光は伝える ─ 1
――埒が明かない。
息を切らしながら顔を上向けた将之は、滴る汗を手の甲で乱暴に拭った。
視線の先では、相変わらずひょうきんな顔をしたサンタの姿の寄生体が、街路樹に巻かれた電飾の上を綱渡りのように渡っているところだ。その動きは丸々とした体格とは不釣り合いに敏捷で、捕らえるどころか、追走するのもやっとである。
乏しい土地勘であっても、最初に実体化させた地点からかなり移動したことは間違いない。将之の全力疾走にも限界が近付きつつあった。
「くそ、ちょっと待て……!」
言葉とともに、将之は無意識に手を伸ばす。もちろん届くはずはないが、その動きに危険を感じたのだろう。サンタが大きく身を震わせた。
呼応するように、通り一帯に光が溢れる。先ほどと同じく、激しく明滅したイルミネーションが再び将之の視覚を奪った。
「くっ!」
瞼の裏で赤い光が踊る。思わず片膝を付いた将之は、目を閉じても完全には遮蔽できない光が収まるのをひたすら待った。
ようやく目を開けた時、寄生体の姿は再び消えている。なお悪いことに、今度はラインまでも見失ってしまった。
「やられた」
苦々しく呟き、将之は顔を歪めた。
もっとも、目眩しされた時点で、ある程度予想はできたことだ。次の一手をすぐにでも打ちたいところだが、自分一人では手に余る。奏もラインを辿ってこちらに向かっているはずであり、まずは合流するのが最善手だろう。
GPS画面を起動すると、ちょうど、背後から奏の現在地を示すアイコンが近付いてきているところだった。距離にして数メートルも無い。
「悪い奏、逃げられ――」
振り向きながらの将之の謝罪は、最後まで言い切る前に、冬の空気へと溶け消えた。
そこにいたのは、困り顔で奏のスマホを握りしめる保典だったのである。
「あれ? 奏は?」
「何かを見つけたようで……私にスマホを押し付けたと思ったら、すごい勢いで走っていってしまって。人混みで見失ってしまったので、私はひとまず伊達さんを探そうと」
心底困ったように掲げられた相棒のスマホを、むんず、と掴んだ将之は、その手をわなわなと震わせた。口をついて出たのは、呪詛にも似た呻きである。
「あんのアホぉぉぉ!」
己が悪いわけでもないのに、保典が小さく首をすくめる。取り乱したことを恥じ入って軽く頭を下げた将之は、大きく嘆息して仕切り直した。
「すみません、オレも寄生体を見失いました。とにかく一度、最初の場所に戻りましょう。変換器からもう一度ラインを辿って、寄生体を追跡します」
「旭さんはいいんですか?」
「奏が何か追っているなら、寄生体本体か、その居所に繋がる何かである公算が高い。滅茶苦茶に走り回る奏より、寄生体を見つけるほうが早そうなので」
早口で説明しながら、すでに将之の足は駅前に向かって動き出している。歩きながら端末に視線を落とすと、プログラムの作成率は完了寸前にまで達していた。
あとはこのプログラムを打ち込み、展開すれば全ては終わる。
それだけ聞くと、寄生体と接触する可能性がより高い奏の装置にあらかじめプログラムを転送し、打ち込みと同時に自動展開する設定にしておけば、わざわざ将之が合流する必要は無いと思えるだろう。
だが、話はそう簡単にはいかない。
電機寄生体の消滅プログラム作成フローは、簡略化して説明するならば、第一フェーズで実体化した寄生体の構成データを解析し、第二に過去のデータベースを参照して類似例をピックアップ、第三に当該個体に合わせた仕様にプログラムを修正して、最終フェーズで調整、のち完成、という流れだ。ここで問題になるのが最終フェーズである。
消滅プログラムには、電機寄生体の「時間」と「位置」、この二つの情報が軸として必須となる。該当個体の識別を確実に行うことで、プログラムが誤って寄生体以外の事物事象に影響を及ぼさないようにするための安全策だ。寄生体にプログラムを適用するタイミングの現在時刻、および位置を確定してプログラム内に情報として組み込み、転送を待つばかりの完成品に仕上げる段階を、将之は「最終フェーズ」と規定している。
二つの情報の整合性チェック誤差有効範囲は、時間軸はプラス五秒、位置軸はプラマイ五メートル。有効範囲をこれ以上拡大するとプログラムがうまく作動せず、不具合が生じることが試行段階で判明しているため、今のところではこれがギリギリの許容数値となっている。
このうち時間情報については、プログラム完成時点の現在時刻を自動取得する仕様であり、問題はさほど無い。完成から五秒以内に転送・展開を実行する必要こそあるが、通話機能等を駆使して奏とタイミングさえ合わせれば、遠隔であっても処理上の不都合は無いからだ。
厄介なのは位置情報の取得である。実体化した電機寄生体は好き勝手に動き回っていることが大半で、位置情報は常に変化している。コネクトチップからGPS情報を拾うにしても、チップはあくまで寄生された機械に貼り付けているため、寄生体本体の位置とは無関係である。
奏が持つイヤホンや、奏自身の、転送時点での位置情報を自動取得する方法も試したが、奏から端末に情報を送る際にGPSを経由するためどうしてもタイムラグが発生し、実用化には至らなかった。
そこで将之が考案したのが、「プログラム完成時点での『端末』の現在地を自動取得し、寄生体の位置情報とみなす」、という荒技である。
要するに、端末を持つ将之から半径五メートル範囲内に電機寄生体を収めることで、端末の現在位置を寄生体の現在位置として一括りに扱っているのだ。
駆除作業にはプログラムの作成と打ち込みが必須だが、その両方の作業を一人で兼ねることができるのは、先ほどのように、電機寄生体が大人しくしている場合に限られるのが実状である。
だが、
故に、
「すみません、伊達さん、ちょっと待って……」
後方から飛んだ保典の声が妙に小さく聞こえて、深い思考の淵から呼び戻されると同時に、将之は足を止める。
背後を振り返れば、弱り顔で将之の後を追ってくる保典との距離は、五メートル以上にまで広がっていた。
知らず、将之の足は段々と速度を上げていたようだ。気付けばすでに、駅前の広場まで戻ってきている。こちらからも「すみません」と頭を下げ、胸中で将之は苦笑とともに自省した。
内ポケットに突っ込んだ奏のスマホを、服の上から無意識に押さえる。奏の居場所も動向も掴めない今、焦る気持ちは収まるどころか増す一方だ。
――二人揃わなければ使用できないという消滅プログラムの不便な仕様には、意図せずして、将之の強い信念が根底に隠されることになった。
寄生体を消滅させるという重荷を、奏一人には背負わせない。
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