赤い光 ─ 2
経緯を話し終えた保典は、使い込んでくたびれた書類鞄から一枚のチラシを取り出した。
夜空をバックにした煌びやかな電飾の写真が印刷されたもので、上部には繊細な明朝体で『明留市クリスマスイルミネーション』の見出しと、開催期間・場所が記されている。
「今回のイベントの案内です」
「ありがとうございます。拝見しても?」
「もちろんです、どうぞ」
チラシを受け取った将之は、華やかな表面は一瞥しただけで早々に裏返す。裏面は二色印刷で、イルミネーション会場のマップや点灯時刻などが掲載されていた。
隣から覗き込んだ奏が、「へえ」と感嘆の声を上げる。
「けっこう広範囲でやるんだな」
「そうだな。これだけ大規模なイベントなら、市長が中止を渋るのも分かるけど――」
納得しつつ、将之は奏とは異なるポイントで目を留めた。紙面の右下に印刷された小さな文字を読み上げる。
「『協力:イベント企画プレイホース』。聞いたこと無いな」
将之の呟きを聞きつけた保典が、「ああ、そちらですか」と応じた。
「小さなイベント会社なんですが、三年前から設備全般を委託しているんです」
「へぇ……ちょっと失礼しますね」
将之はスマートフォンを手早く操り、ネットの検索欄に企業名を入力する。
何件かヒットした中で、それらしいWebサイトにアクセスすると、派手なデザインのトップページに出迎えられた。最上段には、企業名に合わせてかポップなロゴと馬を模したキャラクターが飾られている。
保典の言葉どおり、まだ創設して数年の、社員規模十名に満たない会社である。代表者の名は
「若いな。まだ
「俺たちと大して変わらないな」
奏の言葉に頷き、さらに将之はページをスクロールしていく。その指の動きが、本社住所の欄でぴたりと止まった。
「どうした?」
「いや、随分と遠くにあるなと思って」
プレイホースの本社所在地は隣県の端だった。首を傾げ、将之はその画面をスクリーンショットに収める。一通り情報を得て満足したのか、将之はスマホをポケットに仕舞って再びチラシへと目を戻した。
「あのぅ」
と、そこで保典が口を開く。
「そこに書かれている『クリスマス・スペシャルライトアップ』ですが。いわゆる、今回の目玉なんです」
もじもじと言い出され、二人は地図の下に大きく書かれたイベント一覧から、告げられた名称を探し出す。
日付は今日。場所は明留駅前。
え、と瞠目する二人の反応に首をすくめながら、保典はさらに言葉を紡ぐ。
「開催期間中で一番大きなイベントで、市長挨拶も予定されていて……市長には、それまでになんとか片を付けろ、と」
顔を見合わせた将之と奏は、勢いよく時計を見上げる。ハリネズミを象った壁掛け時計が示す現在時刻は、午後三時四十五分。揃ってチラシに向き直った二人は、改めてイベントスケジュールを確認した。
「市長挨拶が六時半。けど、イルミネーションの点灯時刻は五時か。すぐ動き出さないと間に合わないぞ」
「確かに。今日だと渋滞も凄そうだし」
急な話に閉口した様子の将之と、同意して苦笑する奏に、保典が目に見えて狼狽える。不安そうな彼を隣から援護するのは、今まで三人のやりとりを黙って見守っていた猛だ。
「どうせ他の仕事は無いんだろう。協力してやれ。さっき応対が遅かったのも、暇を持て余して遊んでいたからじゃないのか」
「うぐ、鋭い」
「オレは遊んでないですよ。仕事の一環です」
「あ、ずるい。マサムネの裏切者」
澄まし顔で言い逃れようとする将之と、唇を突き出して相棒の背信行為を責める奏をじろりと見据え、猛はぴしゃりと言う。
「ああだこうだとやかましいわ、文句を言える立場か」
「へーい」
声色と面持ちはやや反抗的ながらも、本気で不服なわけではないのだろう。二人ともあっさりと従った。それくらい猛に世話になっている、とも言えるし、畏怖の対象である、とも言えるのだが。
そんな彼らの関係性など知る由も無く「すみません」と恐縮する保典に、将之は手を振った。
「大丈夫ですよ。獅子ヶ谷さんの言うとおり、今日は他の仕事もありませんし。このあと早急に向かいましょう」
「と、言うことは」
「ご依頼、承ります」
力強い将之の承諾に、保典の八の字眉がようやく形を変える。ぱっと顔を輝かせ、彼は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
「こちらこそ」
奏も含めて改めて互いに頭を下げ、続けて具体的な料金や駆除方法等の打合せに入る。
そうして一通りの話が纏まった時には、時刻はすでに四時を回っていた。時計を見た保典が慌てた様子で腰を浮かせる。
「申し訳無い。イベントの準備があるので、私はそろそろ会場に行かなければ」
「おっと。でしたら、古賀さんは先に行っていただけますか? オレたちも追って向かいますので、現地で合流しましょう」
「ええ、分かりました。では後ほど」
軽く会釈して事務所をあとにする保典を笑顔で送り出した将之と奏は、扉が閉まった途端に慌ただしく行動を開始した。バタバタと駆け寄った先は、将之が愛用のデスクトップPC、奏は部屋の隅にある機材置き場だ。
「マサムネ、コネクトチップは一束でいいか?」
「十分だ。悪い、奏。一通だけメールを打つから、終わったらすぐに出られるよう準備しておいてくれ」
「りょーかい、所長殿」
おどけて答え、奏は現場で使う機器類を手早く将之のバックパックに押し込む。戸締りに取り掛かろうとしたところで、ソファから立ち上がった猛が事務所の出入口へと向かうのに気が付いた。
奏の視線を察知した猛が、片手を掲げて見せる。
「じゃあな、あとは頼んだぞ」
「あれ、一緒に行かないの?」
奏の意外そうな問いに、猛はニッと笑った。
「ワシは今から、家族でパーティーだ」
事務所の壁にかかった保険会社の販促カレンダーを親指で示しながら宣言した猛は、ふと、笑みの種類を変える。
「奏」
先ほどまでの遠慮の無さとは正反対の、どこか躊躇いがちな呼びかけに、奏は首を傾げた。
「仕事が片付いたら、お前もちょっとくらい顔を出さないか?」
猛の提案に、奏は一度だけ瞬きをした。次いでその顔に、ゆっくりと笑みが広がる。
だが、笑顔のまま振られた首の方向は横だった。
「遠慮しとくよ。家族水入らずを邪魔するわけにはいかないからさ」
「……そうか、分かった」
苦笑にも似た表情で答えた猛は、軽く手を振って廊下へと出ていった。
キーボードを叩きながら二人のやり取りを横目で眺めていた将之は、残された奏の様子をちらりと窺う。
ドアから外れた奏の視線の先には、今しがた猛が指差した日めくりカレンダーがあった。
十二月二十四日。クリスマスイブ。
大きな袋を背負った笑顔のサンタクロースが添えられた日付を見る奏の横顔には、なんの感情も浮かんでいない。
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