第115話
いつの間にか寝てしまっていた。目が覚めたのは賑やかな声が家の中に入ってきたからだ。堅牢そうでありつつ何処か朗らかさもある男の声と、明るく無邪気な子供の声が二人分。
男も子供も土汚れに塗れていて、ミラが先に湯場に行ってこいと追い出していたのだが。
帰ってきた三人は綺麗さっぱりと顔を和ませた。起きてその様子を見ている俺に気がつくと、まず男の方が声をかける。
「おう、起きたのか。どうだ。体調は」
「まだ動けないですけど、さっきよりは良いです」
「そっか。ならよかったな」
と、男はにーっと頬を吊り上げる。この男は一体何者?
思わず小首を傾げるとミラが紹介に口を開く。
「夫のジョウンよ。ジョウン・グルーバー。一応ヴィラント地区の大地主よ」
「一応は余計だ。一応は」
というジョンの応答を無視して、ミラは子供の紹介をする。
「娘のシャル。でこっちがマシュー」
「ねえ、お兄ちゃん。お名前なんて言うの?」
マシューが訊いてくる。無垢な子供の表情。好奇心に任せて間近に迫る笑顔はとてもA Iのものとは思えない。
「西条優人だよ」
聞いた途端、マシューは眉根を上げた。上の方を見て復唱する。まるで難解な呪文を目にしたみたいに。
「さ・い・じょ・う・?」
「はは。聞きなれない名前だな、マシュー。訳がわかんねえから飯を食おうか」
(本当に訳がわからんのだけど。なんでいきなり飯が出てくる。そもそも米なんてないだろ)
そんな俺の心の中でのツッコミが他の人にわかるわけもない。マシューは存分に拳を振り上げる。
「おー、飯だー」
と豪語するジョンとマシューにミラの空気がビンと張り詰めるほどの睨みが飛ぶ。
「ご飯って言いなさい。飯なんて言葉はしたない」
(……いや、だから、米ないでしょ。小麦しか食べんでしょ、おたくら、主食はパンでしょ)
そんな心の中でのツッコミは、やはり表には出てこなくて流される。
と、こんな感じで元々文化が違うのに言葉だけ他文化から輸入したから訳のわからない会話が出来上がってしまう。まったく、けったいな世界だ。
家族が団欒しているのをベッドで横になりながら聞いていたら、結局また眠ってしまった。
体を起こしたタイミングを見計らってか、ジョンが近寄って声をかけてくる。
「おう、気分はどうだ?」
「まあ、さっきよりかは良くなりました。あなたが助けてくれたんですよね。ありがとうございます」
「んな、例には及ばねえよ。倒れている奴がいたら助けるのは当たり前のことだ。それよりもよ、お前の居場所を教えてくれたあいつらに礼を言わにゃいかんぞ」
「あいつら?」
「二頭の馬だよ。名前なんて言うんだ?」
「ああ……、オスの方がテグーで、メスの方がリリーです」
「ツガイなのか?」
「別にそう言うわけじゃないと思います」
「思うってどういうことなんだ」
俺は言い淀んだ。それは前の主人を殺して奪った馬だから。二頭について俺は詳しいことを知らない。そんなことそう簡単に言えるはずもない。
「まあ、答えたくないってんなら無理には聞かねえよ。遠いところから来たんなら俺たちに言えねえことくらいあるよな」
「すみません」
そのままベッドでもう一眠りして気がつくと外から金色の光が差していた。夕方前の金木犀の色に似た光。
俺は腕を動かしてみる。痛みはほとんどない。だいぶ回復したみたいだった。
「動くのかい?」
ミラが訝しげに問う。
「ちょっとだけ試してみます」
俺はベッドから身を起こして端に座る。軽く床を押してみてもあまり痛みはない。意を決して俺は立ちあがろうと腰を上げた。すると——。
うまく踏み込めず、もう一度ベッドに尻がついた。何度やっても、バランスが保てない。
「松葉杖持ってくるから待ってな」
と、ミラはどこから引っ張り出してきたの変わらないが、木製の松葉杖を持ってきてくれた。
松葉杖を使えば、なんとか立てた。俺は、外に出てみる。
そよ風のふく丘。斜面では小屋に戻す時間なのかシャルとマシューの二人は山羊と追いかけっこをしている。しかし、二人とも馬に乗っているのだが……。
丘の上に立つ家から少し離れたところからジョンがその様子を見下ろしている。松葉杖をつきながらゆっくり近づいて話しかけてみる。
「元気な子たちですね」
「おお。俺の自慢の子供たちだ」
「リリーもテグーもよく懐いている」
「すまないが、ちょっとこきつかわせてもらってるぞ」
「いいんです。あれくらい。あいつらも必要とされて喜んでますよ」
少しの沈黙の後、今度はジョンが訊いてくる。
「この世界に生きる人は外と比べてどうだ?」
「あまり多くの人と関わっていないのでわかりませんが、あなた方はとても暖かいです。外の世界の人たちはもっと余裕がなくて自分のことだけで精一杯で他人に冷たい」
「そうかそれはよかった。俺たちは暖かい人情を持っているってわけだ」
そう言ってジョウンは愉快そうに笑う。
「もう怪我は大丈夫なのか」
「腕はもう痛みが取れました。脚はまだ松葉杖がないと歩けないですけど。でもだいぶ痛みはひきました。明日にはお暇できそうです」
「結局、話してくはくれないのか?」
その問いの意味はよくわかっている。なんで俺が、あの場所にいたか。なぜ死の渓谷にいたのかという問いだ。
俺はいまだにこの問いに答えていいのかわからずにいた。
でも、この人たちはこの世界で俺の味方になってくれそうだ。なら事情を知っておいて貰えた方がいいかもしれない。
俺は固まる口を開く。
「俺にはパートナーがいました。名前は白鷺実乃莉。彼女と二人でこの世界に入りました。
この世界の旅の始まりは困難でいっぱいでした。ヴェイオスの軍勢に追われ、俺はやむを得ず兵士を殺しました。ヴェイオスの兵士を八人。イリオスに寄ってから火薬を盗むために一人殺しました。あの馬も最初にこの世界に入った日に兵士から奪ったものです。やけに懐いていますけど前の主人を俺は殺しています。外の世界を救うため諍いなく俺は人を殺めました。
あなた方にとても受け入れられることだと思っていません。俺はこの世界の人たちからしたら殺人鬼です。卑下されて当然だと思っています」
「そうか……。確かに俺たちからしたら悪魔みたいな奴だな。一人でそれだけの兵士を殺したって言うんだったら恐ろしい。だけど、お前は何かを救うためにここに来たんだろ。
お前、俺の子供が来た時笑ってたろ。本当に心まで殺人鬼になっている奴はあんな顔しねえよ。中身はまだ普通の少年だ。
殺しちまったことに負い目を感じているんだったら、抱えている面倒ごとを片付けてから、その奪ってしまった命に償いをすればいいさ」
『やっとかけて来た。実乃莉ちゃんが優人の都合が合う時まで連絡は待ってくれって言うから待ったけど、まさかあんた夜まで待たせるなんて。あなたは実乃莉ちゃんが心配じゃないの』
外と連絡を取ったのは結局、夜になってからだった。夕食の後、ミラとジョンが食器を片付けている隙に外へ出て通話している訳なのだが。
「ごめん。なかなか抜け出せなくて」
『それであなた。今日は位置情報が全く変わっていないのだけれど、どういった状況なのかしら』
「親切な人に助けてもらった。薬ももらったし明日には出発できそうだよ」
『そう。それならよかったわね』
「それでさ、実乃莉はどうなったの?」
『あのね。あの娘に何かあったら私は開口一番にあなたに伝えるわ。それがなかったってことは無事ってことよ』
「そっか。ならよかった。そっちの状況は?」
『変わらないわ。A I兵器はいまだに東京を巡回中。この建物付近にはいないみたいだけど、日本の頭脳である東京を潰そうっていう意思は変わらないみたいね』
久保くん、ちょっと実乃莉ちゃん呼んできてくれる、という受話器から遠くになった声が聞こえる。
『愛しの彼女の声が聞きたいでしょ。ちょっと待っててね。今変わるから』
『優人くん。大丈夫?』
「ああ、大丈夫だ。親切な人がいて傷が癒えるまでとどまらせてくれたんだ」
『そっか。そっちにも暖かい心の持ち主もいたんだね』
「ああ、もう、ここの人たちの命を無碍にしない。誠心誠意オメガと戦えるよ」
オメガと戦うのに憎しみの心なんていらない。俺が何をしたいのか。誰を救いたいのか。誰に感謝しているのか。その思いで今は満ちている。今度こそ……。
「だから、待っててな。必ず倒すから。あの憎しみの人格に決着をつけるから。そっちで待っててくれ」
『うん。待ってる。あなたが私たちの未来を守ってくれることを信じてる』
「じゃあ、切るよ」
実乃莉の、うん、という僅かな返事を聞いて俺は通話を切った。家に戻ると、ミラがテーブルを拭いているとこだった。
「外の世界と連絡取ってたの?」
「ええ」
「外は無事だって?」
「状況はあまりいい方向には行ってないみたいですけど、僕の身内はまあ大丈夫そうです」
「そう、ならよかったじゃない」
ミラがテーブルを拭く傍ら、マシューが何か言いたげに椅子に座っていた。
「どうかしたのか?」
「ねえ、優人お兄ちゃん」
「何? 」
「お話聞かせて」
「おはなし?」
「ああ、この子。知らない地域のお話が好きなのよ。可能な限りでいいから聞かせてあげて」
「わかりました」
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