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公爵令嬢として貴族として10数年生活しているけれど

こんなスピードで走る馬車は初めてだ。


ガタガタと激しく揺れ,ただ座っているだけでも難しく

気を抜けば壁や椅子の背に頭をぶつけそうだ。


けれど,ここは剣と魔法が存在するファンタジー系乙女ゲームの世界。

身体強化魔術を使えば,15歳の公爵令嬢でも歴戦の戦士並みになる。


恐怖で身をすくませた小娘とあなどって,

扉を閉めようと向けられた背中を,力の限り,蹴り飛ばす!!


爪先で蹴るのではなく,靴裏が当たるように踏むように蹴り出す

いわゆる喧嘩キックというやつだ。


当然,相手も身体強化をしてあるからか,外に蹴り出せなかったが

体半分以上を馬車外に晒すことになり,必死に馬車にしがみ付きながら

振り落とされまいともがく虫のようだ。


結構なスピードで暴走する馬車から落ちそうな恐怖に

喘ぐように荒く呼吸をしながら,何とか中に戻ろうとするが

そのしがみつく手を再度踏みつける。


放り出される恐怖と衝撃はあるだろうけど

身体強化と防御魔術を展開すれば,死にはしないだろう。


やられたら,やり返す!!の精神で,お前も同じだけ恐怖しろ!!と言う

嗜虐的な考えがなかったわけじゃないけれど

ちょっとくらいは『ざまぁ』と思ったりはした。


御者だった男の顔が,恐怖で青褪めた第2王子の顔になるまでは…。


おそらく変装アイテムか認識阻害系の魔術を使っていたのが

蹴られた衝撃か精神が乱れて魔術が解かれたのだろう。


暴走する馬車に齧り付き,風に煽られ飛ばされそうになっているのは

最近改めて対面し,恐怖を叩きつけてきた事件の元凶となった

我が国の第2王子・ベイルード・ウィースラーだ。


平凡な顔…と言っても乙女ゲームの世界なのでモブでも美形なんだけど

どこにでもいそうな雰囲気の御者だった男が


普段のニヤケ面も糸目もなく,カッ開いた必死の形相で

赤みの強い紅茶色のツヤやかな髪を風で乱れさせながら,

助けを欲しがりながらも,逡巡しゅんじゅんするように馬車に張り付いている。


まさか,王子さま本人が実行犯になるとは思わなかった。


けれど,思い返せば…呼び出しこそスパイ騎士ダスティンだったけれど

実際に詰問してきたのは王子本人だ。


その後,吹っ飛んで気絶してたし

スパイ騎士ダスティンからの威圧が印象に残りすぎてて,かすみがちだけど。


本当に一瞬だったけれど…助けるのか,手を貸すかを悩んだ。


わたしのその一瞬の表情を逃さなかった王子が,

必死にしがみ付き助けを求めるか迷っていた顔が,緩んで微笑みに変わる。


仕方がない,と言外に言うように。

ため息と一緒に思わずした苦笑のように。


それは諦めの表情だ。


咄嗟に,さっきまで蹴っ飛ばしていた腕に手を伸ばし

自身に身体強化の重ねがけと,王子には風魔術による空気抵抗軽減をほどこしていた。


お互いが驚いた顔をしながらの,間抜けな救出ではあったが

何とか引っ張り上げ呼吸が落ち着いた時には,いつの間にか馬車も停止しており

確実に公爵家ではない別の邸の前庭が開きっぱなしの扉から見えた。




「深窓のご令嬢と聞いていたが,まさかこんなゴリラだったとはな」


椅子に座り直す気力もなく,ぐったりと床ペタに座って息を整えている状況で

誘拐まがいの行為の謝罪でも,助けた例でもなく

開口一番,ディスりがくるとは思わず,盛大に舌打ちをしてしまう。


だって,咄嗟に思っちゃったんだもん…助けるんじゃなかったって…。


前世のアラフォー時代はよくしていた舌打ちは

当然,お行儀も素行も悪い行為なので今世では封印していたのに

緊張が緩むと同時に,その他の諸々も緩んでしまっているらしい。


およそ令嬢らしくない音量の舌打ちの何がお気に召したのか

呆気にとられた顔をした後,引き笑いで爆笑が始まる。


呼吸の合間に途切れながら聞こえる,誰がこの女を深窓の令嬢と言った,とか

騙されたマヌケめ,とか色々聞こえるが失礼な話だ。

少なくとも,今この瞬間までは完璧に品行方正な公爵令嬢だったはずなのだから。


「それをおっしゃるなら,殿下のその笑い方も王族としての品位を疑われますよ」


と,嫌味を言えば笑いはさらに深くなる。


これは,本当にわたしを笑っているのか

ただ緊張の糸が切れて,何でも面白くなってしまっているのか…どっちだ??


「声を出して笑ったのは今が初めてですよ」


そんなまさか,と思うけれど

幼い頃から王族として教育されるとは,そう言うことなのかもしれない。


品位ある行動を心がけ,決して驕らず民の模範たれ。


これは,第3王子攻略時に聞いた気がするが

同じ王子なんだし,同じことを教わっているはずだ。

身になっているかないかは,人それぞれなんだろうけれど。


ベイルード王子は兄の行動を反面教師にしているのかもしれない。

腰巾着とか太鼓持ちとか悪巧みしてそうとは聞くが,

素行が悪いとかは聞かなかった。

その辺りは兄の方が有名だったから,かもしれないけれど。


何しろ,わたしが知り得たのはあくまで集められた情報で

実際に近くで接してった事柄ではない。


いまだに引き笑いを引きずるベイルードと目が合う。

ニヤケ面として消える寸前の瞳がうっすらと開いた酷薄な笑顔が

ズイッと近づけられる。


公爵家の馬車なのでそれなりに広いし居住性も良いが,それでも馬車は馬車。

第二次成長も落ち着き始めた成人間近の男女が2人,

床ペタに座り向かい合っていれば,おのずと距離も近いと言うものだ。


その距離をベイルードはさらに詰めてくる。

あの日,髪を掴んだとは思えないほど優しい手つきで頬を撫で


「変だと言うなら,お前の前以外ではもう笑わん。」


わざわざ耳元に寄せた口から囁くように告げ離れていく。

ついでとばかりに髪を一房とり離れ際ににそっと口付けを落とし,

またニヤリと笑みを深める


口付けながらになるので,目線の角度は必然,見上げる形になる。

いわゆる『上目遣い』だが…

いまだかつてこんなに凶悪な上目遣いは経験したことがない。


それなのに,顔と言わず身体中の血液が一気に温度を上げ,

確認するまでもなく顔が赤くなるのがわかる。


忘れていたけれど,この第2王子は攻略対象で

人それぞれの好みはあれど,めちゃくちゃにイケメンで

声も人気声優が演るだけあってイケボだ。


普段は張りのあるやや低めの声が

囁くようなウィスパーボイスになった瞬間の破壊力よ…。


ここは乙女ゲームの世界なので,

両親も屋敷で働く人間も,学園の生徒も教授たちも顔が良い。

その顔が良い人間の悉くを,モブにできるからこその攻略対象なのだ。


関わらないように,と直視を避けてきた『攻略対象』の破壊力に

突然の邂逅かいこうに恐怖の威圧事件のお陰で失念していたものを思い出す。


さっさと馬車から降りたベイルードが,いつもの…

攻略対象の好感度を確認する画面やキャラ設定でよく見ていた

『糸目のニヤケ面』で手を差し出してくる。


降りろ,ということだ。


明らかに公爵邸前ではないし,馬車も御者ごと乗っ取られ帰宅のすべがない。

徒歩にしても何にしても,まずは馬車から降りる必要がある。


だから,降りるだけであって,決してベイルードの思惑通りの行動ではない!!

攻略対象の攻略対象たる所以ゆえんの末端に触れて,陥落したわけではない!!


わたしは,平穏で平和で静かで穏やかな生活を送るの!!

愛する伴侶か,可愛い子供か,穏やかな家庭科,趣味に生きるか…

前世で得られなかったものを,今世でこそ手に入れるの!!


乱れた呼吸と動悸を深呼吸一つで抑え込み

あえてベイルードのては借りず,わたしは馬車から飛び降りた。

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