43


夏休みというものは前世でも楽しかったけれど、今世でもとても楽しかった。

追試のおかげで日数こそ減ってしまったけれど、その追試の合間に学園で新たかの宿題も終えてしまっていたので本当に遊ぶだけの長い休みだった。


……残念ながら、そんなワケはなかった!!


確かに宿題はなかったけれど、前世のようにエアコンの効いた部屋で寝転がりながらゲームしてアイス食べてゲームして…そんな、自堕落で最高な夏休みを『貴族の令嬢』ができるわけなかった!!


特に、王城に入ることはないとはいえ仮にも王族の婚約者になったのだから

お嬢さま教育をおさらいします。と、言われた日の朝一の絶望感…。


食事とお茶のマナー。刺繍とダンス、ピアノ。

お茶にはホストとゲストの2パターンを、それぞれ別日で厳しくチェックされ。

ピアノは…前世でも楽器なんて触ったこともなくて、辛うじて鍵盤のドレミくらいは知ってるから、と選んだ後にだいぶ後悔した。

いや、他の楽器でも苦労はしただろうけれど、ピアノはとにかく体力がいる。

重い鍵盤をしっかり指で叩かなくてはいけないし、姿勢が悪いと何度も注意され…指先から腕から痺れて感覚がなくなるまで練習をさせられる。

これが、ダンスの日と重なると地獄だ。どっちが先でも後でもとにかく地獄。


幸いなことに、学園生活で学ぶ実技のなかに『体力』があり、実践としてダンジョンに行ったり武術を習ったり…この世界での『体育』的なことをしていたので、幼少の頃よりは楽に体が動けた。

その分、細部への気配りが抜けている!と叱られて、招かれた先生の納得いくまで『指先まで優雅な動き』を繰り返させられたけれど…。


入学後も、貴族の令嬢たちが平民たちと同じだけ動けるのは、この過酷なダンスレッスンと楽器関連があるからだと睨んでいる。

でなければ、カトラリーより重いものなんてもったことありませんわって顔してる令嬢が、体力強化の魔術をかけたとしても、あんなに反射神経良くダンジョン内の探索したり、武術の時間に動けたりしない。


そして、辛い苦しいという表情をするな、優雅に微笑み軽やかにターンをしなさい。と教え込まれるから、あんなにポーカーフェイスが極められるのだ。

夢物語の中のお姫さまやお嬢さまが、どれだけフィジカルな世界を生き抜いるのか…体験してみないと分からないもんだ。


そんなこんなで、楽しく遊んでいるだけの夏休みではなくなってしまい、

『わたしはこんなに楽しく過ごしてるけど、今頃あの腹黒ニヤケ面ベイルードは公爵にイビられてるんだろうな〜』と、ほくそ笑むつもりだったのに…全く、そんな機会はなかった。

むしろ、わたしが苦労している分アイツも苦しんであれ!!と呪いを吐いたほどだ。



残りの夏休みの宿題に、お嬢さま教育の復習をみっちりと詰め込まれたおかげで

全く構えなかった可愛い弟のリュカスはとにかく拗ねて、泣いて、大変だった…らしい。


別邸に帰る前日には家出、と言う名の屋敷内かくれんぼをしたまでは良かったが、本当にどこにも見当たらなくて…。

日が暮れてから見つかったのは良かったが、探しに来たのが姉ではなかったとまた大騒ぎ。

残念ながら、姉はその日も朝から晩までみっちりお嬢さま教育でそんな暇なかったんだよ…。かくれんぼ騒動すら初耳で、晩餐に顔を見せない事で初めて知ったんだ。


怒った公爵夫人によって、明後日の正午までお部屋謹慎が決定し、つまり翌日には別邸に帰る姉の見送りはしてはいけない。となってしまいまた大騒ぎ…を、しそうだったのを無言の圧力で公爵夫人が黙らせた。母は強し。



翌朝、弟付きの従僕が分厚い手紙を申し訳なさそうに渡してきて

『どうやら夜通し手紙を書いていたらしく、今は疲れて眠ってますので今のうちのご出発を…』と、少し急かされた出発だった。


王都までの舗装された道を、馬車でガタゴト揺れながら

リュカスも12歳のお茶会にも出て、貴族的には準大人の扱いをされるのだから、そろそろ姉離れをしたほうが良いだろうと、考える。


決して、手紙の内容が、細かくぎっしりと姉への愛だの賛美だので埋め尽くされていて…寂しかっただの、いつも一緒にいてだのと重い内容に恐れを抱いたワケじゃない…いや、ゴメン。ちょっと怖い。シスコン重傷者のヤンデレ怖い。


冬休みは公爵夫人も彼も領地に行くだろうし、本邸に帰るつもりだったわたしも、同じく領地に行くのだろうと思っていたけれど…別邸で、王都で過ごすのも良いかもしれない。


ベイルード曰く、本来の歴史では公爵令嬢は存在しないはずだった。

それなら、あの子のこの執着はどこに向かっていたのか…それとも、こんなに執着したりする性分ではなかったのだろうか?


少し聞いてみたい気もするけれど…政治の表舞台から退しりぞき、いち領主いち貴族となったゲイルーバード家の息子の話なぞ把握もしていない可能性が高い。

些細な好奇心を満たすためにだけにはあまり近づきたい人物ではないので、フッと沸いた疑問はそのまま眠らせておくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る