手紙とハリネズミ

 それからひと月が経った。

 一歩外に出るとクリスマスソングが流れる時期になっても、伊達電機寄生体駆除事務所は変わらない。奥の事務机では、差し込む陽光に背を向けた将之が相変わらず指を組んでモニターを睨みつけているし、応接ソファでは漫画雑誌を顔にのせた奏が寝こけている。まったくもっていつも通りの、この事務所の光景が広がっていた。

 いつもと違うことといえば、応接机の上に、ダンボールの小包が開けっ放しになっていることだろう。そばにはパステルカラーの封筒と広げっ放しの四つ折り便箋が、几帳面そうな文字とともに広がっている。


『伊達電機寄生体駆除事務所 伊達様 旭様

 前略 すっかりご無沙汰してしまいましたが、その後、お怪我の具合はいかがでしょうか?――』


「よっしゃー、できたあああ!」

 時計の針音が響くだけだった静かな室内に、将之の快哉が上がった。喜びのままに立ち上がった彼は、机をバンバンと叩いて相棒を起こそうと試みる。

「おい、奏! 起きろ、ちょっとこっち来い!」

「うーん、だからぁ。東郷タワーに繭つくったのはガジラじゃないってば……」

「寝惚けてる場合じゃない。とにかく見てくれ、この画期的なプログラム!」

 ソファに駆け寄った将之が、奏の顔から漫画を引っぺがした。諦め悪く丸められた身体を揺さぶるが、彼が覚醒する気配は皆無である。

「プロ……? 違うって、ムスラだって言ってるじゃん」

「ええい、ガジラでもムスラでもいいから、とりあえず起きろって!」

 と、そこで事務所のインターホンが鳴った。


『――時計店は損傷が酷かったこともあり、予定通り取り壊しましたが、無事に残っていた時計は全て、祖父と生前懇意にしてくださっていた方や、贔屓にしてくださっていたお客様にお譲りしました。ただ、伊達さんが修理してくださった腕時計と、あの柱時計は、私が貰い受けることになりました。今の私の部屋では窮屈そうなので、新居に引っ越す時に、一緒に持って行くつもりです――』


「お?」

 インターホンに気を取られた将之の手が緩む。彼に掴まれていた奏の頭が、ソファにべしゃりと落下した。

「ふぎゃっ?」

 妙な声を上げる奏と耳を澄ます将之の前で、再度鳴らされるインターホン。一瞬顔を見合わせた二人は、慌てて動き出した。


『――私事で恐縮ですが、実はこの度、時計会社に就職が決まりました。四月からの新生活に今から期待と不安でいっぱいですが、早く一人前になって、いつかは自分の時計店を開くことが、私の密かな野望です――』


 扉へ走り寄ろうとし、将之はハタと思い当たって急ブレーキをかけた。振り返って机の上を指さす。

「奏、そこ片付けろ! オレは時間を稼ぐ!」

「了解だ、相棒!」

 答えた奏は、雑誌や段ボール箱を投げるように隅へと追いやる。はずみで、ひらりと便箋が宙に舞った。慌ててキャッチした奏は、文面を見たまましばし動きを止める。

 その口元が、嬉しそうに少しだけ緩んだ。

「まだか奏、早く!」

「うおっとぉ!」

 小声で急かす将之は、相も変わらず鍵が開きっぱなしのドアノブを押さえている。準備が完了すればすまし顔で開け、客人を迎え入れるつもりなのだろう。


『――お二人にはどれだけ感謝しても足りません。本当にありがとうございました。末筆ではありますが、貴事務所のますますのご発展と、お二人のご健勝をお祈り申し上げます。早々――橘時子』


 我に返った奏は、結びの後に書かれた一文を最後にもう一度目に焼きつけてから、手紙を大事に畳んで尻ポケットに入れた。自信満々に親指を立てて、準備完了を伝える。

 大きく頷きを返した将之は、オホン、と声を整えてドアを開けた。

「はい、『伊達電機寄生体駆除事務所』です」


     *


『追伸――祖父が最後に作った時計を贈ります。よければ事務所に置いてあげてください。きっと、おじいちゃんも時計も喜びます』


 明るい日の光に照らされた事務所の壁。

 そこに提げられたハリネズミのシルエットの掛け時計は、コチ、コチ、と穏やかに時を刻んで、二人とともに新たな客人を迎える。

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