誰も知らない世界の真実

 キャンディには物心ついた頃から前世の記憶があった。同時に、この世界の真実をも理解した。ここがゲームの世界だと、キャンディだけが知っていた。

 それを疑問に思ったことなどなかった。不安や、恐れも。何しろキャンディにはこの手の現象──つまりは異世界だとか転生だとか──について、幾らかの知識があった。

 だからキャンディには自分のなすべきことがわかっていた。前世でプレイした乙女ゲーム、その主人公に生まれ変わった自分がやるべきこと。それは攻略対象と結ばれることじゃない。

 もちろん最終的には誰か一人を選ぶつもりだけど、優先すべきは自分以外の転生者を見つけ出すことだとキャンディは考えていた。もちろん他に転生者がいるという確信はない。ないけれど、でも【そういうもの】なのだ──だって、前世で見聞きした物語の中ではそれがセオリーだったから。

 そしてその人はきっと自分の【敵】になるのだろう。キャンディは乙女ゲームにおける主人公ではあったけれど、この世界の主人公かまではわからない。だから早いうちに立ち位置を確定しておきたかった。

 この世界の主人公になり、もう一人の転生者を【敵】に据える。そうでなければキャンディの方が排除されてしまう。物語の中では本来の主人公が敵に回るパターンの方が多かった。


 ──それだけは絶対に避けなければ!


 そして今。母が病で亡くなり、実の父である伯爵に引き取られ──それはつまり物語の始まりを意味していた──初めて参加したパーティーで、キャンディはようやく見つけた。

 透き通るような金の髪に、潤んだような蒼の瞳、そしてすらりと伸びた手足。主人公であるキャンディとは対照的に、大人びた美貌の女性。ゲームの中では主人公の友人でありお助けキャラであるだけの舞台装置は、しかし今、確かに生きた人間としてキャンディの前に立っていた。


 ──それも、キャンディと同じく前世の記憶を持って。


 キャンディの想像は確信に変わっていた。

 恐らくはこの女が──メイベル・ロックウェルという子爵家の娘が──キャンディにとっての【敵】なのだ。この世界の主人公の座を奪おうとしている。だから何としても阻止しなくては──そうでなければ、キャンディに待ち受けるのは身の破滅しかない。それがこの手の物語の鉄則だった。

 キャンディは小首を傾げる女に(そうやって無垢を装おうったって騙されないんだから!)、眼差しを鋭くさせる。


「今さらぶりっこしてもムダだってまだわかんない?私はちゃんと聞いてたんだからね、ゲームだとか攻略だとか、そういう言葉をあんたが使ってるとこ。それですぐにピンときたよ。あぁ、あんたも私とおんなじなんだって」


「おなじ、って……」


「にしてもすごいじゃん。リチャード様とレオナルドを又がけプレイするなんて。もしかして共通イベント狙い?たしかこの二人だと嫉妬イベント起こせたもんね。私はチャラ男系のキャラってあんまり好きじゃないし、あんたがレオナルドだけ攻略して私に手を出さないって言うんなら……邪魔しないでいてあげてもいいけど」


 口早に言い募りながら、キャンディはメイベルの様子を窺った。

 認めるのは悔しいけど、彼女の方が男受けするスタイルをしている。でもしょうがない。キャンディの設定は【どこにでもいる普通の女の子】なのだから。

 乙女向けの主人公というのは自己投影派や没個性派のプレイヤーへの配慮から、親しみやすさが重視される傾向にあるとキャンディは思う。大人びた美女より素朴な可愛らしさのある女の子を、というのは少女漫画と一緒だ。

 キャンディ自身、イケてる現代風の女の子というのは苦手だったから、前世ではそういう風潮を歓迎していた。普通の女の子が普通じゃない男の子に愛される、現実ではあり得ない夢をゲームには求めていた。

 でも改めて今の自分と目の前の友人キャラを比較すると……胸元の慎ましさだとかがいやに気にかかる。どうしてドレスというのはこうも胸が強調される作りになっているのだろう?昼間着ていたドレスなら襟元まで詰まっているから、こんなこと気にならなかったのに。

 そんな理由から恨みがましい目を向けられているとは知らず、メイベルは戸惑いも露にゆっくりと口を開く。


「その……つまり……キャンディ様はリチャード様をお慕いしていらっしゃる……ということでよろしいのかしら?」


「まぁ……そうだね、この中じゃリチャード様が一番好きかな」


 いや、本題はそこじゃない。重要なのはメイベルにキャンディの邪魔をする意思があるのかどうかだ。それによって今後の立ち回り方も変わってくる。

 けれどキャンディが何を言うより早く、メイベルはパッと目を輝かせた。


「それってとっても素敵だわ!」


 力強く握られる手。鼻先が触れそうなほどに身を乗り出して、メイベルは歓喜の声を上げる。

 対するキャンディは言葉もない。この女は何を言っているのだろう?わけがわからない、と目を白黒させている。

 が、メイベルはそんなこと意に介さない。「あなたの言ってることはちっともよくわからないけれど……」と『それはこっちのセリフだ』とキャンディが叫びたくなるような言葉を吐いて、それからにっこりと笑った。


「わたくし、身分差のある恋愛って大好きなの!ほら、昔からよくあるでしょう?わたくしの一番好きな映画……じゃなくて、物語もね、そういうストーリーなの」


「はぁ……」


「ああでも、二番目もそうね……内容がというより、当時の彼が好きって理由の方が強いけれど……」


「……よくわかんないんだけど、私に協力してくれるの?してくれないの?」


「協力?ごめんなさい、何についてのお話だったかしら?」


「だから……っ!」


 叫びかけて、キャンディは慌てて口を押さえた。

 危ない危ない。応接間には他に人影はないが、どこで誰が聞き耳を立てているかわからない。

 キャンディは淑女らしく小さく咳払いをし、気持ちを落ち着かせた。


「……私が知りたいのはね、あんたの好みじゃないの。あんたが私の邪魔をするのか、それとも協力してくれるのか。それが知りたいの」


「ああ、そういうこと」


 なるほど、納得。そう言って手を叩くメイベルを、キャンディは胡乱な目で見た。

 そりゃあそうだろう。何しろ彼女ときたらまるで宇宙人。キャンディの苛立ちなどまるで伝わっていないかのように振る舞っている。信じられない、とキャンディは思う。

 ここまで敵意を向けられて、なのにちっとも堪えていないなんて。私だったらきっとすぐに根を上げていただろう。それを思えば、キャンディにとって彼女は異質としか言い表せなかった。

 ようするに、頭がおかしいのだ、きっと。


「もちろん協力するわ!」


 その頭のおかしい女は、けれどキャンディの望む通りの答えを口にした。


「先程も申しましたけど、わたくし、身分差のある恋愛に目がないの。キャンディ様の場合はそこまでハードルの高いものではないけれど、でもそうね……、物語的ではあるのかしら」


「ああ、そう……」


「それに何より、リチャード様の素晴らしさを理解しているというのがポイントね。ええ、悪くないと思いますわ。マイフェアレディ的な要素もありますしね。大人の男性といたいけな少女が絵になるというのは万国共通ですもの」


 ふふっ、とメイベルは淑やかに笑む。けれどキャンディの背には冷たいものが走った。彼女の言っている内容の半分も理解できない。理解できないから、怖い。

 キャンディはメイベル・ロックウェルという舞台装置に過ぎないはずの女を何より恐れていた。……認めたくは、なかったけれど。


「……でも本当に?あんただってリチャード様狙いなんじゃないの?」


「リチャード様のことは……そうですわね、確かに素晴らしい方だと思いますわ」


 でも、とメイベルは僅かに目を伏せて──選ぶように言葉を紡いでいく。


「わたくしはあの方を遠くから見守っていたい。遠くから眺めているだけで幸せなのです」


 ですからどうかお気になさらず──そう言って微笑む彼女はどこか儚げで、男なら放っておかないんだろう、とキャンディは他人事のように思った。思ってから、慌てて首を振った。

 何を弱気になってるの?敵わないかも、なんて思ってない。思ったら負けだ。負けとはすなわち、この世界からの排除を指す。

 そんなの、認めるわけにはいかなかった。


「……そう、あんたがその気ならまぁいいわ。私は好きにさせてもらうから、邪魔だけはしないでよね」


「ええ、約束は違えませんわ。……ふふふ、なんだかわくわくしてきますわね」


「そう、よかったね」


「はい!……できればその、お二人が仲良くされているご様子を遠目からでも見せていただけると、たいへん嬉しいのですけれど」


「……まぁ、私たちの視界に入らないなら、それくらいは」


「まぁ!ほんとう?お優しいのね、あなたって」


 騙されてはダメ。信じてはいけない。この女は敵で、ライバルで、私を陥れようとする舞台装置なのだから──だからキャンディはメイベル・ロックウェルの手を振り払った。


「勘違いしないで。馴れ合うつもりはない、って言ったでしょ?仲良しごっこは他でやって、私を巻き込まないで」


「わ、わかりました……」


 傷ついた、とでも言うみたいに分かりやすく肩を落とす。そんな彼女が憎らしくて、腹立たしくて。やっぱり嫌いだ、とキャンディは思う。

 生まれながらのお嬢様。苦労知らずで、愛されるのが当たり前だと思っている貴族の娘。たぶん前世でだって苦い思いをしたことなどないのだろう。

 だから憎らしい。だから腹が立つ。だから嫌いだ。彼女も、彼女のようなタイプも。苦労なんて知らないという顔で生きているすべての人間が嫌いだった。


「……身分違いの恋が素晴らしいとか何とか言ってたけど、」


「はい?」


「それならあんた自身がそういう恋愛をすればいいんじゃないの?」


「いえそれは……」


 途端に語気を弱めて。困ったように視線をさ迷わせて。不安げに唇を震わせて。男が好みそうな表情を浮かべる彼女を、キャンディは冷めた目で見ていた。

 だからもっと傷つけばいい。立ち直れないくらい傷ついて、惨めったらしく這いつくばっていればいい。そうして、自分が今までどれほど恵まれていたのかを思い知ればいい。


 ──昔の私と同じところまでおちてしまえばいいのに。


「せっかくだから教えてあげる。尤も、あんたは知らないふりをしているだけかもしれないけど」


 キャンディは笑った。

 生まれながらのお嬢様、苦労知らずの貴族の娘。だけど彼女にはひとつのルートしか与えられていない。主人公である、私とは違って。

 自分から行動を起こさない限り、メイベル・ロックウェルには選ぶ余地などないのだ。それを今さらながらに──(だって、友人キャラのことなんて一欠片の興味もなかったから)──思い出した。

 物語は定められた流れに沿っている。キャンディはただ、その流れに身を任せばいいだけ。メイベルのことも、シナリオ通りに動かせばいいのだ。彼女が無知であるなら、なおさら。

 いや、無知を装っていたとしても難しいことではないだろう。知識量はこちらの方が上だ。キャンディにはその自信があった。

 だからことさら優しく微笑んであげた。


「あなた、ずいぶんと優しい従兄がいるんですってね。子爵家の次男だっけ?たいそう仲がいいって聞いたけど」


「どうしてそれを、」


 動揺は明らかだった。メイベルははじめて瞳を揺らした。驚きと、そしてそれ以外のなにがしかの感情を秘めて。

 その瞬間にキャンディは【勝利】を確信した。


「彼と結婚すればいいじゃない。次男じゃ難しいっていうならさ、駆け落ちでも何でもして。もともとゲームでもあんたはそういう役回りだったし、その方がよっぽど素敵だと私は思うけど。ほら、あんたの好きな物語にもそういうの、あるんじゃないの?」


 余裕を持って言葉を連ねる。

 と、メイベルは押し黙った。何事かを言いかけ、やめる。そんな重苦しい沈黙のあとで、彼女は声を震わした。


「……そうね、」


 それができたらよかったのに──と。

 何ともいえない微妙な表情で、意味ありげに微笑んだ。その目は少し、泣いているようだった。そのように思われて、キャンディは眉根を寄せた。


「……あっそ」


 泣きたきゃ勝手に泣けばいい。慰めてやる義理はない。でも彼女が件の従兄とゲーム通りの結末を迎えるなら──それは私にとっても歓迎すべきことではないだろうか?

 キャンディは思考を巡らしながら、立ち上がる。


「私は戻るけど、どうする?帰ってもいいよ、リチャード様には私から伝えておくから」


「……いえ、参加は致しますわ。彼の顔に泥を塗るわけにはいきませんもの」


 メイベルは瞬きのうちに先刻までの笑みを貼りつけた。

 結構なお点前ですこと。喉元まで出かかった嫌みを飲み込んだのは、別に彼女に気を遣ったからじゃない。応接間に近づく気配に気づいたからだ。


「……お加減はいかがですか?」


「リチャード様、」


 やって来たのは攻略対象のひとり、煙るような蒼い瞳が魅力的な青年貴族。心優しい彼、リチャードは、心配してわざわざ様子を見に来てくれたのだ。

 キャンディは嬉しくなって、思わず笑みを溢した。


「ええ、もうすっかり。ごめんなさい、迷惑をおかけして……」


「いいえ、私は何も。それに謝る必要はありませんよ。不慣れな場で疲れが出たのでしょう、当たり前のことです」


「ありがとう。そう言ってもらえて、ホッとしました」


 リチャードのこともよく知っている。本当は社交界なんて好きじゃないことも、家族や友人、周囲から向けられる期待に疲れていることも。──その心を救うのが、【キャンディ】という庶民出身の少女だということも。

 すべて覚えていたから、キャンディは無邪気なふりをして気安く言葉を返した。リチャードも優しい笑みを浮かべていた。

 これが正しい選択なのだと、キャンディは心の底から信じきっていた。


 ──けれど。


「それでは私の愛しい人をお返しいただいても?」


「え……」


「キャンディ嬢にはたいへん申し訳ないのですが、私にも彼女が必要なのです」


 そう言って。

 微笑む彼は、キャンディを見ていない。キャンディを通り越して、その後ろの──脇役でしかないはずの子爵家の女を見つめていた。いとおしげに、目を細めて。

 そんなリチャードを、キャンディは呆然と見上げた。

 彼が何を言っているのか、キャンディにはまったく理解できなかった。

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