第119話

 モニターに映し出された波形は優人の脳波を示している。その波形が急に大幅に振れ始めワールド管理室は騒然とした。

「急激なストレス反応を感知しました。優人くんの脳波が過剰に振幅を増大させています」

「やっぱり取り込みにきたわね。オメガ」

 最大の敵は、やはりその力を秘めていた。フィネスが使った幻覚を見せるあの技を。人の弱みに付け入り、深闇の底まで引き摺り込もうとするあの技だ。

 フィオネスが幻想世界のシステムそのものだったように、オメガもエリュシオンそのもの存在に近い。だから、オメガは管理者権限を持っていて、あらゆるシステムの利用を隠匿したまま自由にできてしまう。

 これが木戸倉の残した最大の試練。

 踏みとどまらないと完全に終わる。優人がなんとかこっち側に止まってくれないとこちらは完全に敗北する。

「社長、治りません。早くどうにかしないと彼の精神は壊れてしまいます」

「精神安定剤の投与。一度の使用上限ギリギリ、準備して」

 久保が急いで医療チームに内線を飛ばす。

 精神安定剤はなるべく使いたくなかった。それは副作用によって眠気やふらつきが出るからだ。オメガとの激しい戦闘が予想されているというのに、そんなものを投与してしまうというのは毒を盛るのと何も変わらない。莉津子は迷った。

「社長、準備できたそうです。本当にいいんですよね」

 莉津子の口からなかなか承諾の言葉が出てこない。口の中ですごもって出てきそうになかった。

 実乃莉も自ら服用した経験則からなのか、莉津子と久保の会話に割って止めに入る。

「ダメです。優人くんを信じてあげてください」

「社長!!」

 久保の強い覇気のある声。もう時間はない。

 言葉を発しようとスッと息を吸い込む。その時、頭に浮かんだ。懐かしく愛しさを感じる声。

 ——大丈夫だよ、お母さん。私に任せて——

「……羽衣……」

「御意?」

「そんな古びた言葉、使うわけないでしょ。馬鹿馬鹿しい。投薬は一旦中止にして」

「なぜですか? だって……」

 久保はモニターにもう一度向き直ると、目に入った光景に息を呑んだ。

 そこで起こったことは、自分には想像もつかないことだったから。

「莉津子さん。さっき羽衣って……」

「ええ、言ったわ。聞こえたの。あの子の声が。だからあの子を信じてみるわ」


   *


 突然、羽衣の声が聞こえてきた。

「お兄ちゃん何してるの? 早くみんなを助けて」

「わかっている……。わかっているけど」

「わかってないよ。お兄ちゃんは何もわかっていない。わたしたちの気持ちを——」

 俺は何もわかっていなかったのか……。そんなはずはない。みんな俺に世界を救ってもらえると期待している。だからその期待に期待に堪えようとした。それが間違っているはずがない。

 羽衣が暗闇から姿を現した。臨死の世界であった時と同じ、白のワンピース姿で。

「私ね、お兄ちゃんには幸せでいてほしい。ねえ、今のお兄ちゃんの幸せは何?」

「それは……」

「もう答えは出ているでしょ。実乃莉さんと一緒にいたい。実乃莉さんと一緒に笑いあって、辛いことがあっても一緒に乗り越えて、そうやって生きていきたいって言ってたじゃん。

 ——それにこの剣も忘れちゃいけないよ」

 羽衣はウィンドミロディアを具現化させ見せてくる。

「お兄ちゃんのことを思っているのは何も今、周りにいる人だけじゃない。お父さんも私も、風香さんも藤田さんも、ずっと祈っている」

「お兄ちゃんは誰にも報いなくたっていい。自分の人生を歩んで。より明るい未来のために頑張って。お兄ちゃんなら戦える。——さあ、この剣をとって」

「ああ………」

 そうだよな。結局、俺次第なんだ。逝ってしまった人たちが俺にどんなことを望んでいるのかなんて俺にはわからない。だけど想像することはできる。

 多分幸せを望んでくれている。勝手な想像だけど、俺は胸張って生きたい。

 ウィンドミロディアを掴んだその瞬間、視界が光に包まれる。暖かくて眩しい、希望の光が暗闇を打ち砕いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る