電機寄生体 ─ 1
店同様に古びた鍵で開錠する。
ガラス扉を押し開けると、途端に押し寄せるのはカチコチという時を刻む音と、湿っぽい臭いだ。一週間前にも来たはずだが、埃とカビの臭いがさらに強くなっている気がした。
人がいなくなると、建物とはこうも早く傷むものなのか。
その事実から目を逸らし、時子は扉のすぐ横にあるスイッチを押す。薄暗かった店内が明るくなったのを確認し、時子は「どうぞ」と背後を振り返った。
「お邪魔します」
まず一礼して入ってきたのは将之で、その後から「失礼します」と続くのは奏だ。二人ともこういう店が珍しいのか、きょろきょろと目を彷徨わせている。
時子にとっては勝手知ったる店内だが、確かに昨今ではこういったレトロさには中々お目にかかれないのかもしれない。そう考え、時子も改めて店の中を見回す。
入ってすぐ目に入るのは、中央に備え付けられた、カウンターも兼ねた大きなガラスのショーケースだろう。左右に目をやれば、古めかしい型板ガラスが嵌められた木枠の窓。その下には、高さも大きさもまちまちの棚が所狭しと並んでいる。
収められているのはもちろん、この店の唯一にして最大の商品である時計たちだ。
華奢な装飾の婦人用腕時計がある。精緻な細工を施された絡繰り時計がある。かと思えば、シンプルな造形の目覚まし時計がある。壁面には、窓に迫るぎりぎりの範囲まで大小様々な時計がかけられていた。
一つとして同じ音を刻むことのない時計の針音に、思わず時子は目を細める。
そこで、ふと背後の二人が妙に静かなことに気が付いた。
というか、彼らにすればどの時計が今回の件に関係があるかも分からないので、動きようがないのだろう。つい感傷にふけってしまったが、そんな場合ではなかった。
「すみません。つい――」
慌てて振り返り、時子は言葉を途切れさせた。店の入り口で立ち尽くしたまま、きらきらと目を輝かせる将之を視界に収めたからである。
別にそれ自体は珍しくない。現に時子だって、この店に足を踏み入れる度に胸を躍らせたものだ。ただし、それは無数の時計が織りなす不可思議で現実離れした空間に対して、である。まるでファンタジーの世界にでも迷い込んでしまったかのような、なんとも言えない高揚感と酩酊感。彼女が胸を躍らせていた対象と理由を言葉にすると、そういった種類のものであった。
ところが、だ。この青年ときたら、正面に広がる煌びやかな世界には全く目を向けていなかった。では何を見て興奮しているかといえば、店の片隅に鎮座している作業台である。
使い込まれて細かな傷がついた樫材のテーブルに、背中の形に跡がついたアームチェア。そして、作業途中のまま時の止まった、ばらばらの時計たち。
表のショーケースを片付け、「営業中」の看板は祖父と一緒に棺に収めた。けれど、どうしてもこのスペースだけは片付ける気が起こらなかった。手をつけてしまえば、祖父はもうここには戻ってこないのだと。その現実を突きつけられるような気がして、怖かったのだ。
今でもこの暗がりに目を向けると、机に向かって作業する曲がった背中が見えるような錯覚に襲われる。
父も母も、時子ですらその作業机からは目を逸らしていた。機械のことを何も分からない人間が手を触れてはいけないような。むしろ、触れて欲しくないと時子に思わせるような場所だった。
そもそも、普通の人が見てもなんの面白みも無いガラクタの山だろう。
だが、将之が見ているのはまさにその「ガラクタ」だった。時子には何に使うか分からない、大小様々な工具が置きざりにされた作業台を熱心に覗き込んでいる様は、まるで少年のようですらある。
その目は、ひどく祖父に似ていた。
「こいつは技術者魂がくすぐられるなぁ」
声を弾ませ、将之は眩しそうに目を細めた。
「それに、おじい様はいい腕をお持ちだったんですね」
「ありがとうございます。でも、どうして?」
「道具を見れば分かります。どれも古いのに、よく手入れされて大切にされている」
「……ありがとうございます」
噛みしめるように再度言われた礼の意図を図りかねたのだろう。将之が「お世辞じゃないですよ」と苦笑するのに、時子は首を横に振った。
「ごめんなさい、違うんです」
お世辞だと思って礼を言ったのではない。純粋に嬉しかったのだ。それは、この作業机の主の口癖でもあったから。
「祖父も、同じことを言っていたので」
――いい職人は道具を見れば分かる。
どうして、もっと新しくて機能が充実している道具を買わないのかと、幼い時子が尋ねた時のことだ。言葉少なに祖父は語ってくれた。
職人にとって、道具は自分の手足だ。いいものが出たからと言って、すぐに手足をすげ替える人間はいないだろうと。もし、人間がそんな風になってしまえば生物としておしまいだ、と。
「よければ、手に取って見てください。きっと祖父も喜びます」
「いいんですか?」
ぱぁっと将之の顔が一段と輝いた。きっと彼に尻尾があれば、ぶんぶんと左右に振られていることだろう。くすり、と笑って時子は頷いた。事務所で説明をしている時は淡々とした印象を受けたが、今となっては違う。分かりやすい人だ、と思う。
きっと、彼も祖父と同じで機械が――その先に連なる人の営みが好きなのだろう。
「実は先ほどから、この魅惑的なムーブメントが気になって仕方がなくて。ほら、デザインもわざわざ、ここを見せるようになっているんですよ。きっとおじい様も、この形状美をこそ見て欲しかったんでしょうね。お、すごい、文字盤ガラスが魚眼レンズになってるのか、よく考えられてるなぁ。このテンプとヒゲゼンマイが動いているところをいつでも見られるなんて、こんな時計を持てる人は贅沢者だぞ。なあ、奏も見てみろよ」
嬉々として将之は相方を呼ぶが、残念ながら奏は彼ほど心を動かされなかったようだ。むしろ、ちょうどいい機会だとばかりに手を打ち鳴らした。
「へいマサムネ。そっちもいいけどな、仕事するぞ仕事」
「わ、分かってるよ。橘さん、件の時計は?」
心底残念そうに作業机から離れた将之は、照れを隠すように慌てて時子に尋ねた。
だが、時子が口を開くまでもなく、二人とも答えを見つけたようだ。二人の視線が、時子を通り過ぎてその背後――店の最奥へと向けられる。
「あれ、ですね」
「はい。お願いします」
将之の確認に、時子も背後を振り返った。
店を照らす明かりから離れた薄暗い空間。そこに、遠目でも分かるほどに立派なホールクロックが鎮座していた。
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