第118話

 雨粒が何か板を叩く音。金属板の屋根なのだろうか。濡れた地面をゴムタイヤが踏み締める音がする。車の中か……。

 前の席には男二人が座っている。運転席には頭をバーコード状に散らした五〇過ぎくらいのおっさん。助手席には若めの男。

 これは俺の記憶ではないな。

 前の男はどちらもスーツを着ている。皺のほとんどがなく、手入れがされているのだろう。一方で視界の主はかなり皺のよったシャツを着ている。ネクタイもくちゃくちゃになっていて、ほとんど手入れがされていない。家に帰れていないのだろうか。

「上出来ではないか。佐藤くん。ちゃんと白線内を走行するし、信号も認識している。自動走行できているではないか」

 愉快そうに言う廣田。木戸倉は冷静だった。

「社長一回停めてください。雨が激しすぎます。この天気だと信号をカメラで読み取ることができません」

「試してみるか?」

「何を言っているのですか!?」

「こんなの実験走路でやってることと何ら変わらないではないか。そうだ。申請していた走路も変えようではないか」

「後ろにパトカーがいるのですよ。そんなことしたら」

「そんなことをしたら……。なんだね」

「いや、警察の捜査が入って余計に実現が遅くなります」

「そんなことは起こり得ない。もう対策済みだ」

「まさか、賄賂を……」

「その通りだ。わしがどれだけ、この国のA I技術の発展に貢献しようとしているかがわかるか? まだまだ、技術が足りない。そのための資金を国から捻出させるために国民感情を煽るんだよ。もうこの国はジジイどもが起こす事故に呆れちまっているから、こっちの味方になってくれる。全くいい国だよ」

 この男の笑顔を見ていると吐き気がしてくる。自分が得る利益のために一人の社員を切り捨て、まったく関係のない人々の犠牲も厭わない。そんな死んで当然の男が今目の前でゲラゲラと汚ねえ笑いを見せる。

「廣田ああ!!」

 怒号と共に拳が廣田に伸びた。木戸倉が緊急ブレーキのスイッチを奪おうとする。しかしその手はスイッチに届かない。

 そこに助手席から誰かの手が木戸倉の肩を掴んで引っ張った。

「倉岡、お前本気か」

「本気も何もこれが目的なんだよ。お前はただの捨て駒だっただけだ」

 木戸倉が絶句する。

「おい。ちょうど歩行者がいるぞ。どうなるか……」

 その後の出来事は知っての通りだった。

 自動走行車が羽衣をはねた。

 苦しくて息が吐き出せないほどの怒りが肩を、全身を震わす。こんな男のために、羽衣は……。死んだ。

 いつの間にか視界が真っ暗な世界に切り替わっていた。目の前にはオメガが立っている。

「許せないだろう?」

「ああ、許せない」

「こんなのがまだ、ごまんといるんだ。消さないとな」

「それは違う」

「どうしてだ。こんなのが容認されてるなんて、狂った世の中だろ」

「それでも、俺は」

「じゃあ、なんであの時、お前の味方はいなかったんだ?

 普通。小学校入学前の女の子が車に撥ねられたっていうニュースが流れたらみんなお怒りだろうぜ。でも、あの時、女の子を慰る声がそんなにあったか?」

「…………」

「どいつもこいつも勝手だよな。自動運転を切望しすぎて、死んだやつなんてちょっと可哀想くらいにしか思ってなかったんだぜ。まあ、一年後のA I革命でそいつらはみんな仲良くざまーを被ったってわけだけどよ……。

 オレは思うんだ。こんな世の中、救ってやる価値はないって。お前もそう思わないか。人間なんてみな、類にたがわず傲慢で怠け者でよ。救ってやることよりも、深い絶望を見せた方がしつけがなってよっぽど意味があるって」

「それは断じて違う」

 そんなこと思ってはいけない。

「本当にそうか?」

 オメガの問いに俺は息を呑んだ。

「木戸倉のあの悲痛な叫びを聞いてもまだそれが言えんのか? あの男の、たった一人の背中にどれだけの重荷を背負わせたら気が済むつもりだ。あいつは国を変えた。それは世の中を良くしたくて。でも、利用する奴らがクズばかりで全然良くならなかった。むしろ悪化の一途を辿った。しかも、その責任を全部あいつに背負わせやがって」

 オメガは近寄ってくると俺の肩に腕をかけた。耳元で囁きかけてくる。

「なあ、お前も妹を奪ったこの世界が憎いんだろ。何も奪われず、甘い汁だけ啜っている奴らが憎いんだろ。なあ、慕ってくれた人たちを守りたいんだろ。

 木戸倉もお前を愛してくれたよな」

 なんでだろう。なんで俺は思いを振り切れないんだろう。

「お前は妹に報いなくて良いのかよ」

 彼女と生きたいのに。

「俺ともう一度一つになれ。そしたらお前は眠っているだけでいい。目が覚めた時には全てが変わっている」

 なんで揺らいでしまう。憎い。どうしたって憎い。妹を奪った奴らが。俺の人生に深い闇を塗りつけてきた奴らが………どうしようもなく憎い。何度別の記憶で塗り重ねて蓋をしても、この憎しみだけは切り捨てられない。

 理不尽に消えてしまった大切なものに執念してしまう。

 消えない。消せない。あの頃の記憶が——。全てを失ったあの一ヶ月。妹を失って人を信用できなくなってしまったあの頃が、いまだに蘇ってくる。地の底から蘇ってくるアンデッドのように。


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