第112話

 炎で覆われた視界がいきなり真っ暗になって全ての感覚が途絶えた。正確には炎が肌を焦がす痛みだけが全身を包み込んだ。熱さは感じない。爆風によって身体がバラバラになった痛みもない。

 ——私は生きている?

 いつの間にかどこかで横になっている感触が背中にあった。目を開けると何も見えない。真っ白な光が眩しすぎて瞼を開けていられなかった。

 身体中、あちこちの皮膚がチリチリと痛い。喉も痛い。火傷をしたような痛みがまだ残っている。全身汗でびっしょりと濡れていた。まるで真夏の夜中に悪夢を見てうなされて起きた時みたいなそんな服の濡れ方をしていた。

 誰かが部屋に入ってくる。自分がリアルに戻ってきてポータルチェアの上で横になっているのは察しがついていた。

 実乃莉はもう一度瞼を開ける。来訪者が照明をさっきよりもおとしてくれたのか視界が真白に染まることはなかった。少し薄暗い、電子機器が放つ蛍光色の光とモニターの青白い光を強く感じる。

 コツコツと足音を鳴らして近づいてくる来訪者はポータルチェアのすぐ側まで来るとそっと顔を覗かせる。莉津子の顔。眉をきっと寄せたその表情からは、呆れと怒りと安堵の感情が滲み出ている。

「まったく、無茶なことをしてくれる。あと一秒でも強制ログアウトが遅れていたらどうなっていたことか。あなたの命は、今頃なかったわよ」

「……あ、……あ」

 声が出ない。まだ、火傷した時みたいな感覚が残っていて出そうとしても声よりも先に痛みが出てくる。

「声が出せないのね。無理もないわ。声帯が萎縮したんでしょう。無理矢理切断しちゃったから神経の切断が不十分だったんだわ。しばらくは影響がでるでしょうね」

 ホット肩を撫で下ろしたのか莉津子は穏やかに眉を緩めた。

「身体は動かせそう?」

 実乃莉は首を横に降る。

「そう。しばらく休むと良いわ。何より無事でよかった。おかえり実乃莉ちゃん」

 おかえりなんて言葉何年振りに聞いただろうか。

 家族と呼べる人がいなくなって、母親の代わりをしてくれた寮母さんにおかえりと言われたぐらい。形だけの挨拶で本心からのそれではないと思う。

 あんな形でいなくなろうとした自分を迎え入れてくれる。まるで冷めていた心の奥底がぽっと温かくなる感覚。

 実乃莉は自分の衣服が変わっていることに気がついた。自分がログインする前に着ていた洋服ではなく入院患者が着るような患者服に似た形状の衣服。浴衣のように着やすく、薄い布地のそれは本来必要がないはず。どうやら下の世話までしてもらっていたらしい。

 彼氏の母親にオムツを変えてもらっていた。耐え難い恥辱。

 実乃莉は自分の衣服と莉津子の顔を交互に見遣る。無言の訴えを続けると莉津子が口を開く。

「もしかして服が変わっていることを説明して欲しいのかしら。それともおむつの方?」

 両方です。

 その言葉は出てこない。実乃莉は莉津子の顔をじーっと見続ける。

「それじゃあ、男どもがいるところで垂れ流しがよかったのかしら?」

 そう言われるとそっちの方はもはや屈辱だ。生き恥を晒して生きていくことなんてできない。



 声を出せるようになったのは戻ってきて二時間が立った頃だ。

 様子を見にきた莉津子に問いただす。

「莉津子さん。他に女性の看護婦とかいなかったんですか?」

 莉津子の答えは聞く必要もなくノーだった。

「看護婦はいなかったけど、女性の自衛隊員が一人いたわ」

「その人はどうしたんですか?」

「元々安全な人たちの護衛ならこんなに人数はいらないはずだ、て言って他の隊員を連れて外に出て行ったわ。国民を守るのが私たちの使命だって……。おそらく今頃もう命はないでしょうね。A I兵器に挑んで生き残れるわけがないんだから」

「そうですか……」

「まあ、実乃莉ちゃんが気負うことないわ」

 そう言って莉津子は実乃莉の肩にそっと手を置いた。

「もう身体は動かせそう」

「……ええ」

「じゃあ、点滴もとっちゃうわね」

 注射針を外される。

「ゆっくり起こすわよ」

 莉津子に背を起こされて実乃莉は起き上がった。久々に起き上がったせいなのか頭が気持ち悪い。三半規管がしっかりしてなくて重心が定まらずフラフラとする。まるで船にいるみたいで、胃の辺りに不快さを感じた。少し顰めていると莉津子が心配そうに肩に触れた。

「大丈夫、水持ってこようか?」

「お願いします」

 そそくさと出ていって、戻ってきた莉津子からコップの水を受け取ると一気に飲み干す。喉がへばりつきそうなほど乾いていた。そのせいで水が通った瞬間、痛みが出る。

「もっとゆっくり飲みなさいよ。そんなに喉乾いてたの?」

「ええ」

「おかしいわね。点滴の水分が足りてなかったのかしら。でも、それだけ元気なら食欲もありそうね。何か食べる?」

「何があるんですか?」

 どうせなら和食を食べたい。しかし、提示された料理名は最もシンプルかつ質素なものだった。

「レトルトのおかゆよ」

 莉津子のしんとした声を聞いた時、あの世界にダイブしていた自分はまだ恵まれた方だったことを悟った。もう食糧もそんなに残っていなかったのだ。自分は点滴で栄養を補給できてはいたのだろうけど、他の人たちは、そうはいかない。備蓄された食糧をなくなるのを目にしながら最低限の食事だけで凌いできたのだから。

 そういえば、莉津子の顔も少しやつれて見える。髪もパサつき、シャワーも浴びれてないせいなのかごわっとしている。水も電気も節約しないといけないから最小限。

「やっぱりいいです。栄養は足りているはずなので」

 こっちに戻ってきても戦いは終わっていない。ここにいる人たち全員で生き残れるように頭を使わないと……。

 


 

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