女には向かない職業
走り去るキャンディを追うことが、メイベルにはできなかった。
追いついたとして、……でもそれで?かけるべき言葉を持たないのに、それでどうなるというのだろう?もっと傷つけてしまったら──一度その考えに囚われてしまったらもう動けなかった。
「……もっとキャンディさまのお気持ちを考えるべきでした」
レンジャー家から帰る馬車なか。後悔に苛まれ、メイベルはうなだれる。
キャンディの叫び、『さわらないで』と言った彼女の声の、その痛々しさ。血を吐くようなそれが、今も耳から離れない。手にはまだ、固くなっていく小鳥の感触が残っていた。
「……キミは不思議だね」
向かいで物思いに耽っていたレオナルドが、不意に呟いた。顔を上げれば交わる視線。灰色の目は、真っ直ぐにメイベルを見つめていた。
「一歩間違えれば危なかったのはキミだ。なのにそれでもまだ他人の心配をするんだね」
「それは……」
たぶん、そこまで気が回らなかっただけだ。
キャンディの作ったクッキーが原因で、小鳥が死んだ。その場に居合わせたのは爵位を持つ青年たち。ことが露見すれば、レンジャー家の立場も危うくなる。そうなれば疑いの目はまず間違いなくキャンディに向けられるだろう。
愛人との間に生まれた子ども。おまけに家族仲も悪く、父ですら味方になるとは限らない。そんな状況で、いったいどうやって身の潔白を証明するというのだろう。……そう、思ったから。
でもその思考に気をとられていたから、気遣う言葉をかけてあげられなかった。自分の作ったもので小鳥が死ぬ──その光景を目の当たりにして、動揺しないはずがないのに。なのに傷ついた彼女をひとりにしてしまった。
「……これは罪悪感です。彼女の心配をする、そうすることで罪滅ぼしをした気になっている。ただの、自己満足。……それだけよ」
真犯人を捕らえることも、キャンディの心を守ることもできない。そんな自分がイヤになる。
そう吐き捨てると、レオナルドは僅かに首を傾げた。
「彼女の友だちでもなければ親兄弟でもない。なのにどうしてそこまで気にかけてやることができるの?」
「?仰っている意味がわかりませんわ。例え関わりが浅くとも、目の前で困っている方がいたら手を差し伸べるものでしょう?」
「……そっか」
「キミにとってはそれが普通のことなんだね」ひとりごちるように言って、彼は微笑んだ。
それは舞踏会で見せる輝かしいものとも、友人同士で打ち解け合ったものともまた違う、見慣れない笑顔だった。柔らかくて、温かくて──何故だかむず痒さを覚える。その感覚は、従兄のくれるものと少しだけ似ている気がした。
「わたくしのことは良いのです。それより考えなくてはならないのはキャンディさまのことよ」
こほん、と咳払いをすると、レオナルドも「そうだね」と難しげな表情をする。
「彼女──キャンディ嬢がやったという可能性も消えてはいないけど、……キミは彼女を信じているんだよね?」
「ええ。だって、そんなことをしてもキャンディさまに得はありませんもの。大事になって困るのは彼女の方だわ」
「僕もそう思う。毒物を扱えるとも思えないしね」
「そう!そうなのよ!」
同意が得られた嬉しさに。それから、自分の考えが間違っていなかったのだという安堵に、つい前のめりになってしまう。
でも仕方ない。ユリウスはすっかり妹を疑っているようだったし、リチャードもそれを否定しなかった。
だからレオナルドが肯定してくれたのが、余計に嬉しかったのだ。彼は「僕がそう思ったのは彼女を信じているからじゃないけどね」と言い添えたけれど、それでも構わなかった。
「マーマレードに毒が入っていたんじゃないかってあなたは言ったけど、そもそもそのジャムはどこで作ったものなのかしら。それに誰が管理していたかも気になるわ」
「それについては使用人たちから話が聞けたよ。レンジャー家の領地で作られたもので、キャンディ嬢宛に届けられたらしい。そこの農家のひとつに彼女の母親の生家があるから、まぁ間違いないだろうね」
「……もうそこまで話が聞けたの?」
「そりゃ友人の家のことだからね、聞き出すのはわけないことさ」
ひょいと肩を竦めてみせるレオナルドに、メイベルは感嘆する。仕事が早いというか、なんというか。ようするに、人の懐に入るのが上手いのだろう。
いくら友人の関係者とはいえ、相手は使用人。親しいはずがないのに、この短時間で怪しまれずに知りたいことを聞き出すとは。
「あなた、探偵になれるんじゃない?」
この世界にはどうやらコナン・ドイルもシャーロック・ホームズもいないようだから、その代役を目指してみてはどうだろうか。そしてその暁にはぜひ、語り手役を任せてもらいたい。……なんて、よこしまな考えを呑み込んで、メイベルは言う。
「……本当に?」
と、意外や意外。食いついてきた。
もしかして探偵に憧れていた……とか?
「いや、そんなことはないけど」
そう思って聞いてみると、あっさり否定された。意味がわからない。乗り気に見えたのは気のせいだったのだろうか。
「だったら、」
──どうして?
しかしメイベルが問いを重ねるより早く、煙る瞳が逸らされる。
「……そういうのの方が、キミは好きかと思って」
馬車ってこんなに静かなものだったかしら、とメイベルは思う。遠く、色褪せている車窓。振動も喧騒も、どこか他人事。そう感じたことが今までに一度だってあったかしら?
それに──この人は、こんな風に笑う人だっただったかしら?
こんな風に──決まり悪そうに、或いは気恥ずかしそうに──困惑さえ滲ませて笑う人だっただろうか。
──そして私は。
私はどうして、続く言葉を見失っているのだろう?
「……僕のことはいいんだ」
自分自身の感情に戸惑っていると、今度はレオナルドの方が咳払いをした。
瞬間、それまであった空気がたちまちのうちに霧散。世界はメイベルのすぐ傍らに帰ってくる。そんな当たり前のことに、残念さを感じてしまう理由もまた、わからないまま。
抱いた疑問すらも、「探偵っていうなら僕の他にもっとうってつけの人がいるじゃないか」というレオナルドの発言に吹き飛んだ。
「キミの従兄ぎみ……クロードくんに相談してみてはどうかな。彼は弁護士だけど、事件の調査という面では似たようなものだろう?」
「そ、それはダメっ!」
メイベルは大いに慌てた。
確かにクロードは頼りになる。爵位はないけれど顔は広いし、入手した情報を他人に漏らさないという安心感もある。
この世界でもっとも信頼できる人──できるならメイベルだって彼に相談したい。でも、それだけはできないのだ。
「今回のこと、知ったら絶対心配するわ。だから言ってはダメ。おねがい、秘密にして」
「どうして?心配くらいさせとけばいいじゃない」
「それで本業が疎かになったらどうするの。クロードにとっては今が一番大切な時なの。せっかく事務所を開いたところなんだもの、軌道に乗るまで迷惑はかけられないわ」
だから今回の一件は自分で片をつけなくては。この世界に名探偵はいないのだから──そう決意を固めるメイベルの前で、レオナルドは「妬けるなぁ」と本気とも冗談ともつかない調子で笑う。
「まぁいいよ。キミが望むなら、僕はそれに従うまでさ」
「……いいの?危なかったのはあなただって同じなのに。私の我が儘に付き合ってくれるの?」
「いいよ、キミになら。我が儘も迷惑も、むしろ望むところってね」
「……不思議な人ね、あなたって」
自意識過剰で高慢ちきで鼻持ちならない男。そう思っていたのが今となっては懐かしい。自信たっぷりなところに安心感すら覚えて、メイベルは口許を緩める。
するとすかさず「惚れてくれてもいいんだよ」なんて言ってくるものだから、『つくづく惜しい人だ』と思う。そういうところさえなければ、とっくに恋に落ちていたかもしれないのに。
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