6 相合い傘


 靴を履き替え、昇降口の前で立ち止まる。このまま彼女を無視して歩いて帰ってしまおうと思ったが、やっぱり放っておけなかった。

 少し離れた先には一向に止まない雨をそれでも待って、寒さに震えている倉科さんの姿。

 遠くから見ると可憐に見えるが、ずっと長い間、雨が止むのを待っていたのだろう。不安そうな目をしている。


「ちょっと待っててくれ」


 瑞季にそう告げ、俺は倉科さんの元へ急いだ。


「……く、倉科、さん」


「何でしょう?」


 お互いが挙動不審だ。緊張して上手く言葉が紡げない。だって、相手は学校一の美少女だ。

 まともに話した事など一度も無い。


「傘、持ってないんですか?」


 相手を気遣うように優しく問いかける。


「それが……恥ずかしながら傘壊れちゃったの……」


 あらら。これはマズイ。


 強風で大雨注意報まで出てる。今は収まってきたけど、傘が壊れてもおかしくない強さだった。行きで壊れてしまったのだろう。


 彼女が壊れたビニール傘を見せてくれた。


「これは豪快にやられちゃってますねー捨てて来ましょうか」


「ううん、家で捨てる」


 倉科さんの強い意思がうかがえた。


「それで、ずっとここで止むの待ってたら風邪引いちゃうと思うので、良かったら使って下さい」


 そう言って傘を手渡した。


「え、いいの? でもそしたら一条くんが風邪引いちゃう」


 名前、覚えててくれた!

 そっちに感動していた。


「僕は別に濡れても大丈夫なので。いてっ」


 瑞季に後ろから傘でつつかれた。


「何すんだよ、いきなりー」


「そしたらあんたが風邪引くでしょ、バカ」


 瑞季は怒っているというより、呆れている様子だった。


「そうよ。佐渡さんの言う通りだよ。一条くんが濡れるのは申し訳ないというか……何というか……」


 二人とも俺が濡れるのは反対のようだ。


 人は3人、傘は2つしかない。誰かが濡れるのは嫌だという。

 この状況どうすればいい?


 誰かと相合い傘しないと踏ん切りがつかない。

 でも、倉科さんと相合い傘するのは気が引けるし、瑞季と相合い傘するのは嫌だ。瑞季と相合い傘した場合、絶対俺の方へ寄って、肩を濡らされる羽目になる。


「良い妙案を思い付いた! 瑞季と倉科さんが一緒の傘に入ればいいんだよ。もし嫌だったら、瑞季と相合い傘するから。瑞季、倉科さんを入れてやってくれ、お願い」


「は? って何? 失礼ね。まあ、倉科さんを入れてあげるのはいいけど」


 倉科さんは先ほどから黙って何か言いたそうにしている。


(言わなきゃ。素直に自分の気持ち、言わないと伝わらないのに……折角のチャンス、逃したくない……)


「倉科さん、こっち。傘、入って」


 いつになく、瑞季が優しい顔をして促している。だが、倉科さんは一歩も前に進まない。

 何かあるな、とこの時の俺は察していた。


「あの……!」


 勇気を振り絞って、倉科さんは第一声を発した。


 しばらくは彼女が話すのを待つ。


「あのっ、一条くんの傘に入りたいです」


 一度、聞き間違えかなと思って首を傾げる。


「今、何て言いましたか?」


 倉科さんが頑張って話してくれたのにもう一度聞くのは良くない。だけど、これは重要な確認だ。


「あのっ、一条くんの傘に入りたいなって、思って……ダメかな?」


「あ、ぜ、ぜぜ、全然良いででっ……すっ。む、むしろ大歓迎というか、何というか。あの、倉科さんがそれを望むなら出来るだけそれに応えたいというか。あれ? 何言ってんだ、俺」


 もう終始緊張で噛み噛みだった。心臓が爆発しそうなくらいやばかった。


 倉科さんは緊張してるんだ、そっかそっか、と言うような理解ある表情を浮かべ、瑞季は悪戯な笑みを浮かべている。


「良かったじゃない」


 瑞季は意味深な言葉を発した。

 何がだよ!


「早速、倉科さんどうぞお入り下さい」


 倉科さんの頭に傘を被せた。すると、俺の傘にゆっくり入ってきた。

 瑞季も隣を一緒に歩くんだな、と思っていたのだが……


「じゃあ、お先ー!」


 瑞季は元気よく雨の中、走り去って行ってしまった。こういう時に瑞季は空気が読めるのである。人の行動を良く見てないと思いきや、ちゃんと見てて人の感情に敏感だ。幼馴染みの俺相手だったら尚更だろう。


「ち、ちょっと待てって! おい! 瑞季ー!」


 瑞季を追いかけたいけど、早くて追いつけない。それに倉科さんを置いてけない。



 結果、倉科さんと二人きりになってしまった。そして今、相合い傘をしている。ドキドキだ。

 倉科さんと肩がぶつかっている。制服越しにだが、体温が伝わってくる。少し肩は冷たかった。

 どくん、どくん……強い胸の鼓動は止まない。心臓の音、聞こえてないといいな。お互いが心臓バクバクだった。

 学校一の美少女と街を歩くなんて、バレたら大変だ。バレないように傘に隠れなきゃ。


「……」


「……」


 しばらく、無言が続く。この無言が気まずい。


 倉科さんの顔を覗きこむ。相変わらず、お美しい。通った鼻に黒く透き通った胡桃の形をした瞳。この相合い傘という緊張感溢れるシチュエーションだからか、頬は赤面していた。

 耳まで赤くなっていて可愛らしいなーと感じるが、自分も人のことを言えたたちじゃない。


「どうしたの?」


 喋るきっかけを与えてしまったのか、静寂が破られた。


「いや、その、可愛いって思って」


「え!? 何て? 誰が? 私が? ……ありがとう」


 彼女はキョドった様子ですっとんきょうな声を出して、俯いた。さっきより顔が赤くなっていて、震えている。

 どこか既視感を覚えた。それは確かヤマシタ・ベーカリーで……。


 何言ってんだ、俺ー! 口からポロリと出てしまったというか。それでも言い訳にならない。可愛いって最強の口説き文句じゃないかー! 相手は学校一の美少女だぞ! 忘れるな自分。忘れるな。


 ***


「いや、その可愛いって思って」


 えー何、嬉しい。めっちゃ嬉しいんだけど!! 男の子にこうしてきちんとした感じで「可愛い」って言われたの初めて。

 表向きの私は可愛いって自覚はあったけど、こうして面と向かって言われると自信に繋がるんだよね。

 もっと顔が赤くなっちゃう。バレてるかな。心臓の音もうるさいし。

 相合い傘して、可愛いって言われて……。何それ、好きになっちゃう……!


 ***


「一条くんもカッコいいよ」


 理玖が可愛いって言った後に続けて、倉科さんはそう告げた。


「ありがとうございます」


 だいぶ、放心状態だった。足取りもスムーズになった。もう心が無だ。嬉しいかどうかでさえ、分からないくらいに正常な判断が出来なかった。

 倉科さんは(何で敬語なんだろう……タメ口でもいいのに)と寂しそうに思っていた。


「さっき、授業中私のこと、見てたよね? 気づいてたよっ」


「ああ。あれは倉科さんが注目されてたからどんな人なのかなって思ったから。チラチラ見てごめんなさい」


「あはは。ううん、気にしないで。そうなるのも無理はないよね」


 倉科さんは照れ笑いをする。


 少し話題を出さないと。気になっていた事を聞いてみた。


「今日ってどうして遅かったんですか? 自分は雨でサッカー部休みで瑞季待ってたから遅くなったんですけど」


 確か倉科さんは部活をやってなかったはず。


「生徒会の会議があって……」


「そうなんですね。役職は?」


「……生徒会長」


 (えっ、嘘。そんな重要な事を知らなかったなんて。そういえばそうだった)

 倉科さんは優秀で圧倒的な支持を得ていて、選挙で断トツな票を獲得し、晴れて生徒会長となった。生徒会長となった今も多くの功績を残している。いまや、倉科さんは学校全体から人気なのだ。


「生徒会長! すごいですね。応援しています。今まで知らなくてごめんなさい」


「いえ、いいのよ。一条くんもサッカー頑張ってね」


「はい。ありがとうございます」


「一条くんってパン好きなの? さっきの佐渡さんとの会話聞こえちゃった」


「はい。大好きです。あそこのパン屋さんのパン、すごく美味しくて」


 倉科さんは嬉しそうな顔をした。何で嬉しそうなのか、理玖は分からずにいた。


「それにパンだけじゃなくて、店員さんの個性も良いんですよね。店員さんも優しくて好きです。だからいつも眺めてます」


 えぇーっ、というように倉科さんは口を押さえた。


(好きって言ったよね? 好きって言ったよね??)


 倉科さんは「ありがとう」と言いそうになるのを我慢し、堪えた。

 ありがとう、と言ったらパン屋の関係者と疑われてしまうからだ。


「そしたら、そのヤマシタ・ベーカリーっていうパン屋さん、寄ろっか」と倉科さんが提案した。


「良いですね」


「でも、場所わかんなーい」

 倉科さんはあからさまな嘘を吐いた。


「それなら僕、案内しますよ。あの木がいっぱいある所を抜けるとお店があります」


「ありがとね」


 倉科さんはぎゅっと手を握ってきた。


「それにパン屋さんが傘貸し出ししてるかもしれないし。本当に助かったかもしれない」


 倉科さんのその言葉に理玖は頷いた。


 程なくして、ヤマシタ・ベーカリーに着いた。

 一緒に倉科さんと少しお茶でもしようかと思ったのだが。


「あった!」


 彼女が嬉しそうな声を上げる。自由貸し出し用と書かれた傘置き場を見つけた。「必ず返しに来て下さい」とも書かれている。

 倉科さんは黒い傘を取った。

 その様子を見ていた理玖は「もう帰るの!?」と思った。


「じゃあ、もう帰るね。傘、入れてくれてありがとう。また今度、一緒に店でゆっくりお茶しようね」


 彼女は帰ってしまう。


「えー。もう帰るんですか。残念です。そうですね、また今度」


 そう別れを告げた。


 倉科さんは店を出て、呟いた。


「今日は一条くんに色々お世話になったから、恩返しがしたい」


 そして、傘を持って職員用のドアを開けた。


 制服に着替え、眼鏡を掛けて、また理玖の前に現れた。








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