暗転
「と、言うと……現市長の就任前に使っていたものですか?」
四年前のイルミネーションという情報から推測し、確認した将之に、頷いた保典は補足する。
「ずいぶん昔、商店街で融資を募って購入した、LEDですらない旧式のものです。地元の電気店に修理やメンテナンスをしてもらいながら、ずっと大切に使っていました」
ですが、と声を沈ませて保典は続ける。
「速水市長の強い意向で最新の設備を導入することになり、以来、ずっと倉庫の奥に」
「『忘れないで』、か……」
ぐるりとイルミネーションを眺め渡し、将之は痛々しげに目を眇めた。
きっと、あの寄生体はずっと訴えかけていたのだろう。そして今も。
将之以上に痛切な面持ちで下を向いていた保典が、決然と顔を上げた。
「私が今すぐ探してきます。センターはここから近いし、今日はイベントのために開館していますから」
思わぬ申し出に、将之は視線をイルミネーションから保典に戻す。だが、確かに何か掴めるかもしれない。将之は深々と頭を下げた。
「お願いします。事態収拾の糸口になるかもしれない」
「任せてください」
頼もしく答え、保典は慌ただしく走り去っていく。その背中を見送った将之は、「さて」と呟くと首を巡らせた。
顔を向けた先にあるのは、巨大なツリーの裏手に停められたワゴン車の横。コネクトチップが貼られているはずの変換器だ。
「ぼやぼやしてる場合じゃない。オレはオレの仕事を――」
そこで将之は言葉を飲み込む。
遠目でも分かる、派手な茶金に染められた髪。イベントスタッフを示すジャンパー。肩を怒らせながら大股で広場を横断してきたのは、機材の所有者である若林である。
「くっそ、許さねぇぞ、あのチビ。何もねぇじゃねぇか……なんだよ、この糸?」
ワゴンの近くまで戻ってきた若林は、変換器から伸びる赤いラインに気が付いた。触ろうとするが触れられず、苛立たしげに舌打ちを一つ。
そこで、黒いステッカーが彼の目に留まった。それは寄生体を実体化させているコネクトチップであり、ラインもそこから伸びている。
だが当然ながら、若林はそんなことを知らない。
「んだよこれ、あいつが貼ったのか? ふざけんじゃねぇよ!」
毒付き、ステッカーを引き剥がさんと若林は乱暴に指をかける。ヂリリ、と電熱線が焼き切れるような音がして、赤い光も不穏に明滅を始めた。
「やめろ、剥がすな!」
若林が何をしようとしているか悟り、将之は走り出しながら必死に叫ぶ。だが、周囲のざわめきに掻き消され、その声は届かない。
上下に揺れる将之の視界の中、変換器からコネクトチップが剥ぎ取られる。
瞬間、ブレーカーが落ちるような、「ブツン」という音が響いた。イルミネーションの赤い光が一瞬で消え失せ、周囲が一気に暗くなる。
同時に、将之の眼前からラインが消失した。
*
「……っ!」
迫るアスファルトに、奏は咄嗟に体を一回転させて受け身を取る。
無防備な格好で路面に叩きつけられることだけはなんとか避けたが、体勢を崩したことは大きなタイムロスだった。
歯を食い縛った奏は即座に顔を上げ、前方を睨みつける。悠々と飛び跳ねながら、寄生体が向かう先にあるのは歩道橋だ。
距離はそう離されていない。追いつける。
自分にそう言い聞かせ、奏は地面に両手と片膝を突く。転んだのは想定外だったが、ただで起き上がるつもりもまた、無かった。
「絶対、逃がさねぇからな」
短距離でいうクラウチングスタートの体勢になった奏は、右足で思い切り地面を蹴りつける。押し出された体はたちまち数メートルの隔たりをゼロにし、今しも歩道橋の階段へと到達しようとしていたサンタクロースへと迫った。
躍るような足取りで跳ねる寄生体に再び手を伸ばす。ラインの端、三角帽子の頂点に指がかかった。
いける。
あとは帽子ごとを引き倒せば――そう思った直後だった。
突如、目の前の赤い光が消え失せる。
「な!」
何が起こったのか咄嗟に理解できず、奏は間の抜けた声を上げた。いや、理解はできる。ただ、あまりにも唐突すぎて、咄嗟に結び付かなかったのだ。
ラインが消えた。
それは、暗にコネクトチップが機能しなくなったことを意味する。戻ってきた若林が剥がしたのだろうか。
まずい、と奏は焦燥を覚える。
コネクトチップは電機寄生体を実体化させる機能を有する。だが、それは表層的な事象であり、言ってしまえば効果の一つに過ぎない。チップは寄生体を実体化させるとともに、大元の機械と寄生体の繋がりを固定化して縛り付ける、いわばアンカー的役割も果たす。ラインが消えると同時に元通りの色を取り戻した周囲のイルミネーションが、それを如実に示していた。
逆に言えば、機械からチップが剥がれると、寄生体は実体を保ったまま大元の機械を離れ、別の機械に乗り換えることが可能となる。
チップがもたらす効果が完全に無くなり、実体化が解除されるまでの猶予は数分から数十分。もしもそれまでに捕まえられなければ、他の機械へ乗り移った寄生体が暴れ出し、被害が拡大する恐れすらある。
寄生対象がイルミネーションだからこそ、人的被害は「まだ」出ていないだけなのだ。
ラインから解き放たれ、自由になった寄生体がちらりと奏を一瞥する。無機質な黒い目の中に、立ち尽くす奏の姿が映った。
と、その寄生体が不意に奏の視界から消えた。ぽーん、という擬音すら伴いそうな身軽なジャンプを披露し、サンタの丸い体が宙を舞う。
驚いていたため、わずかに反応が遅れた。階段という足場も、寄生体のほうが高い位置にいたことも分が悪かった。
端的に言うと、跳躍した奏の手は、三度空を切ったのだ。
――ヒトリニシナイデ
耳に響く声。
――コッチヲミテ
それが、段々と遠くなる。寄生体との距離が大きくなるにつれて、奏のイヤホンから聴こえる声が小さくなっていく。
その質が、色が。
――コッチヲミロ!
突如として豹変した。
懇願から、有無を言わせぬ命令へ。
駄々っ子というには重苦しい、苛立ったような声音が、耳から脳へと流れ込む。背筋を駆け抜ける悪寒に、声がもたらす圧迫感に、着地した奏は思わず身を固くする。
場所は歩道橋の半ばほど。不安定な足場で周囲へと目を走らせると、探す相手はすぐに見つかった。歩道橋の反対側の階段。その横にぽっかりと口を開ける狭い路地の奥へと、丸いシルエットは跳ね逃げていく。
路地を抜けた先にあるのは、最初に奏たちがいた駅前広場だ。
そこには、市長自らが宣伝していたクリスマスツリーのプロジェクションマッピングを見物するため、大勢の人が集まっている。
唇を噛み締め、奏は歩道橋を駆け上がった。
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