新たな影と真相 ─ 2

 言いながら、奏は指抜きグローブを素早く装着した。端末に指を滑らせ、将之も今の作業を一旦キャンセルする。

「まずはあいつも実体化させる。アクセスポイントは内扉の奥、回路ブロックに内蔵されたステップモーターと水晶振動子の間のマイクロチップを狙え」

 奏のこめかみが引き攣った。

「……もう一回?」

「針金がぐるぐる巻いてあるやつの横にある、小さい四角い箱!」

「初めっから――」

 溜息混じりに唸った奏が、床を蹴った。ほぼ同時に、彼がいた場所を電撃が抉り抜く。続く第二撃も身体を逸らしただけで危なげなく避け、奏は時計に側面から回り込んだ。間髪入れず、正面の蓋と内扉を連続して開け放つ。右手で摘ままれたステッカーが鈍く光った。

「そう言えよ!」

 至近距離で放たれた電撃を避け、奏が手を伸ばす。ステッカーがマイクロチップに貼り付けられたのを確認すると同時に、マサムネは端末をタップしていた。

 右の視界で、青い雷帯がひときわ凶悪に膨れ上がる。羽虫が電球で燃えるのにも似た、バヂヂ、という音と青い光が部屋に満ちた。

「……っ!」

 耳と目が一瞬、真っ白になる。思った以上にでかい。飛びかけた意識を繋ぎとめるように、将之は左右に頭を振った。なんとか回復した聴覚に響いたのは、ギシギシという音。そして視覚を支配したのは。

「ひっ……!」

 背後の時子が引き攣ったような悲鳴を上げる。それも無理はないだろう。

 音と光がおさまった先にいたのは、一匹の蠅だった。

 ただしその姿は、「あえて似たものを挙げるならば」という注釈をつけねばならぬほどに醜悪で、普通の蠅とはかけ離れていたが。

 顔の半分以上を占める複眼や、特徴的な三角形の翅などは紛れもなく蠅そのものだ。そっくりと言ってもいい。その中で、全体のスケールは――スケールだけが、狂っていた。

 ギシギシと時計を軋ませている全長は、奏と同じか一回り小さいくらいだろうか。触覚は異様に長く、右端は時計に繋がり、左の先端は乾いた音をたてて帯電している。ハリネズミと同じような半透明の光で構成されているが、光が強いぶん金属のような硬質さをも同時に帯びていた。脚や胴回りの細かい毛が蠢く様までもまざまざと見てしまい、将之は無意識に半歩足を引いてしまう。

 反対に前に出たのは奏だ。彼が踵を鳴らす重い靴音が、前方から響いた。

「とっとと降りてこいよ、このドデカバエ。偉そうに、人を上から見下ろしてんじゃねぇ」

 腰を落とした奏に、ゆっくりと蠅が頭を動かす。

 集合体恐怖症の者が見たら発狂しそうな、人のこぶし大の複眼の全てに奏の顔が映り込んだ。警戒するように、蠅の触覚で青白い光が一層輝きを増して燃え上がる。

 己を認識したのを確認し、奏が人差し指でちょいちょいと手招いた。

「来ないなら、行ってやろうか?」

 挑発に対する返事は、左右から同時に強襲した電撃だった。

 バックステップで避けた奏の後を追って、さらに二撃目、三撃目が撃ち込まれる。床板が剥がれ、余波でショーケースが砕け散っていく。蹂躙される店内に、奏の顔がしかめられた。

 さっきまで時子が話していたことを思い出し、将之もぐっと唇を引き結ぶ。だが、状況は待ってはくれない。手元から、【LIZ】の声が響いた。

 ≪チェック。リンク確立。コード解析モード起動完了≫

 淡々とした報告の後、画面上を数字の羅列が凄まじい勢いで流れていく。その中に異常項目が無いかを目で追いながら、将之は指示を出した。

「コード解析に移行する。奏、睨みを利かせて時間を稼げ」

「任せろ」

 短いやり取りの間にも、蠅の攻撃は続いている。将之の視界の端では絶えず青い火花が弾け、何かが壊れる音が鼓膜を揺さぶっていた。どうやら、相手は相当に苛立っているらしい。

 あの、と、後ろから不安そうな時子の声がかかった。画面から目を離さず、将之はぴしゃりと言う。

「もっと下がって。オレの後ろから絶対に出ないように」

 もどかしそうに、「私じゃなくて」と、時子は言い募った。

「旭さんは大丈夫なんですか?」

「奏なら心配いりません。オレが事務所の所長、兼、技術兼営業兼経理事務とするなら、奏は」

 耳障りな音が、部屋に轟いた。思わず顔を上げると、猛烈な風圧が顔を叩く。

 翅を上下に震わせた蠅が、今まさに時計から飛び立って奏に襲いかかろうとしているところだった。煩わしそうな相手とは対照的に、奏のほうは悠然と佇んでいる。

 そう、心配はいらない。なぜなら彼は。

「特Aクラスの戦闘員です」

 するり、と奏が半身を開いて踏み込んだ。流れるような体捌きで蠅の体当たりを躱すと、頭の付け根に手を添えて身体を密着させる。返された手首に追従し、蠅の進行方向が逸れた。無事だったショーケースを掠るように、蠅の身体が奏を中心とするような円弧を描く。身体を捌き位置を入れ替えた奏は、さらに空いた手で蠅の脚先を掬い上げた。

 勢いよく半回転し、床に叩きつけられた蠅がびくびくと全身を蠢動させる。それでもなお起き上がろうともがく脚の生え際に、奏は容赦なく体重をのせた肘を落とす。

 蠅の身体から、ビキビキと悲鳴のような音が上がった。これが試合だったら、確実にダウンか一本が宣言されているだろう。

 無駄なく洗練された動きに、時子は「す、すごい」と呆気にとられた声を上げた。彼女の素直な賞賛に、将之は己の口が緩みそうになるのを慌てて引き締める。

「いいぞ、奏。そのまま拘束できそうか?」

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