【💫完結💫】二億二千光年の、

2.___

　城ヶ島公園の横にバイクをとめて、

　「真っ暗、」

「なんだよ、こえぇの？」

「こわいよ。たぬきでるよ、これ」

「はは！」

　藪のトンネルを抜けて馬の背洞門のある海岸まで降りる。岩礁に立ち、開けた夜の空を見上げる。

　「わぁ！　見て！　ロウ！」

　夜中にこんな半島の先っぽまで、しかもわざわざ星を見にきたのなんか、はじめてだ。

　「すっげぇだろ！」

　ロウがニヤリ、自慢げな顔を向けてくる。

　惚れてくれていいぜ

　これはそんな顔だ。ただ頷くと、彼は満足げにまた夜空に顔を戻した。

　灯りのない海岸から見上げる夜の空には、文字通り降って落ちてきそうな星たちが、瞬いていた。

　冬の重たい雪の空に。

　ほんとはきっと、磨いたコバルト硝子みたい。澄んだ真夏の夜空に違いないのだけど。

　弟が死んだ冬からぼくの目にだけ色を変えない鈍色の空にも、夏の星が不自然に輝いていた。

　「寝転んで見るんだってさ、ジジイがいってた」

　そうステージ状に広がる岩礁の上に、デカイ身体を無遠慮に広げて寝転ぶロウの横、倣って寝転ぶ。

　「流れ星は、十五分くらいすると見えるらしいぜ」

「ふぅん、」

「流れ星、てさぁ、流れたあと、どこにいくんだろうな。落ちたやつ、集めて売ったら儲かりそう」

「流れ星、て、星じゃないよね」

「え？　あ、知ってるよ、そんなの。ジョーダンだよ、ジョーダン」

　時刻はきっと潮止まりに近い。

　タプン　タプン　波が優しく岩を撫でてゆく音だけ。

　チラチラ　空気に揺れる星の音が、聞こえてきそうだ。

　家からは、明るい星がポツポツ、いくつか見えるだけなのに、

　「ほんとはたくさんあるのに、見えないだけなんだなぁ」

「うん」

　そう考えると不思議だった。

　「星空に、浮いてるみたいだ」

　ロウがとなりで、戯れに手を伸ばす。もちろん、届くわけなんてないんだけど。それでも思わず頬が緩む。

　「なに、」

「……ペルセウス座だって、二億光年も遠いとこに、あるんだよ？」

「知ってるよ、そんなの。ジョーダン、ジョーダンだよ」

「いま見てるのは、二億年もむかしの光なんだよ？」

「知ってるよ、そんなの」

「ぼくたちの目がその星を見るころには、もう星はそこにはないかも知れないんだよ？」

　そんな星があると、以前に聞いたことがある。

　目に見えているのに、もう、そこにはない。

　光を実態として捉えるぼくたちの目は、脳は、なんておぼつかないんだろう。

　「…知ってるよ…そんなの…」

「例えばさぁ、」

　ぼくも真似をして、星に手を伸ばす。

　「バイバイ、て、いって」

「……、」

「ふり向いたときにはもう、いないかもしれないんだよ。まだ、そこにいるように、見えるのに」

「……問題、ねぇよ」

　さっきまでの拗ねた色が一転。凪いだ海みたいな静かで深い声が耳に届く。

　「声は光より遅く耳に届く。声が聞こえた時点でまだ見えてんなら、まだ、そこにいる」

「なにもいわないで、いなくなるなら？」

「……っ、」

　瞬間、空に伸べていた無骨な手が、やっぱり星に伸ばしていたぼくの手を掴んだ。

　「っ、ロウ？」

　びっくりして顔を向ける。

　紛れもなく実体としての朧月が、闇に浮かぶほど目を大きく広げて、ぼくを見つめていた。

　「ロウ？」

　なんだろう。なにか気に障った？　不思議だなって、思いつきを口にだしただけなんだけど…。暗がりのなか窺うようにもう一度声をかけると、フッ、と、空気の緩むのを気配で感じた。それに安堵すると、

　「……問題、ねぇよ」

　ロウはそう、掴んだぼくの手に指を絡めてきた。

　厚い掌の握力と、熱い手の熱が、伝わってくる。同じだけ、冷たいぼくの手が、彼の手から熱を奪う。

　見えたものより確かな質量が、そこにある。

　「こうしてれば、さ」

　「あ、……、」

　「おぉっ！」

「ぅえ⁉︎」

「見えた！　いま見えた！　流れ星！」

「え⁉︎」

「一瞬だ、すげぇ一瞬だ！　ヒュッ、て！」

「え、ぼくも見たい！」

「はは！　見えた！」

　愉快そうに朧月が、流れ星が見えたんだろうあたりを指さす。

　ぼくの手は、離さないまま。

　ごめん。

　そう呟いたのは、きっと届いていた。

　弟が父に殺されて、その父はぼくと朧月に殺されて、錯乱した母は入院して、つぎはぼくだ。

　助けを求めて弟が身を投げた冬の海はぼくを待っている。弟を守れなかったぼくを。

　だから海も空もあの冬から色を変えないんだ。

　なのに、

　「オレ、きょうはアオんち、泊まるっていってあるから。ババァに」

「え？　聞いてない。勝手に決めたの？　ママは？」

「兄貴がきてる」

（兄貴、てのはママの彼氏さまだ）

「兄貴がババァをもらってくれたら、オレがお前をもらってやるから」

「え？　ごめん、わからない」

「そんでさ、必ず、」

　その手が、ぼくの手を離さないから、

　「もう一度、青い空も海も、」

　離さないまま、伸ばした前髪に隠した傷跡を優しく撫でるから、

　「見せてやるよ」

　せっかくの星空が滲んでゆく。海のなかから見たみたい。

　「うん…」

　その視界の端で、光の筋が一瞬、瞬いて消えた。