が送り出される。


その日は公爵邸の灯りが落ちる事はなく、返事か本人かを待つ公爵と家人たちは夜通しで起きていることが決定した。

交代の組み分けと夜食の準備がすぐさま使用人連絡網で伝えられ、屋敷中が慌ただしくなる。




その頃、渦中でありながら何者も手を出せない無敵空間にいるお嬢さまは

声の限りに自身の婚約者を罵り、数ある枕の羽を全て散らしても尚足りないとマットレスをひたすらに殴りつけていたが…部屋ので待機をしていた侍女やメイドの誰も、その姿を見るものはいなかった。


同性としての一種の連帯感もあって、女性使用人の誰も無理に声をかけたりはしなかった。

ただ、そっと。着替えと夜食を差し入れ、翌朝の身支度の時は念入りにベースメイクをするべく、粛々と準備をしていた。


『学生時代あったよね〜』『つける方は良いけど、こっちは誤魔化すの大変なのにね〜』『いや〜あの頃は若かったな〜』


なんとなく事情を察した彼女らは、少し恥ずかしいが甘酸っぱい学生時代の恋愛話に花を咲かせた。

どうせ、今夜は徹夜だ。恋バナ、語り明かそうぜ!

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