第114話

 「ただいま」

 少年をおぶって家に入り一声かけると、奥の方から妻のミラが姿を見せる。

「お帰りなさい。あなた……、その背中の子は」 

 ミラは背中の少年を見て目を丸くしている。

「ああ、川で拾ったんだ。生きていたから助けようと思ってな」

 ミラが少年の顔を見て、少しだけ驚いたように言う。

「ねえ、この子、もしかしてアウトサイダー」

「そうだろうな。顔の形からして間違いないだろう」

「ねえ、その人だあれ?」 

 次男のマシューが二階から降りてくると、飛びついてきそうなほど好奇心旺な目で少年を見る。覗き込むと、変な顔とつぶやいた。

「体調が悪くて倒れていた少年を拾ったんだ」

 長女のシャルが遅れて二階から降りてくる。

「その人だあれ?」

ジョンは面倒臭いなと思いながらもう一度説明した。

「でも、どうやって運んできたの。まさかずっと担いできたんじゃないでしょ?」

 ミラの問いに、少しだけたじろぐ。

「違うさ、馬だ。馬が二頭いたから……」

 ミラが外へ出て行き、ジョンもつられるように外へ出る。

「まさかこの馬の世話もしようっていうんじゃないわよね」

「そのまさかだ。大正解」

 ジョウンがミラの機嫌を少しでも損ねないようにと気さくに笑うと、そんな上面のごまかしで心が揺れ動くわけもなく、ミラがジョウンに詰め寄った。

「あなたねえ。来春からシャルを街の学園に入学させようってお金を貯めてたんでしょ。いくらなんでも馬二頭の世話なんてできないわ。あれはその辺の草で育ってくれる山羊とは違うの。イネ科の干草が大量に必要なんだからね」

「だからと言って逃すわけにもいかんだろう。この辺の麦畑に入られて荒らされたら大迷惑だ。まあ、しばらくは畑仕事で使ってやりゃいいだろう」

「その役目はもう牛が担っているのだけど」

「他にあるとすれば、移動手段かな。まあ、長くても三日程度であの子も回復するだろう。それまでの辛抱さ」

 このお人好し、と言いたげにミラは嘆息した。

「もしかしてあなた。今日収穫した分も」

「ああ、使おうと思う」

 ミラの嘆息がさらに大きくなった。それは仕方のないことではある。金貨二枚の価値がある薬草をいきなり拾ってきた少年に与えようっていうのだから当然のことだ。

 だが、二十年も連れ添った中なのだから、その辺は織り込み済み。仕方ないとミラは首を縦にふった。

「しょうがないわ。けど条件はある。あの少年がもし子供たちに危害を与えるような人だったらすぐ追い出しますからね」

「そりゃ当たり前だ。流石にそこまで許容するほどの度量は俺にだってないぞ」

「じゃあ、決まりだね。私、あのお兄さんを看病したい」

「楽しいお話いっぱい知ってるかな」

 シャルもマシューも自分達が楽しむことしか考えていない。シャルは看護婦ごっこ。マシューは絵本に出てくるような旅人を想像しているのだろう。年相応の好奇心をダダ漏れにはしゃぎ出す。

「こら、あのお兄さんは看病せないかんのだ。元気が戻るまではそっと休ませなくちゃいけないんだぞ」

「えーだめなの?」

 と、二人して残念そうに肩を落とした。

「ほら。仕事の時間よ。アンデッドに攫われたくなかったら今日も真面目にお父さんの手伝いをしなさい」

「わかったよ」

 二人は残念そうに声を揃えて言うと、先に納屋の方へと歩いていく。

「あの子は私が看とくから」

「ああ、すまない。それと」

「わかってるわ。事情とか聞き出しておく。あまり子供たちに聞かせない方がいいと思うから」

「ああ、頼んだよ」


***


微睡から目を開けるとそこにあったのは見知らぬ天井だった。木のはりが剥き出しのままの古びた天井が目の前を埋め尽くしている。木目に少し隙間がある。かなり古い木材だ。壁は白い漆喰。よくあるファンタジーの世界、いわゆる中世ヨーロッパの時代でよく使われた壁材だ。

 微かに薬草の香りがして、その匂いに意識を向けた。

 青臭くて、でもどこか甘い香りも混ざっている。誰かが薬草を煮炊きしているのだろうか。

 そもそもここはどこなのだろう。顔だけを動かして周りを見れば民家のような内装。

 俺が寝ているのは大きな一部屋で少し奥まったところで、俺は寝ているみたいだった。

 視界に収まるのは上の階への階段。壁に遮られて半分も見えないが、広いであろうテーブル。開けられたままの扉。扉の向こうは外だ。そこから見える外の景色はわずかに傾斜した森林と野原。野原には畑が点在している。

 壁に隠されて視界には入らないが調理スペースもあるみたいで、鍋底をかき混ぜる音が聞こえてくる。

 唐突にヒョイっと女性が顔を覗かせた。三十代半ばに見える女性。サラサラの金髪に青い瞳。日本人なら誰もが嫉妬するであろう高い鼻と大きい目の整った顔立ち。西洋美人の見た目の女性。だけど、彼女は近づいてくると似合わない日本語で話しかけてくる。

「やっと起きたのね」

「ここはどこですか?」

「ヴィラント地区。タゴラスの北側にある農耕区域よ。人が住む地区では最北端ね」

 つまりは人里まで戻ってきたということだ。

「あなたが助けてくれたんですか?」

「いいえ。助けたのは私の夫よ。今は子供たちと畑仕事に向かってる」

 ポップアップウィンドウが突然視界に現れ俺は凝視した。着信を知らせるポップ。俺は通話ボタンをタッチしようと腕を伸ばすと腕に激痛が走った。

「動かさない方がいい。両腕両足折れてる。結構複雑にね」

「そうですか……」

 歯を食いしばって痛みを耐えた。うめき声が勝手に口から漏れる。その痛みが治まって楽になった時、女性が話しかけてくる。向こうとの通話は後でいいや。

「私はミラっていうの。ミラ・グルーバー。あなたは?」

「西条優人です」

「西条が個人ネーム? それともファミリーネームなのかしら?」

「西条がファミリーネームです」

「なるほど。じゃあ優人って呼ばせてもらうわ。早速だけど優人、こっちの質問にも答えてくれる?」

「なんですか?」

「あなたアウトサイダーでしょ」

 女性からアウトサイダーという言葉が出てきても俺は、驚きはしなかった。この世界の人たちが外の世界のことを認識していることを、俺はもうすでに知っている。

「やはりわかるんですね」

「当たり前でしょ。あなた明らかにインサイダーと顔立ちが違うもの」

「ええ、確かに」

「死の渓谷で何をしていたの?」

「あそこを通り抜けよとして失敗しただけです。アンデッドに退路を塞がれたので川に飛び込みました」

「それだけじゃないでしょ。アンデッドを燃やしたでしょ。それに二人はいたはず。あなたの同伴者はどこに行ったのかしら」

「おそらくは外の世界に戻ったか、…………………………死んだかのどちらかです」

「そう。外の人間も死ぬことがあるのね」

「外の人間だって感じる感覚はここの人たちと変わりません。疑似的な死を体験したら脳が死を選択することだってあり得るんです。だから彼女は死んだかもしれない」

「そう、それは残念ね。そうまでしてこの島の外側に何の用があったのかしら」

 俺は言うか迷った。行っても良いことなのか全く判断ができない。

 だけど、女性の伶俐な目に気圧されて俺は答えることにする。

「決着です。外の世界は今危機的状況です。世界の行く末を決定づけるほどの大きな選択を迫られています。その決定権を司っている奴が死の渓谷の向こう側にいます。俺はそいつを倒さないといけないんです」

「よくわからないけど、とりあえず、あなたが外側に行けば世界を救えるってことなのかしら」

「はい」

 ミラは調理スペースに向かう。何かがコップに注がれる音。注がれた液体が入っているであろう木のコップを手にミラは戻ってくる。

「外の世界が危機的ということはその世界に内包されているこの世界も危険ってことでしょ。だったらあなたにこれを飲ませるわ」

「これは?」

「アキレアを煮出したお茶よ。どんな怪我だって治る万能薬。高いのよ。金貨一枚。それだけあれば一ヶ月は不自由なく暮らせるわ」

「そんな高価なものなんですか。アキレアって」

「そうよ。でもあなたが死の渓谷を越えなきゃ世界が危ないって言うのならこれをあげるわ。私たちの義務的なものよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 湯気のたつアキネラのお茶。色は馴染がない黄色。香りは漢方っぽいけど甘い香りがする。俺は躊躇いなくそのお茶を口に含んだ。舌がきゅーっと収縮する感覚。とてつもなく苦い。いやえぐ味が強い。それ以上に青臭い。

「すごい体に良さそうな味ですね」

「素直に苦いって言ったら。アキレアが苦いのは常識よ」

「にしてもどうやったらこんなに苦くなるんですか?」

「そりゃ、蒸した後に鉢で擦って、その後に煮出すからね」

 つまりは、細胞を破壊しまくってストレス向上。苦味爆誕というわけだ。

「飲んだのなら少し寝ていなさい。起きていたってどうせできることなんてないのだから」

 ミラがコップをひょいっと取って持っていく。ミラの言葉に甘えるがまま俺は横になった。



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