相棒は何処へ

 時間は少し遡る。

 将之が視界から消えていくらも経っていないというのに、奏の気持ちは早くも焦り出していた。手に持ったスマホと、赤く瞬くライトの間で忙しなく視線を行き来させ、時には通知も来ていないのにLINKの画面を開く。

 メッセージが詰まって通知が届いていないのではないか、と考えてのことだが、「マサムネ」と表記されたアイコンにバッヂが現れることは無い。

 もう何度目になるか分からないため息とともに、奏は鳴る気配のないスマホをポケットに突っ込んだ。自然とその視線は、今も赤く点滅を繰り返すイルミネーションへと向かう。

「大丈夫かなぁ、マサムネ……」

 将之の義眼でラインを観測できるのは、あくまでも寄生体が活動している間に限られる。この点滅が元の状態に戻っても連絡が無かったとしたら、将之が寄生体を見失ったということであり、捜索は振り出しに戻ることになる。

 それは別に構わない。

 奏が憂えているのは、将之の連絡が遅いということは、それだけ寄生体が遠くにいるかもしれない、ということだった。

 距離が離れれば、奏が将之の元に到着する時間も、必然的に遅くなる。

 もしも、実体を得た寄生体が、とてつもなく凶暴だったら――。

 不吉な考えに引きずられるように、奏は再びポケットからスマホを引っ張り出す。ぼんやりと光る液晶は、先ほどまでと何も変わっていない。

 懲りずにLINKを確認しようと、指紋認証ボタンに指をかける。そこで、奏は自分の元へと近づいてくる気配を察知した。ドタドタという、もたついた足音と、見覚えのある革靴が奏の視界の端で止まる。現象の発生を受け、保典が戻ってきたのだ。

 切れた息を苦しげに整えながら、将之の不在に気付いた保典が周囲に視線を彷徨わせる。

「伊達さんは?」

「寄生体を追ってます。俺は指示待ちで――」

 現状を報告しようとする奏の手の中で、スマホの画面がぱっと明るくなった。ほぼ同時に通知音と振動。液晶には「マサムネ」のアイコンと、LINKメッセージの一部がプレビューとして表示されている。

「来たっ!」

 ロック解除すらもどかしく感じながら、奏は食いつくようにLINKのアイコンをタップした。その間にも、将之のメッセージが矢継ぎ早に届く。

『敵は郵便局裏にあり』

 そんな情報のあとには、ピンの打たれた位置情報画像。最後に。

『すわ、懸かれ!』

 奏の隣から画面を覗き込んでいた保典が、並んだメッセージ群を眺めて首を傾げた。

「……なんで武士口調?」

「マサムネだから」

 当たり前だとでも言うような調子で答え、奏はスマホをポケットに放り込む。代わりに握り込んだのは、極小の黒いステッカーだ。

 保典をその場に残し、奏が勢いよく駆け寄った先には、イルミネーションの異常をなんとかしようと今も躍起になっている若林がいた。

「スタッフさん! あっち、駅の裏手が、なんかヤバいことになってる!」

 若林の眼前に飛び込むなり、奏は慌てた声で迷い無く明後日の方向を指差した。

 なお、当然ながらそちらには何も無い。

「はぁ? こっちはそれどころじゃないっての!」

 半泣きの表情で訴える若林には、ことの真偽を判断する余裕は無さそうだ。パニックになっている彼を騙すことに良心の呵責が無いわけではないが、背に腹は代えられない。

 この場から一刻も早く引き離したい。その一心で、奏は大袈裟なほどに指を上下に振って若林を急かしに急かす。

「早く早く早く、とにかく行って行って!」

「くそっ、今度は一体なんだよ!」

 やけっぱちのように叫んだ若林が、ついにパソコンの前から走り出す。その隙に張られたロープをひらりと飛び越えた奏は、素早く右手を閃かせた。

 狙いは一つ。将之の言っていた変換器だ。

 それと思わしきポイントにコネクトチップを貼り付けると、ジジ、という聞き慣れた音とともに、赤いラインがくっきりと浮かび上がった。これで今頃は、将之が見張っている寄生体が実体化しているはずである。あとはラインの導きに従えば、将之と寄生体の居所へと駆けつけることができる。

 だが、その行き先を視線で辿った奏の口元が、ひくり、と引き攣った。

「うぐっ……」

 血管を彷彿とさせる赤い線は長々と伸び、蛇のように宙をのたうちながら、雑踏とイルミネーションの中へと紛れ込んでいる。赤い点滅を繰り返す電飾と相まって、それは非常に紛らわしかった。

 端的に言えば、簡単には辿れそうにない。

「分かりにくい……けど、とにかく早く行かないと」

「では、ひとまず郵便局へ向かってみては?」

 提案したのは、若林が走り去った方へ気の毒そうな視線を送りながらも、そろそろと歩み寄ってきた保典だ。その言葉に、奏は将之から送られてきた地図を脳内に呼び出す。重ね合わせて考えてみると、ラインもその方角へ伸びているようだ。

「確かに、それが確実ですね」

 素直に同意し、奏は保典と共に雑踏へと飛び込んだ。

 が、一分一秒でも早く辿り着きたい気持ちとは裏腹に、思うように体が進まない。ただでさえ広場は混雑している上に、明滅に気を取られて前触れ無く立ち止まる人が壁となっている。

 やきもきしながら奏と保典がどうにか郵便局の裏手に辿り着いた時には、寄生体も、将之の姿も見当たらなかった。

 人一人いない寂しげな路地裏を、冷たい夜風が吹き抜ける。奏の靴底が何か固いものを踏みにじり、パキリ、と小さな音をたてた。

 視線を落とした奏が発見したのは、道路に散らばる豆電球のガラス片だ。否応なく、心がざわめき立った。

「おーい、マサムネー!」

 当てずっぽうの方角に向けて名を呼んでみても、応える声は無い。「どこに行かれたんでしょうか」と、不安げに周囲を見回す保典には答えず、奏は再度ポケットから取り出したスマホに指を滑らせる。

 将之は、「危ない橋は渡らない」と言っていた。だが、無機物である橋と違って、電機寄生体は生きている。

 大人しいふりをして将之を油断させておいて、突然豹変して襲いかかってきたら。こちらの思惑など無関係に、実体化と同時に無差別に暴れ始めたら。

 次々と脳裏をよぎる嫌な想像を打ち消したくて、奏は電話帳を一心不乱にスクロールしていく。「マサムネ」という文字が画面を流れきる前に、迷わずタップ。

 コール音が始まるよりも早く耳に当て、スピーカーの向こうに耳を澄ませる。焦っているからだろうか、繋がるのがやけに遅い。

 プツ、という何かが切り替わる微かな音に、奏の指が強張った。

『おかけになった電話番号は――』

 息を詰める奏の耳が拾ったのは、聞き覚えがあるようで無い、冷たい電子音声。メッセージを最後まで聞き届けず、奏は即座に電話を切った。めげずにリダイヤルを試みるが、相変わらず返ってくるのは無機質な声だけだ。

「ああもう! どこ行ったんだよ、マサムネ!」

 無駄だと分かりつつ再び視線を彷徨わせる奏を見かねてか、保典が控え目に「あの」と進言する。

「伊達さんのGPS情報を辿れませんか?」

「……な、なるほど!」

 自他ともに認める機械音痴である奏には思いつきもしないことだ。保典に助言をもらいながら、奏は人生で初めて位置情報アプリを起動する。

 ――が。

『本アプリ・サービス利用規約』

 真っ先に画面に表示される、シンプルかつ力強い文言。そして下に続く専門用語の羅列が、奏の思考を強制的にフリーズさせた。

 無視して下までスクロールしたいという思いが湧き上がるが、こういった規約に小さく大事なことが書かれている、ということも世の中にはままある。

「どうしました?」

「俺、こういうの、よく分からなくて……」

 半泣きで顔を上げた奏は、そこで弾かれたように体を捻った。視界の隅で、赤い光――それも、ライトの点滅とは異なるラインが閃いたのを捉えたのだ。

「ごめん、古賀さん。こっちお願いします!」

 ぺこりと体を折って保典にスマホを押し付けた奏は、即座に踵を返してアスファルトを蹴った。

「え、えええと?」

 小さな体躯が猛然と駆け出し、あっという間に先の角を折れていく。あとに残された保典は、奏のスマホ片手にただ呆然と見送るしかなかった。

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