天国への歌 ─ 1
時子は店の入り口で待っていた。
笑顔で手を振る二人の無事を確認できたからだろう。ホッとした様子で、彼女もまた手を振り返すと小走りで二人を出迎えた。
一通り互いの無事を喜びあっていた三人だが、ふと店の方に目を向けた将之が、「あちゃー」と顔をしかめる。額に手をやる彼の視線の先には、見るも無残に砕けた窓やショーウィンドウがあった。恐らく、店内はもっとひどいことになっているだろう。
「申し訳ありません、お店がこんなことに」
「いえ、あんなものが相手では仕方ないです。あのまま放置していたら、もっと酷いことになっていたかもしれませんし」
頭を下げた将之に、時子は「それより」と顔を曇らせた。
「お二人の手当をしないと」
ハンカチを取り出した時子は、額に血をこびりつかせている奏へと手を伸ばす。
「え、俺? いやいや、大丈夫だよ。掠り傷」
「でも」
「血も止まってるし、ヘーキヘーキ」
照れ臭そうに距離を取られ、時子は次に将之を振り返る。だが、こちらも苦笑しつつ「同じく」と辞退の意を述べた。
やり場の失った手を仕方なく下ろし、時子も将之と同じく店へと視線を向ける。店から漏れる頼りない灯りが、彼女の顔に濃い陰影を刻みつけた。
「さっきの寄生体は、どうしてあんなことをしたんでしょう」
ぽつり、と零れた言葉はさらに続く。
「あれも、祖父の時計から生まれたんですよね?」
将之が表情を曇らせた。
「橘さん、それは」
「違うと思う」
将之の言葉に被せ、きっぱりと否定したのは奏だ。
「想像だけど。あの蝿、そこのスクラップ工場で生まれたんじゃないかな」
つ、と視線を逸らした奏が顎で示したのは、時子が話していた工場である。将之と時子は「え?」と声を揃え、彼が示した先を振り返った。夜の中に、シルエットだけになった工場の影が沈んでいる。
「おじいさん、あの工場から壊れた機械の部品とか貰ってたんだろ。あいつはきっと、そういう壊れた機械か何かにくっついてこの店に来たんだ」
工場の話が初耳だった将之は、目を瞬かせた。そっけない口調で奏は続ける。
「自分はあっさり捨てられて壊されたのに、この店じゃ、時計たちがおじいさんに大切にされて幸せそうにしてる。それが無性に妬ましくなったんじゃないかな。で、あの柱時計に乗り移って、おじいさんにちょっかいを出した。ガキが駄々こねるみたいに、構って欲しい一心でさ」
だが、寄生体にとっては悪戯程度でも、時子の祖父には違った。彼は時計の不調を気にかけ、それが故に命を落とすことになってしまったのだろう。
「おじいさんが倒れた後は意固地になって、時計を滅茶苦茶に鳴らして。他の寄生体がおじいさんを助けようとするのを邪魔してた、ってとこだろうな」
頭の後ろで腕を組んだ奏は、踵でくるりと回って工場に背を向ける。そして、まだ呆気に取られている二人の顔をちらりと見て呟いた。
「『ウラヤマシイ』って、言ってたよ。あいつ」
それ以上は何も言うつもりは無いのだろう。そのまま、すたすたと店へ歩を進める。
「奏? どこ行くんだ」
「んー、ちょっと探し物」
後ろ手にひらひらと手を振り、奏はガラス扉の向こうへと姿を消した。将之もそれ以上の追及はせず、ドアが閉まるのを見守る。
「旭さん、『言ってた』って。どういうことでしょうか」
同じようにドアを見ていた時子は、おずおずと口を開いた。眉をへの字に下げる彼女に、将之は少し言いにくそうに答える。
「奏は……奏のイヤホンは、電機寄生体の声を聴くことができるんです」
「声? 寄生体って、喋るんですか?」
「聴こうとして聴いているわけではなく、ラジオ放送を受信するみたいに、近くにいる寄生体が発する、一種の電波のようなものを勝手に拾っているらしいんですけどね」
彼の言葉に含まれる微妙なニュアンスに違和感を覚え、時子は首を傾げた。
「らしい? あのイヤホンも伊達さんが作ったんじゃ」
「組成データの破壊プログラムを打ち込めるよう、イヤホンの端子を改造したのは確かにオレですが。あのイヤホンは、オレと出会う前から、あいつが持っていたものです。オレにも奏にも、声を拾う原理は分からない。ただ」
そこで将之は、河原の方を見やった。ちょうど、蠅が消滅したあたりである。
「怨念めいたブラックの叫びや訴えを……心を、まともに浴びながら、それでも真正面からぶつかっていくあいつは、誰より強い心の持ち主だと、オレは思うんです」
何か思うところがあるのか、そこで将之は目を伏せた。
そんな彼をしばらく時子は見ていたが、再び遠慮がちに声をかける。
「ひとつ気になっていたんですが。その、『ブラック』というのは、なんのことですか?」
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