新たな影と真相 ─ 1

 時子には少し下がってもらい、その分少しだけ広くなったスペースに将之は片膝をついた。

起動ゲット・アップ、【LIZリズ】」

 声に応え、青一色だった端末の待機画面が一瞬またたき、黒い蜥蜴のシルエットアイコンが大きく浮かび上がる。画面中央に吐き出されたのは、ごく短い英文。

 ≪Hello≫

 端末が意思を持ったわけではない。プログラムが無事に起動したことを示す、疑似的な挨拶である。

【LIZ】は半対話式の、バーチャルアシスタントシステムだ。命令のための言語からインターフェースに至るまで、モーションデザインを除くほぼ全てを将之が手掛けた。十本指だけでは間に合わない処理を補ってくれるAIに、簡潔に命じる。

「データ解析開始、同時にプログラム作成準備」

 ≪承諾≫

 男性とも女性ともつかない合成音声がスピーカーから紡ぎ出された。蜥蜴は画面上でくるりと尾を抱え込むように一回転し、左下から右上に画面を横切っていく。

 尻尾に引っ張られるように現れたのは、黒い背景のコンソール画面だった。左上隅で白く点滅するカーソルが、これから入力されるだろう一文字目を今や遅しと待ち受けている。軽く指を組んでほぐし、将之は画面に配列された仮想キーを叩き始めた。

 現在行っているのは、先に時子に説明した、電機寄生体を消滅させる特殊処理の下準備だ。この作業は一人でも十分に事足りる。というよりも、将之にしか担えない。そうなると、暇になってくるのが奏である。

「マサムネ君、マサムネ君。何か俺が手伝うことは?」

「んー、残念ながら、今回は奏君の出番は無さそうだなぁ」

 さっそく後ろでひょいひょい揺れては画面を覗き込んでくる彼に、将之は指を止めずにわざとらしく澄まして答えた。

「えー……いやまぁ、いいんだけどさぁ」

 こちらもまた、わざとらしく肩を落とす奏に将之は心の中で苦笑した。奏の今の問いかけは、念のための確認だったのだろう。大雑把に見えて、こういったところは意外と細やかである。奏が踵を返す気配を背中で感じながら、将之は口元をゆるめた。

 そうして、少しの間止まっていた指を再び動かそうとした時だ。

 背後の気配が、変わった。

 止まる足音。ヒュッと息を呑む微かな響き。思わず振り向いた先では、厳しい顔でイヤホンを右手で押さえる奏の姿があった。だが、将之が彼に問いかけるより早く。

 ボーン、と。

 柱時計が鳴った。

「え?」

「なんだと?」

 時子と将之の声を合図としたかのように、室内の空気が一変する。あり得ないことだが、室温すら急激に下がったように感じ、将之の腕に鳥肌が広がった。呆けたような時子の声も、微かに震えている。

 ハリネズミの方を見るが、時計を操っている様子は無い。とすると、残る候補は一つだけだ。

 いまだに悠々と音を響かせている柱時計を、将之は振り返った。示された文字盤の針は六時半。いや、違う。

 見間違いかと、目を見開いた。長針と短針が六にぴったりと重なった表示は、どう考えても自然に起こりえるものではない。

 音は、六回を数えたところでぴたりと止んだ。

 不気味な一瞬の間隙。

 その沈黙を破ったのは、スニーカーが床を蹴る重い音と叫び声だった。

「離れろ、マサムネ!」

 血相を変えて飛び出した奏が、柱時計と将之の間に身体を滑り込ませる。

 ほぼ同時に、電灯のものとは異なる青白い火花が弾けた。咄嗟に顔を庇った奏が、左腕を上げる。バヂリ、という激しい音と化学繊維の燃える異臭。反射で跳ねた彼の腕には、薄赤い火傷が筋のようにはしっていた。

「奏!」

「問題ねーよ。それより、何が起こってる?」

 ガードを解いた奏が、時計から視線を外さずに鋭く問いかけた。小柄な背中の向こうでは、柱時計がバチバチと青白い光を周囲にまき散らしている。

 明らかな異常事態に怯える時子を背後に庇い、将之は右目の機能を開放した。青く染まった視界の中では、時計を切り裂くように光の線が斜めに延びている。ここまではハリネズミの時と同じだが、決定的に違うのはその規模だろう。

 ハリネズミのそれを糸というなら、今回はさながら帯だ。太く、禍々しい光が、将之にしか視えない世界の中で脈動している。その事象が何を意味するか理解し、将之は思わず呻いた。

「そういう、ことか」

「どういうことだよ?」

「この時計、二体の電機寄生体が寄生してたんだ。六時十五分に十二回時計を鳴らして助けを呼んでいたのが、あのハリネズミ。そして、それ以外の不規則な時間に滅茶苦茶な回数を鳴らしていたのが」

 言葉を邪魔するように、再び電撃がはしった。三人には当たらなかったが、荒れ狂ったそれは電灯に直撃する。乾いた音と火花を弾けさせ、蛍光灯が無残に砕け散った。

 悲鳴を上げ、とうとう時子がしゃがみこんだ。本当は部屋から出てもらうのが安全ではあるが、この状態ではへたに動かないほうがいいだろう。せめて巻き込まれないよう、将之も彼女の前で再び膝をつく。

 見上げた時計は、さっきよりも迫力が増したようだった。視線は逸らさず、将之は邪魔された言葉の続きを吐き捨てる。

「今、そこで馬鹿騒ぎをしている、別のもう一体ってわけだ」

 視界の中でエネルギーの帯がうごめき、連動して電撃が放たれた。店の棚に飾られていた時計が薙ぎ払われ、中身を床にぶちまける。今、この室内で立っているのは、暴力の源である時計と、奏くらいだろう。

「二体の寄生体が、それぞれ時計を操ってたってことか?」

 時計の正面に立つ奏の確認に、将之は頷いた。

「ハリネズミの接点は振り子、正確には音を鳴らすための機構のみだったが、もう一体はムーブメント全体を掌握してる。時針を狂わせることも、音を鳴らすのも、内部を流れる電気を放出するのも思いのままだ」

「ど、どうしてそんなことに……」

「理由を考えるのは後だ」

 時子の嘆きをきっぱり断ち切った奏が、時計を睨め上げる。

「マサムネ、ここからどうする?」

「どうするもこうするも、ここからは」

 将之はジャンパーの胸ポケットに手を入れた。取り出したステッカーを、言葉とともに放り投げる。極小のチップが緩く弧を描き、宙を舞った。

「お前の出番だよ、奏」

「オーケー」

 振り向きざまに出された手が、狙い違わずステッカーをキャッチする。

「指示寄越せ相棒、ケリつけてきてやるよ」

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