クリスマスは別世界 ─ 3

 いたたまれずに顔を見合わせれば、ぶち当たるのは互いの恥ずかしげな表情である。

「確かに。折角のイブだってのに、何をやってるんだろうなぁ、オレたち」

 親子の姿が十分に離れてから、堪えきれずに将之は苦笑した。彼の視界に映るのは、広場に溢れる幸せそうなカップルや家族連れだ。皆、今日という日に浮足立っているのが分かる。

「別にいいんじゃね? イブに何してたって」

 さっきと同じように頬杖をついたままで奏は答えた。常とは違い、どこか突き放したような言い方に、将之は相棒の横顔を見下ろす。

 その視線を感じたのだろう。顔を上げた奏が、気まずそうに頬を掻いた。

「むしろ俺、クリスマスって苦手なんだよね」

「ほー。なんで?」

「うまく言えないんだけどさ。なんか落ち着かない」

 逃げるように将之から視線を逸らし、奏は体勢を変えた。右足を抱え込むようにして座り直し、腕の間に鼻先を埋める。

「家族や恋人と幸せに過ごすのが当たり前、みたいな空気が駄目なのかなぁ」

 先までの奏に半分倣って片肘で頬杖を突く将之が、その呟きに目を瞬かせた。くぐもった奏の声が、「あと」と続ける。

「親父が家を出て行ったの、クリスマスだったし」

 素っ気ない口調だった。

 そこに責める響きは無かったし、悲しさや寂しさも篭ってはいない。ただ事実を述べているだけの淡々とした声音に、将之は返す言葉に詰まった。

 将之が奏の家族について知っていることは、そう多くない。

 母親がすでに他界していること。父親が失踪していること。そして、奏が常に身につけている、電機寄生体の声を聞くことができるイヤホンが、その父親から貰ったものだということくらいだ。

 だが、それだけ知っていれば、今夜の奏の心境を想像するには十分だった。

 将之の思考をよそに、ぱっと顔を上げた奏は口調を明るく変え、「ケーキとチキンは魅力的だけど、すぐ売れ切れるしさぁ」などと別のことで文句を言い出した。

 やさぐれる奏に合わせて、将之も先の空気を誤魔化すように大袈裟な息を吐く。

「まあ、オレもクリスマスなんて縁遠いイベントだから別にいいんだけど。むしろ仕事してるほうが、苦い思い出が蘇らずに済んでありがたいかもな」

「ふーん? 苦い思い出って?」

 将之の意図を汲んでか汲まずか、両足を前に投げ出し、振られた話題に素直に乗ってくる奏。将之はやはり大仰に肩をすくめ、それこそ苦々しい笑いを浮かべた。

「大学の時、付き合ってた彼女に別れを切り出されたんだよ。クリスマスに。私とメカのどっちが大事なのー、って」

「う、嘘だろ!」

 将之の言葉が終わらぬうちに、奏が慄いたように仰け反った。そのリアクションの激しさに、将之のほうまで面食らってしまう。

「そこまで驚くか?」

「マサムネ、彼女いたことあるの?」

 目を見開いた奏が一体何に衝撃を受けたのかを知り、将之の体から一気に力が抜けた。

「そっちかよ」

「彼女いないって言ってたのに……。あの桃園での誓いは嘘だったのか、マサムネ……!」

 言いながら、さらに奏は立ち上がって距離を取る。約二メートル。開いた距離は、心の距離か。呆れ果てた将之が、平坦な口調でやんわりと宥めにかかる。

「もしもし、なんの話ですか? もしかして、最初にバーミヨンで飯食ったときに話してたやつか? 『今は彼女いない』とは言ったけど、彼女がいたことない、とは言ってないだろ」

「ゴチャゴチャ言い訳すんな、マサムネの裏切者ぉ!」

「おいぃ、どこ行くんだ奏ーっ!」

 耐えきれなくなったかのように、わざとらしく嘆いた奏が猛然と走り出す。それを追おうと、思わず将之が立ち上がった時だ。


 周囲が赤く染まった。


 ダン、と奏が靴底を踏み鳴らして立ち止まる。同時に、将之も義眼のモードを変えて素早くイルミネーションを見回した。

 さっきまで色とりどりだったライトが、今は一様に毒々しいほど真っ赤に染まっている。ライトの種類や設置場所に関わらず、二人の現在地から見えるイルミネーションの全てが鮮烈な赤い光を放っており、夜空までも暗赤色にぼんやりと滲むほどだ。大半の見物人は演出だと思っているようで、一瞬にして趣を変えた光景にわっと歓声が湧き上がった。だが、そのあまりの赤さ故にか「なんか不気味だな」「怖くない?」などという声もちらほらと聞こえてくる。

「マサムネ」

 真剣味を帯びた奏の声に、将之はさらに視線を動かしていく。今や青く変じた彼の義眼は、奏や見物人たちの目には見えない、電機寄生体の発するエネルギーを捉えることができる。

 探しているものはすぐに見つかった。エネルギーの供給ラインたる、長く輝く光の糸である。一方の端は予想違わず、例の制御用PCが設置された一角に繋がっている。

 問題は、その逆端。

 将之の視界にしか映らぬその光は、今回に限って言えば異様な長さを有しているらしい。うねうねと蛇行しながら宙を泳ぐラインは人混みの中へと紛れ込み、その先にいるであろう寄生体本体の姿を見出すことは敵わなかった。

「くそっ、またかよ! どうなってやがるんだ!」

 毒づいた若林が乱暴にキーボードを叩く音が、ざわめきを縫って二人の耳にまで届いてきた。イルミネーションの設定をした当人であるからこそ、原因不明のこの現象に、誰よりも焦りと混乱を極めているのだろう。

 原因の目処を付けている将之や奏とて、この先、何が起こるかは知り得ないのだ。

「奏」

 鋭く相棒を呼んだ将之は、傍まで戻ってきた奏にスマホを軽く掲げて見せる。

「作戦変更だ。オレがラインを辿って本体を探す。お前はここで待機。寄生体を見つけたらLINKで合図するから、装置にコネクトチップを貼り付けろ」

 LINKとは、スマートフォンやPCで利用可能なメッセージアプリだ。他のSNSと同様のメッセージのやり取りに加え、通信キャリアや端末を問わない無料の音声通話も可能であり、昨今では最もメジャーな通信ツールと言えるだろう。

 将之の指示に、奏は珍しく戸惑ったように眉を寄せた。

「え、なんで? 一緒に探せばいいだろ」

「本体を見つけてからここに戻ってくるのは非効率的だ、同時並行作業したほうがいい。実体化すればお前もラインが見えるから、即、辿って駆けつけてくれ」

「だったら、今の時点で実体化させておいて、二人でラインを辿ればいいじゃないか」

 腑に落ちない、といった様子で奏が食い下がる。

 通常、「虚数次元」と呼ばれる異次元空間にいる電機寄生体を現実世界で実体化させるには、莫大な手間とコストを必要とする。だが、伊達電機寄生体駆除事務所は将之の目で「見つけた」アクセスポイントに専用のステッカー……奏による命名「コネクトチップ」を貼り付けることで、即座に寄生体を現実世界へと引きずり出す技術を確立している。

 だが、「引きずり出す」というのは、あくまで例えに過ぎない。

 重さもない生物であるが故に、実体化をするまではどんなものが飛び出してくるかの予想ができないのである。それ故、将之は頑として首を横に振った。

「馬鹿言え。本体の居所も大きさも分からないのに、いきなり実体化なんかできるか。アクセスポイントはインバータのACコンセント――」

「……」

「――もとい、PCの裏にある黒くて四角い機械の右側面の二ツ穴だ」

 奏のために分かりやすく言い換えながら変換器を指差し、将之は胸ポケットから黒いステッカーを取り出した。

「マサムネが言ってることは分かるけどさ。もし寄生体がヤバいやつだったら、実体化して俺が駆けつけるまでの間、どうするんだよ」

 受け取るための手は伸ばさず、なおも言いつのる奏に、将之は苦笑する。

「そのあたりはしっかり見極めるさ。危ない橋は渡らない」

 奏はまだ何か言いたそうだったが、将之はその手にコネクトチップを無理やり押し付けた。

「だから、一人で勝手に突っ走るんじゃないぞ。ちゃんといい子にしてろよ、奏」

 冗談めかして続けられた言葉に、奏の目がわずかに見開かれる。

「マサム――!」

 すでに身を翻した将之に、奏の呼びかけは届かない。

 相棒の背中が去った方向を奏はしばらく見つめていたが、大きなため息を一つ落として目を伏せた。やがて、何かを吹っ切るように瞼を開き、コネクトチップを握りしめる。

 険しい目つきで睨みつける先にあるのは、未だに赤く点滅を続けるイルミネーションだった。

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