第120話

 降りしきる雨。嵐のような横風。コートがはためき、枝から外れた葉が流されていく。下草の這ったぬかるみの上に俺は立っていた。

「やっぱりお前の妹は邪魔だな。何度だってお前の内面世界に侵入してきやがる。あのブラコンめ」

「それだけ兄弟愛が強いってことだ。ずっと俺のことをあの世界から見守ってくれていたんだから、良い加減安心させてやらないと」

「戯けたことを——。オレを倒すことなんて出来やしないくせに」

「倒してみせるさ。今度こそ」

 俺は剣を上段水平に構え剣尖をオメガに向けた。オメガも同様に——。

 互いの死線が混じり合った瞬間。互いの身体が一斉に動く。

 奴の憎しみが滲み出る黒紫の剣と俺の希望を乗せたウィンドミロディアがぶつかった。火花の散る重たい衝撃が戦闘開始の合図だ。俺は間髪入れずに次撃を叩き込む。

 激しい脚動に泥が飛ぶ。足場は悪い。一歩重心がずれれば転んでしまいそうなほどに——。それでも構わず、俺は剣を振るう。オメガの剣を捌き、身を捩ってかわし隙のある所に剣を叩き込む。十全十美の動きをしたってオメガは対応してくる。力は互角。いや、俺の方が少し下回っているかもしれない。それでも、斬る。絶対に斬る。もう逃したくないから。望んでない方向に進むのは嫌だから。

 俺は未来への希望をこの剣にこめた。

 本気に振った剣がオメガの剣を滑り、共鳴した。

 切り返し、もう一度叩きつけると、押し合う形になった。

「なぜだ。なぜ拒む。お前は憎んでいたはずだ。全てを破壊したい衝動を持っていたはずだ。なのになぜ」

「言っただろ。俺は彼女さえいればいいんだ。支えてくれる彼女と、他に慕ってくれる人さえいれば俺はそれでいい。それ以外何もいらない」

「そのエゴが破滅へ追いやってきたというのに、貴様も肯定するというのか」

 いきなり肘が打ち上がった。見ると下からオメガが膝を上げていたのだ。俺の剣が振り上げられ、開いた胴を奴が横薙ぎる。

 なんとか剣を滑り込ませて止めた。歯が軋みそう。全身が硬直する。重い。衝撃で頭が眩む。意識が飛びそうだ。でも勝たないといけない。この戦いに、絶対に。

 剣同士が撃ち当たった重みに身体は後ろに行こうとする。それを俺は重心を前に移動させて耐えた。思いっきり前に。支えがないと転んでしまう程に体を突っ込ませる。

 捨て身の崩しにオメガの体勢も否応なしに崩れる。

 俺はざっと大きく足を振り出し、踏みとどまった。

 低い位置から十字に切り込もうと動いた。

 蹴り出しと同時に縦に振り下ろす。体の位置を横にずらされ、剣はオメガの脇を掠めただけだった。続いて薙ぎ払う。

 オメガは立ち位置を下げ、ひゅるりとかわし、剣を使わずに対応する。だが、その顔にさっきまでの余裕はない。

 驚嘆の目。奴の目から焦りが漏れていた。下だと思っていた相手が意外と互角になっていた時みたいな、そんな焦りだ。

 奴は負ける時の想像をしたに違いない。俺はさらに強気で攻め込む。

 何度いなされても俺は次の攻撃を叩き込む。形勢逆転の隙を与えない。矢継ぎ早にどんどん剣を叩き込んだ。

 オメガの目が焦りに染まると思っていた。だが、奴の目が呆れたような苦笑の目に変わった。

 オメガが俺の剣を掬い上げる。軽々と。まるで相手に糸で操られているように俺の腕が上がっていき、まず、眉間に拳。怯んだところ、ついで、体全体に大きな衝撃を感じた。

 強烈なタックル。

 対応できずに俺は吹っ飛ばされた。オメガとの距離が一メートル、二メートルと空いていく。

 荒く着地して、グッと踏みとどまった時、奴が高速で迫ってきていた。まるで地面を滑走するような低い姿勢から繰り出される強烈な水平斬りを止めるため、俺も低く体を落として剣を垂直に構えた。

 結果、受けきれなかった。斬撃は俺の身体に届かなかったにしろ、俺の体はさらに後方に飛ばされる。

 今度は背中から着地した。後ろへの勢いがおさまらず、後ろ向きに半回転すると、地面に足をついて立ち上がる。

 俺は息が切れていた。それは奴も同じだった。肩で呼吸をするほど、大きく呼吸を繰り返す。

 俺は考えた。オメガを倒せる方法を。奴が簡単には対応できない技がないかと酸素の足りない頭で思考を巡らす。

 いつの間にか雨が上がっていた。雲の隙間から光のベールが垂れ込む。俺を勝利に導く光。その光を見て俺は答えを見つけた。

 あった。一つだけあるじゃないか。彼女が俺に見せた技が、オメガの知らない技が一つだけ。

 俺はウィンドミロディアを突き上げる。風香と誓った。自分が得たいものの為、守りたいもののために、この剣を振るうと。その誓いを胸に、剣先をオメガに向ける。

 もう一度上段水平に構え直した。

 奴も同じく構え直す。仕切り直しみたいだが、それは違う。

 これで決着をつける。これで終わりにすると、双方の意識が死線と重なり合った。

 阿吽の呼吸。

 吹き荒ぶ風と共に俺は走り出す。見えているのはオメガのみ。奴の憎悪に惑わされることはもうない。その後ろの光が俺を照らしてくれるから。暗い過去ではなくて光の溢れる新しい道を照らしてくれるから。その光を掴むため最後の大技を繰り出す。

 みるみるうちに迫るオメガ。互いの攻撃範囲に差し掛かった時、奴の剣線を俺は見切った。

 奴の剣尖が突き出されるその瞬間。俺も剣尖を重ねにいく。

 凄まじい衝撃が腕から肩までを貫く。切先がぴたりと重なって力が釣り合った。互いに固まる双方の剣。

 悟りもしなかったその状況にオメガが驚嘆の目をする。

 奴の思考が動くよりも前に、俺は剣を振り払った。無造作に舞うオメガの右腕。その腕をバサリと斬り飛ばし、さらに俺は間合いを詰める。

 「これで終わりだあああああああ!!!!」

 喉の奥が震えるほどの大絶叫と共にあらん限りの力で剣を振り上げようと力を込めた時——。

 視界が赤く染まった。奴が切断面を振りあおいで血をかけてきたのだ。赤く粘性を持ったそれは手で拭っただけでは取れない。眼球までに付着してしまっている。

 どんと突き飛ばされた。その衝撃でウィンドミロディアが手から外れる。

「くっそ。どこに行った」

 辺りを手探りで探してもその剣が触れることはない。背後から足音が近づいてくる。

 ぬかるんだ地面を抉るびちゃびちゃという音が凄まじい勢いで。

 その時、目に光を感じた。異物感に閉じた瞼を透過して俺の眼球に入ってくる。それは太陽の光ではない。太陽は今、背中側にある。

 ——そこにいるのか、実乃莉?

 返事は返ってこなくても感じる。彼女の温もりを。

 鋭い風切り音が金属の共鳴と共に振り迫る。

 俺は音の反対側に体を倒して、避けた。

 オメガは勝利を確信しているのか、喜悦ともとれる笑い声を発する。

 僅かでも見えればいい。そこに在ることだけ分かればそれでいい。

 俺は瞼を開ける。異物感に閉じそうになっても意識の力で無理やり瞼を持ち上げる。

 涙で血が僅かに薄らいだおかげで濁った視界でも、その光を捉えることができた。

 異物感で閉じてしまっても、その場所は記憶している。十メートル以内にあった。リーディングライトに駆け寄り俺は掴んだ。

 俺を殺すため、足音が再び背後から近づく。喜悦に染まった憎しみ。

 馬鹿なやつだ。俺は位置を音で把握しているというのに。

 音の接近が間近になり、俺は振り向いた。僅かな金属の共鳴音から奴の左腕の位置を把握。軽く右足を後ろに下げ、一緒に右肩も後ろに下げる。

 空気の乱れを感じるほど近くをオメガの剣は通過した。そして、奴が息を呑んだのも聞こえた。これが最後だ。

 俺は右手を振り上げる。小石を打つ感触と生暖かい鮮血が頬に飛ぶ。

 最後に一突き。

 オメガの心臓を貫いた。

 奴の体から力が抜け、俺にもたれかかってくる。

 耳元で囁かれる力なく掠れるオレの声。

「……後悔するぞ……」

「後悔はしない。俺の望む未来を必ず掴んでみせる」

「偽善者風情が……」

 俺はリーディングライトを引っこ抜くとオメガの身体を押しのけた。

「終わったのか……」

 しばらく、その場で立っていた。何もやる気が起こらない、というより何も見えなくて何もできない。

 着信の通知音が鳴り響いた。

 通知のウィンドウは視界の真ん中に出てくるから、通話ボタンはこの辺かなあと、当てずっぽうで押した。

『優人くん。お疲れ』

 久保の声。少し安心にほころんだ声が脳に響く。

「久保さんか」

『ああ。オメガは消滅したよ。あとはそこの祠の中に入って……』

「悪い。目があまり見えないんだ。誘導してくれるか」

『わかった。まず、正面真っ直ぐ進んでくれ』

 手を伸ばしながらゆっくりと進む。一歩一歩恐る恐る進んでいくと、固く雨に濡れた岩が指先に触れた。

「これか?」

『そう。そこの少し左に入り口がある』

 俺は岩を伝いながら、少し左に移動する。冷んやりとした空気が肌に触れた。

 中はしんと静かな、まるでトンネルとか洞窟のような空間だ。

『階段が下に伸びているから気をつけて』

「ああ……」

 俺はゆっくりと岩の中に入った。

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