光は伝える ─ 2
速度を緩めて保典と並んだ将之は、ふと、周囲の赤い点滅に違和感を覚えた。
人も物も景色も、赤く照らされてはまた暗くなることを繰り返す様は、まるで安っぽいお化け屋敷のようだ。これではクリスマスというより、ハロウィンと言ったほうがしっくりくるだろう。
奇遇にも将之と同じタイミングでイルミネーションが気になったらしい保典が、頭上を仰ぎ、疲れた様子で瞼を軽く押さえた。
「この光、こうもチカチカされると、気になって仕方がないですね」
「確かに。明滅の時間や長さも不規則ですし……」
そこで、将之は言葉を止める。自分自身の発言に、何かが引っかかったのだ。
時間や長さ。
足を止め、将之もまた頭上を見上げる。相変わらず、光に規則性は無いように思えた。長い点灯、消灯、点灯、すぐに消灯、長い点灯。長い消灯を経て、再び長い点灯、消灯――。
「いや、待てよ」
呟き、将之は親指を眉間に当てる。時間をかけてじっくりと見れば、法則性はあった。一見すると無秩序な赤い点滅は、一定の間隔で何度も繰り返されている。
「長い点灯と、短い点灯の組み合わせ……とすれば、これは」
独白しながら、将之は手に持っていた端末で検索をかける。すぐに見つかったその名称が、口から零れ出る。
「モールス信号?」
将之の手元を覗き込んだ保典が、画面に表示されたモールス信号の符号一覧とイルミネーションを交互に見やり、小さく目を瞬かせる。
「寄生体がメッセージを送っている、ということですか?」
「電機寄生体がヒトになんらかの意思を伝えようとするケースはままあります。ですが、この信号……」
検索画面とは別に立ち上げたテキストアプリに、将之は眼前の赤い光を追って『―』と『・』を入力し、それに当てはまる文字を次々と打ち込んでいく。
やがて完成したのは。
「『五・七・一』……『ワ・ス・レ・ナ・イ・デ』?」
文字列を読み上げるなり、首を傾げる将之。保典がはっと顔を上げ、将之の肩を掴んだ。
「伊達さん、その数字。番地かもしれません」
「心当たりが?」
将之は慌てて問いただす。保典の表情には、どこか確信めいたものがあった。
「明留市地域振興センター……市が管理する公共施設です。物品倉庫もそこに」
「倉庫?」
繰り返した将之に、保典は大きく頷いた。
「まだ、保管されているはずです。四年前まで使っていた、古いイルミネーションが」
*
赤いラインはまだ続いている。
それでも、追いつくのにそう時間はかからないだろうと奏は予想していた。根拠は無い。ただの勘である。
すでに広場からは遠く離れ、周囲にあるのは集合住宅や一軒家ばかりだ。壁面をよじ登るサンタクロースや、庭を飾るトナカイの電飾がここぞとばかりに存在を主張している。きっと、この家にいる子どもを喜ばせるために飾られたのだろう。
何せ、今日はクリスマスイブなのだから。
――クリスマスは、世界中のいい子にサンタさんが幸せを届けてくれる日だと、最初に言い始めたのは誰なのだろう。
ふと浮かび上がった疑問に蓋をし、奏は赤いラインだけに集中する。今はそんなことを考えている場合ではない。一方通行の道を駆け抜け、角を曲がると、左右の街路樹にイルミネーションをたわわに実らせた大通りに行き着いた。
赤く点滅する灯の海を泳ぐラインは、途中で終わりを迎えている。終端にいるのは、丸々と太ったサンタのバルーンだ。
「あいつか!」
鋭く一声し、奏はさらにスピードを上げた。
だが、見通しのいい夜道に響くのは一人分の足音だけだ。寄生体の近くにいるだろうと思っていた相棒の姿が見当たらない。
これだけ近い距離にいて、見つけられないということはあり得ない。将之がこちらに気付かない可能性はあるが、その逆は無いと奏には断言できた。これしきの鬼ごっこで周囲に気を払う余裕が無くなるほど、奏の身体能力はちょろくない。
だとすれば、将之が途中で追うのを諦めたか、あるいは、追うことができない状態に陥っているか。
例えば、怪我で動けない、といったような。
不吉な考えが、むくりと頭をもたげる。寄生体との距離はもう十メートルも無かった。そもそも、ここで捕まえたとしても、将之がいなければ駆除はできない。
「ええい、ままよ!」
叫び、奏は最後のブーストをかける。迷いは捨てた。とりあえず捕まえてから、将之と合流すればいい。
腕を伸ばせば寄生体に届くまでに距離が縮まった。最後の一歩を踏み切ろうとしたところで。
――ミステナイデ
耳に飛び込んできた声に、奏の足が空回る。
前方に伸ばしていた手が大きく空を切り、サンタの背面を擦った。
立て直せない。胸中で舌を打つ。受け身を取ろうと上体を捻った視界が縦に流れる。嘲笑うかのように、赤い点滅が一層激しさを増した。禍々しい赤い光に、自分の掌が重なる。
――ちゃんといい子にしてろよ、奏
唐突に、穏やかな声が奏の耳に甦った。
そう言えば、あの時も自分は手を伸ばしていた気がする。
父親の背丈など覚えてはいないが、当時の自分よりは確実に背が高かった。その父に向けて、記憶の中の奏は手を伸ばす。
なんのために?
――父さんと母さんからのクリスマスプレゼントだ。ずっと大事に持っているんだぞ
手の中に落とされたのは、きちんとコードが纏められた白いイヤホン。
思い出した。これは、クリスマスプレゼントだ。自宅から出かける父親が、直前に手渡してきたのである。
あの日、父は病院に母を迎えに行ったはずだった。家に帰ってきたら三人で、ささやかでもいいからクリスマスのお祝いをしようと言われて――。
(でも結局、あんた帰ってこなかったよな)
いやに大きく聞こえた時計の秒針。座り込んだ冷たい廊下から見えたのは、玄関扉の曇りガラス越しに灯る、向かい正面の家のイルミネーション。どこかから響くクリスマスソング。隣家から漏れ聞こえる「ただいま」と「おかえり」。カレンダーの中で笑うサンタクロース。
それら全てに自分が無縁で。
父親はもう帰ってこないのだと、朧げながらに四歳の奏が悟ったのは、次の日の朝のことだった。
親戚だと名乗る知らない人に連れていかれた先は母が入院していた病院で、そこで彼女は帰らぬ人となっていた。
後に知ったことだが、父は病院に姿すら見せていなかったという。
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