電機寄生体 ─ 5
奇妙な沈黙の中、考えが纏まったのか、将之がゆっくりと親指を離す。
「俗説ですが、電機寄生体は、機械の思念によって生み出されると言われています」
「機械の思念、ですか?」
唐突な話に、時子は面食らった。
「ええ。人間の思念が形を得たものがお化けの類だとするならば、機械の思念が形を得たものが電機寄生体である、とする説です。科学に携わる身として、オレが公然と支持するのは憚られるんですがね。ただ、そう仮定すれば、電機寄生体の行動原理を把握しやすくなるのは確かだ」
将之はハリネズミをじっと見つめた。今も足元を必死に引っ掻く、異なる世界から来たという小さな生命体。その意図を読み取ろうとするように、彼は目を細める。
「電機寄生体は、特定の機械や場所、あるいは人に固執して発現するケースがほとんどです。ひょっとしたら、この寄生体」
将之が時子の方を向いた。
「柱時計が、持ち主を助けようとしたが故に現れたのかも」
一拍をおいて告げられた推測に、時子は思わず息をのんだ。
「おじいさん、ここで倒れてたんだよな」
将之の言葉を継いだのは奏だ。鼻先で悲しそうに床をつつくハリネズミのそばにしゃがみこみ、彼は小さく首を傾げる。
「目の前でおじいさんが苦しんでるのを見て、どうにか人を呼ぼうとした。けど、助けられなかった?」
「その思念が機械寄生体を生み、持ち主が亡くなって以後も、彼が倒れた六時十五分になるとめいっぱい音を鳴らして、誰かに知らせようとしている……想像の域は出ませんけどね」
答えた将之の後半は、時子に対してだ。彼の言う通り、この寄生体の行動についての根拠は無い。もしかしたらハリネズミがこの時間、この場所にこだわっているのは偶然なのかもしれない。
それでも、時子は思わず口を覆ってしまった。
「そんな、ことって……」
「おじいさんってさ、自分が作ったものをすごく大切にする人だったんじゃないか? だからきっと、時計もおじいさんが大好きだったんだよ」
頭の後ろで腕を組んで立ち上がった奏が、時子を振り返って笑いかけた。
「化けて出てきてまで、助けようとするくらいにはさ」
答える代わりに、時子は頷いた。何度も何度も。まるで自分に言い聞かせるように頷き続ける時子を、将之も奏も急かすことは無かった。
柔らかい笑みをたたえる二人に、時子の目頭が熱くなる。滲む視界の中で、奏と将之が視線を交わした。
「それで、どうする相棒。判定は? 白、黒? それとも灰色?」
「白、と言いたいところだが。現に時計が誤作動を起こしている以上、白に近いグレーだろうな」
小さく息をつき、将之が遠慮がちに口を開いた。
「橘さん、ここからの対応について相談させてください。事務所で説明した通り、法律上、問答無用で駆除の対象となるのは、人間にとって有害だとみなされた電機寄生体です。今回の場合、この寄生体には害意や悪意が認められず、深刻な実害もひとまず出ていないので、有害とまでは言えないと判断します」
これは、きっとこのハリネズミの今後のことだ。そう感じ、時子は唇を引き結んで頷いた。
将之が、静かな表情で核心へと迫る。
「強制駆除の対象外となった場合、取り得る選択肢は三つです。一、有害ではないが駆除する。二、研究観察対象として保護し、しかるべき公的機関へ受け渡す。三、放置しても問題ないとみなし、それ以上関与しない」
順に指を立てていく将之の説明は手馴れていて。きっとこういうことは少なくないのだろう、と時子は頭の隅で考えた。それでも、こちらの理解を待って一つずつ話を進めてくれるのは、きっと「納得して最終決断をして欲しい」ということなのだ。
指が立てられる都度、頷く時子に、将之はさらに踏みいった説明に入った。
「二つ目の保護については、対象となるために審査が必要ですし、もし通った場合には、この時計ごと寄生体を専門機関へ提出する必要があります。戻ってくる保証はありませんし、それは望ましくないですよね?」
「そう、ですね。手放したくありません」
「すると、残る選択肢は一か三ですが」
言い淀んだ将之は、ハリネズミをちらりと見た。
「今は害が無いからと言って寄生体を放置すると、そのうち機械の異常が悪化したり、寄生体が悪質なものに転じたりして、実害が出てしまうケースがあります。正直、あまりお勧めはできません」
時子もハリネズミを見た。しゃがんで頬杖をつく奏と見つめ合っているハリネズミが、この会話を聞いている様子は無い。それでもやはり「駆除」という言葉に、時子の声は落ち込んだ。
「駆除って、具体的にはどんなことをするんですか?」
「電機寄生体を機械から引き剥がす方法は、大別して二つ。一つは機械そのものを、機構レベルで修理不能になるまで破壊すること。ただしこの場合、寄生体はあくまでその機械から離れるだけであり、手近な他の機械に乗り移ってしまうことがほとんどです。はっきり言って無意味だ」
「この時計をあっさり処分してたら、この店にある他の時計に寄生体が乗り移ってたかもな」
相変わらずハリネズミと見つめ合い、視線は寄越さないままに奏が補足する。
さらりと言われた事の重大さに、時子は今さらながらに青ざめた。そうなると、あの時計は壊し損になってしまっていただろう。それは時子にとっては望ましくない。
そうなると、残りは。
「二つ目、これがうちの事務所では主流です。実体化させた電機寄生体に特殊処理を施すことで、寄生体そのものを、実数次元からも虚数次元からも完全消滅させます」
「消滅……殺してしまう、ということでしょうか?」
時子の質問に、将之の顔が痛そうに強張った。
「……解釈次第では、そうとも言えますね。存在自体を消してしまうわけですから。ただ、駆除対象が酷く抵抗をしない限りは、こちらも寄生体に負担が無いよう最善は尽くします」
「無闇といたぶったり、苦しめるようなことはしないよ。そこは信じてもらうしかないけど」
立ち上がった奏が、困ったように笑う。
「信じて欲しい、かな」
説明は終わりのようだった。
威圧的ではないが、二人は真剣な眼差しで時子の返事を待っている。最終決断をするのは、あの命の処遇を決めるのは自分なのだと、改めて突きつけられる。
顔を下げ、ハリネズミの方を見ると、円らな瞳と目があった。いたたまれず、視線を手元に戻す。視界に広がるのは、もう動かない腕時計だ。自分には少し大きめのベルト。そこに繋がる、ごつくて素っ気ない文字盤。
大丈夫だ。自分の決断に、自信を持て。
言い聞かせ、時子は顔を上げた。二人の視線を迎え入れ、深々と頭を下げる。
「駆除を、お願いできますか。お二人にだったら、お任せできます」
足元に落ちた二つの影が、揃って胸を叩いた。
「お引き受けしましょう」
頭上から聞こえた声に、時子はずっと背負っていた肩の荷が下りたような気がした。
後は、この二人に任せよう。
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