狂った時計 ─ 2

「実は、ここに来る前、広告をよく見るような大きな会社にも相談してみたんです」

 抑えようと思っても、勝手に声が震える。

 駄目だ、ここで駄々を捏ねても仕方がないだろう。今までだってそうだった。

 必死にそう言い聞かせるが、口からは勝手に言葉が溢れ出て止まらない。

「でも、どこも『ただの故障だろ』って取り合ってくれないし。そもそも料金を払う宛も無くて……途方に暮れていたところで、偶然この事務所のビラを見つけて、藁にもすがる思いでお訪ねしたんです」

 目頭が熱くなり、咄嗟に時子は俯いた。

 駄目だ、泣くな。

 スカートの裾を握りしめ、時子は歯を食いしばった。

 この人達は関係ない。自分はただの客「候補」であって、彼らは選ぶ側だ。こんなの、面接だったら一発でアウトだろう。

 心は冷静なのに、身体が言うことを聞いてくれない。自分の声が、まるで他人のもののように遠くから聞こえる。

「時計店は廃業が決まっています。跡を継ぐ人がいないので、それは仕方がありません。ただ、おかしな時間に鳴る時計を父も母も不気味がって、店を畳むのと同時に処分しようとしているんです。でも、私は」

「処分したくない?」

 頭上から聞こえた、奏の気遣わしげな言葉に時子は大きく頷く。声を絞り出したのは、いよいよ涙腺が決壊しそうだったからだ。

「時計に囲まれて仕事をする祖父を見ているのが、私は大好きでした。あの時計は、祖父がとても大切にしていたものなんです。それがあんな風に言われたまま捨てられるなんて、絶対に嫌。原因があるならなんとしても解決して、時計だけでも残してあげたいんです」

 返ってこない言葉にいたたまれなくなって顔を上げると、見るからに奏は狼狽えている。当たり前だ。逆の立場だったら時子だって動揺する。

 改めて考えて情けなくなった。と、再び俯きかけた鼻先にずいと突き出されたのはティッシュボックスだ。勢いで受け取ると、「ごめん」とだけ言われる。

 時子が何か言うより前に、奏は隣をじろりと見た。ちなみに、この間も将之は微動だにせず二枚のメモを見つめている。

 顔を近づけた奏が、小声で将之に抗議する。もっとも、抗議というにはだいぶと力が無かったが。

「マサムネぇ、黙ってないでなんとか言えよ」

 困り果てたような彼の声に反応したわけではないのだろうが、いきなり将之が顔を上げた。

「今、何時だ?」

「はい?」

 場違いな問いかけに、奏が脱力して肩をこけさせる。時子も、意図が読めずに将之の顔を長々と眺めてしまった。

 二人の反応など気にも留めず、将之は視線を彷徨わせる。

「あれ、時計どこいった? って、そうか、奏が壊したんだった! あー、しまった、直そうと思って忘れてた」

 額に手を当てながらの将之の嘆きに、ふてくされたのは奏だ。

「壊したんじゃない、壊れたの。俺は電池を替えようとしただけだ」

「電池ボックスを無理やり引っこ抜いた結果の本体破損は、壊れたとは言わない」

「んなこと言っても。何か、引っかかってうまく出なかったんだよ」

「引っかかってたんじゃない、ツメで引っかけて固定してあったの」

 際限なく話がずれていきそうな二人に、時子は自分のスマートフォン画面を確認した。液晶に示された時刻は十六時五十六分。

「五時少し前ですけど」

 おずおずと割り込んだ時子に、将之は咳払いを一つして話の軌道を修正した。

「失礼。おじい様の店の場所は、ここから近いですか?」

「え? えっと、黒糸市の外れです。維切いぎり川沿いにあるんですけど」

 時子の答えた地名に、将之はすっくと立ち上がった。

「よし、それなら間に合う」

 言うが早いか、手に持った端末を小脇に抱えて事務所を横切る。ごそごそと財布やらケーブルやらを鞄に突っ込む彼に、時子は目を瞬かせた。横目で窺えば、奏も中途半端に腰を浮かせながら怪訝な顔をしている。

「間に合うって、マサムネ」

「出かけるぞ、奏。準備しろ。橘さん、店まで案内をお願いします」

 車のキーを揺らし、将之はにこりと笑った。

「電機寄生体の仕業かどうか、この目で直接確かめましょう」

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