7 特別なラテアート


 静かな店内。雨だからいつもよりお客さんが沢山いる。ここは雨宿りする場所としても使えるのだ。男女で来ている人もいれば一人でPCと睨めっこしてる若い女性もいる。鈍感な理玖は倉科さんが帰ったのを信じていて、消えた! としか思っていない。正体がバレるのはもっと先の事だ。本当は理玖も男女で座る予定だったのだ。なのに――

 パンを取りに立ち上がろうとした時、いつもオドオドしている店員さんに呼び止められた。


「いらっしゃい、ませっ」


 頭をふるふるさせながら蚊の鳴くような声で挨拶された。


 ちゃんと接客できているだろうか。私が倉科さんだってバレないかな……。いや、ネームプレートは倉科だけど。


「……はい」


「お飲み物は何に致しますかぁ?」


 上手く呂律ろれつが回らない……!


 いつもはレジまで行って、飲み物は自分で頼むのに今日はおかしいな。理玖は怪訝に感じた。


「じゃあ、ホットのブラックコーヒーでお願いします」


「い、いゃっ、きょ、今日はっ、カフェラテの方が良いですよぉ。5割引きですっ。どうですか?」


 じゃないと恩返しできない。強引にでも勧めなきゃ!


 理玖は意を決した。


「そしたらカフェラテでお願いします」


「分かりました!」


 私は少し元気を取り戻した。明るくなった私を見て、理玖は驚いている。


「それではっ、ごゆっくりして下さいね」


 はにかんで私はカウンターに消えた。


 ***


 店員さんにカフェラテを勧められ、しかも5割引きと言われた。


 5割引き……そんなサービスあるんだ。珍しい。ここは大人しくそうしてみるか。


 そうして、俺は流れのままにカフェラテを頼んだ。


 何があったのだろう。今日はいつもオドオドしてるはずの倉科さんの様子がおかしい。噛んだり、オドオドしてるのはいつも通りなんだけど、今日は何だか少し明るい。瞳の陰りもなく、澄んでいるし、テキパキと店内を動いている。

 それにカフェラテをあんなに勧めるなんて、何なんだろう。新作、とか!? まあ美味しければいいや。

 俺は窓をいつものように見つめた。まだ雨は降っている。雫が窓について、ゆっくり零れ落ちる。その雫を見て落ち着いていた。

 雨のパン屋っていいよね。喫茶店とほぼ変わらないし。落ち着く、というか。一人黄昏られるというか。本当は彼女と一緒が良かったけど。

 倉科さんがすぐそこにいる事を俺は知らない。


 ***


 厨房にて。


 ああー。一条くん、カッコよすぎる。雨に黄昏ていつにも増して美しい。


 じゃなくって、ラテアート作らなきゃ。今日は彼に感謝を込める為に制服に着替えて店員になりきったんだから。傘入れてくれたお礼。本当は手作りチョコとかのど飴とかプレゼントしたいけど、生憎無い。


 どうして、私はオドオドしちゃうんだろう。接客はどうしても緊張しちゃう。


 ハートのラテアートを作る。手が震えて上手くいかないっ。どうして……。


「倉科、ラテアートかい? それなら私に貸しな。何のマーク作るんだ?」


「わたしがっ、私がやらなきゃダメなんです」


「そ、そうか」


 先輩は私の熱意に気づいたのか、手を引いてくれた。


 何度か試行錯誤した結果、ようやくハートのラテアートが完成した。初めて作ったラテアート。初めてにしては上出来かもしれない。


 恐る恐る、テーブルに運んだ。


 ***


 理玖はパンに手を付けずにずっと私のことを待っていた。


「お、お待たせっ、しましたっ。渾身のラテアート付きカフェラテですっ」


 私はペコペコとお辞儀を繰り返した。

 そんな彼女を見て、可愛い、と理玖は思った。そして、これは……と目をみはった。

 そこに描かれていたのは茶色のコーヒーに大きな白いハートだった。ハートの意味はその時の理玖には分からなかったが、とても愛情が込められてるように感じた。


 理玖が呆然と私のことを見ていると。


「い、いつも、ご来店頂き、ありがとうございますっ。今日はそのお礼を込めて作りましたっ。これからも当店をご利用頂けると誠にっ、嬉しく、思いますっ」


 そう私は説明をした。

 本当は傘のお礼がしたいのに。正体バレたくないけど、バレてほしい。


「いえいえ、こちらこそ美味しいパンとドリンクが食べれて飲めて嬉しいです。ありがとうございます。そして、接客を頑張ってる倉科さんを陰ながら応援しています。これからも宜しくお願い致します」


 いつもと変わらない理玖。そんな理玖に私はきゅんとした。


「それではっ、失礼しますっ」


 暗にパン食べてどうぞ、と告げ、私はカウンターに消えた。


 ***


 そして、俺はパンを食べて、コーヒーに手を付けようとした。


 この形、崩したくないな。それにハート、何の意味だろう? もしかしてあの子、俺のこと好きとか!? 無い無い。寧ろ俺のほうが倉科さんのこと、応援したいというか可愛いって思ってるのに。何も考えず、飲むか。


 決心をして、コーヒーを啜った。

 美味しい。たまにはミルクが入ってても良いな。

 ブラック派の俺の意思も揺らぐくらいの美味しさだった。


 ***


 そうして理玖は会計を済ませた。


「100円です」


「えっ!」


 店長に事情を説明し、このお客様だけ優遇するのを申し立てた。そしたら、快くOKしてもらい、今に至る。

 こんなにパン食べて、ラテアート付きカフェラテを飲んだのに100円!? と理玖は思ったが、私は押し通す。


「5割引きって言ったでしょっ?」


「そうですね。分かりました」


 理玖は100円を払い、ドアに向かった。


「またいらして下さいねっ!」


 その声に振り向くと、するとそこには笑顔で手を振る店員の倉科さんがいた。

 彼女の笑顔に安心し、幸せいっぱいの気持ちでドアを開けた。

 もう雨は止んでいた。水溜まりに自分の顔が映る。今日の自分は嬉しそうだな、と理玖は思った。


「今日の倉科さんは元気そうで明るかったな」


 そんな呟きが葉擦れの音と混ざり合う。


 ***


 一方で帰り道での私はうずうずしていた。

 バレてないっていうのが凄いよね。名前も知られているのに気づかないのかな。眼鏡とすっぴんで誤魔化されているのかな。

 ヤマシタ・ベーカリーはメイク禁止だ。明るく髪を染めるのも禁止だ。派手なメイクは禁止だけど少しいじるくらいなら可能だとか。

 でも、私はすっぴんでいる。

 バイト禁止と親に言われ、内緒で働いている。だから、正体はバレたらまずいのだ。

 それに素の自分でいられる居場所が欲しいからというのもある。


 今日は色々あったなー。

 毎日が幸せであれますようにと星空を見上げた。

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